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結局、夫の携帯の暗証番号もわからず、証拠となりそうなものも見つからないまま翌日を迎えてしまった。
私はなるべくいつも通り接したつもりだったが、夫も娘も朝から口数が少なかった。
予想通り作った朝食もほとんど手を付けずに、2人とも家を出て行ってしまった。
これではダメだと思いながら、時計を見る。
今日は昼に三滝と会う約束をしていた。
正直、気が進まない。
三滝とは初めて会った時から嫌なオーラを放っていたし、いつも私の事を撫で回すように見てくる。
勘も鋭いのか、人の弱みを見つけるのも早いようだった。
だから私はこの男が気に入らないのだが、それでも今は彼に話を聞くしかない。
そして、三滝もまたただでは教えてくれないだろう。
どんな条件を私に突き付けてくるのか不安でしょうがなかった。
私は夫が昼休みに入る前にと思い、早めに喫茶マカロニに入店した。
中は予想通り閑散としていて、お客も1人、2人ぐらいしかいない。
これでよく経営出来ているなと驚くほどだ。
私は後で連れが来ることを店員に告げ、ホットコーヒーを頼んだ。
座った瞬間、緊張して手が震えていることに気が付く。
私はその手を膝の上で必死に抑えた。
そして、小さく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
三滝は約束の時間ピッタリに来た。
相変わらず嫌なオーラを放ち、目つきが悪い。
私の顔を見るとやぁとにやけた顔で声をかけた。
案内をしようとした店員に断りを入れて、私と同じようにホットコーヒーを頼んでいるようだった。
「お久しぶりです、鹿山さん。お元気そうで何より」
彼はそう言って、私の前の席に座った。
私は三滝を直視出来ないでいた。
それに今回の件をどう三滝に話していいのかわからなかった。
「わかってますよ、奥さん。あなたがわざわざ苦手な私に電話をかけてきたんですよね。どうせ、旦那さんの事で悩んでいるのでしょう?」
三滝には何もかもお見通しのようだった。
私は息をのんで、勇気を振り絞り三滝の顔を見て尋ねる。
「なら話が早いです。私は夫の浮気を疑っています。けれど、家には証拠らしい証拠がなくて……。会社の人なら何か知っていると思ったんです」
三滝は浮気ねぇと顎を摩りながら考えていた。
この男が素直に情報をもらすとは思えない。
「鹿山さん、あなたの旦那さんね、私が見る限り浮気しているようには見えないですけどねぇ。ただ、彼、会社でも無口だから、何を考えているのか私らでもよくわからないんですよ。もしかしたら、私たちの知らないところで女性と会っててもおかしい事はない」
彼はそう話しながら、指を組み、机に肘を立てた。
「なんなら、協力しますよ。探りを入れるのは得意でしてね。まずは旦那さんが浮気していると思った根拠を教えてもらいたい」
三滝は捕食動物を睨むかのように鋭い目つきで私を見て言った。
私は恐怖のあまりつばを飲み込み、一瞬硬直してしまう。
しかし、ここで立ち止まったらわざわざ危険をおかしてまで三滝に会いに来た意味がない。
私はポツポツと話し始めた。
「夫のスーツに知らない女性の香水のような匂いがしたんです。今までに匂ったことがないような匂いでした。それに胸ポケットにこれが……」
そう言って、私は三滝に例の電話番号の書かれた紙切れを見せた。
三滝はそれを持って眺め、ほうほうと再び顎を撫でる。
「見覚えのない電話番号ですね。で、かけてみたんです?」
「はい。番号は間違えなかったと思うんですが、出たのは学生のような子供の声でした。まさか、夫が未成年に手を出しているとは信じたくなかったのですが……」
三滝はそう言ってふむふむと頷いた。
正直、こんな話を他人にするのは恥ずかしい。
しかし、隠しておいても情報は得られないと思った。
「電話に出て会話はしたんです?」
「いえ。電話口から少女たちが何か話す声は聞こえました。確か、店の客がどうだかこうだか……」
「店の客?」
三滝も不思議そうに聞き返した。
援助交際ならそんな発言はしないだろう。
彼はその切れ端を机に置いて、私に返した。
私もそれを受け取り、鞄にしまう。
「未成年ですか……。たしか、鹿山さんのとこには高校生ぐらいの娘さんがいらっしゃいましたよね? 以前、一度旦那さんから写真を見せてもらいましたよ」
夫が娘の写真を。
それは意外だった。
夫はあまり家族には興味がないように見えたし、昔から家族サービスなんてする人じゃない。
娘からは煙たがれていたし、あまり関心はないのだと思っていた。
しかし、少なくとも三滝に見せるぐらいなのだから、彼なりに思っていたのだろう。
そんな夫がなぜ未成年に手を出したのかわからない。
「まあ、これだけで一概に浮気をしているとは言い切れませんよ。我々は他社との交流もありますしね。付き合いでキャバクラぐらいは何度も行ってます。香水もそこでついたものかもしれない。確かに最近はそう言うのもめっきり減りましたがね、好きな人間はいくらでもいますから」
ただと三滝は付け加えた。
「気になるのは電話に出たのが、未成年っぽかったということですよ。キャバクラには基本、未成年は働かせませんし、働いていたとしても紙の切れ端なんかではなく、印字された名刺を渡すはず。顧客は大切ですからね。もっと、砕けた違法すれすれの商売なのかもしれません。まあ、もしお望みならお調べすることも出来ますが、どうします?」
私はその鋭い目つきにどきっとしてしまった。
安易にこの男に頼みごとをしてはいけないと、私の本能がそう言っている。
私はすぐには頷けずにいると、三滝は何かを察したのか、やれやれと首を振った。
「奥さんは本当に警戒心がお強い。それは良い事ですがね、別に私もそう鬼ではありませんよ。奥さんの嫌がる事まで要求するつもりはありません。ただ、気になるのでしたら、ご協力しますよって話です。ただの浮気調査なら、探偵でも雇えばいい話ですから」
三滝の言う通りだ。
当初はそうするつもりだった。
しかし、金額を聞くとそうできない事情もある。
だから、三滝にお金を渡してお願いすることも出来ないし、この男が望むような結果にはしたくなかった。
彼が言うことが本当なら、恐らく会社で夫が不信な動きや発言をしている様子はないのだろう。
ならば、浮気は会社の後、帰宅前にされている可能性がある。
最近、夫が会社の付き合いで飲みに行ったことはなかったはずだし、キャバクラに行って香水の匂いを付けて帰って来たことはない。
三滝の言うことも考えられなくはないが、やはり夫は浮気をしているような気がしていた。
せめてと私は三滝にあることを頼む。
それは、浮気相手を調査するよりよっぽど簡単な事だ。
「あの、もし良かったら、夫が残業をする日はメールでいいので連絡をしていただけませんか? それだけわかればいいので」
そう、私は残業を疑っている。
今はまだ、それほど多くはないが、今から増えるのは前回の記憶でわかっている。
動き出すとしたら今からなのだ。
夫の言っていた残業が真実なのかどうかだけでも確かめたかった。
残業ですかと三滝は少し不満そうな顔をした。
そして、彼は何かを思いついたように、にやりと笑いかける。
「わかりました。ご連絡は致しましょう。しかし、こちらもただというのはフェアじゃない。おわかりですよね、奥さん?」
やはりそう来たかと思った。
危険な話ならこの話はなかったことにするしかない。
この男がわざわざ今日の事を夫に話すとも思えないし、私はひとまず三滝の頼みを聞くことにした。
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