8. 隠された知識
朝になった。
(といっても、相変わらず外の景色は変わったように思えないけど)
化身の鎧のキアロンが立ち上がり、窓の外を見る。
ここで暮らしている人にはある程度、空の色の違いがわかるらしいが、キアロンにはまだよくわからない。
寝台にはオーギュベールの姿がなかった。
「起きたか、キアロン」
キアロンがオーギュの姿を探していると、寝台とは反対側、入口から彼の声が聞こえた。
すでに部屋着から着替えており、髪を最初に会ったときのように三つ編みに束ねていた。
「おはよう、朝早いんだね。あれ、今って朝早いよね?」
「二限の授業が始まる頃だが、早いかは人による……ところで、起きて驚いたことがある」
オーギュベールが束ねた髪を肩に垂らし、先端の結び目を複雑な顔で見ている。
「何かあったの?」
キアロンには、一見変わったところがないように見えた。
「精神許容量が大幅に増えている。てっきりキアロンならなにかわかると思ったが」
「もしかして、契約で
キアロンが鎧から顔を出し、指で空中をなぞるようにオーギュベールの周囲を観察する。
なにか確認しているようだ。
「ああ、やっぱりそうだ」
「その絆とやら、私はまったくある実感はないのだが。キアロンには見えているのか?」
オーギュベールは事態が把握できず、困っていた。
「そうだね。この世界の魔法で見る方法教えるね〜」
キアロンはその場にあった紙にさっと何かを走り書きして渡す。
紙には数字と記号の組み合わせを、線で囲んだ図形が描かれていた。
「これは、古いタイプの魔法陣に似てるな」
「その図形を頭の中に思い浮かべてみて」
オーギュベールが言われたとおりにすると、紙と同じ内容の図形が空中に浮かび上がり、消えた後に光の綱のようなものでキアロンと繋がっているのが見えた。
(これが絆? 無意識にこんなにはっきりと光が見える魔法を使ってたのか……)
オーギュベールが驚いていると、突然キアロンの声が頭に響く。
(いや、この光はぼくたちにしか見えてないし、そこまでエルカは使わないはず。ちなみにこの状態だと意識していることが聞こえるから気をつけてね)
(なるほど)
魔王と契約者はお互いの位置特定や意識共有ができると話していたが、こういう仕組みらしい。
この状態を絆の可視化だとキアロンは言う。その後、もう一度魔法陣を思い浮かべると不可視化になると説明を受けた。
「精神許容量が増えたから髪は切っちゃう?」
キアロンはオーギュベールに不安げに聞く。
聞いてしまった後に頭を抑え、いや、髪型は自由にするべきだし、ショートもかっこいいかも、など一人慌てふためいている。
オーギュベールはキアロンのこういう行動に次第に慣れてきたのでなんだかなと思う。
「いや、多い分にはいいからこのままだ」
それより、とオーギュベールは思い出したように向き直る。
「キアロン、一緒に来てほしいところがある」
元々そのために彼を呼びに来たのだという。
おそらく、大学に彼のことを説明しておく必要があるのだろう。キアロンはそう考え、ついていくことにした。
二人は塔を下りていき、ホールの正面奥にある事務所へ向かう。
事務所は大きな部屋で、入ってすぐにカウンターがある。奥には多くの机が並べられて様々な種族の者が作業のため行き来をしている。
「おはようございます。オーギュベール様、キアロン様」
入ってすぐカウンター付近にいたアッタイルが声をかけてきた。
何かの手続きをしていたらしい。
「キアロン様の滞在手続きは済ませておきましたよ」
「え、ありがとう、アッタイルさん」
アッタイルの言葉にキアロンは意外に思う。
てっきりこれからそのような手続きをするかと思ったからだ。
ではオーギュは何をしにここに来たのだろう。
「学長に呼ばれたんだ。アッタイルとキアロンも一緒に来てほしい」
オーギュベールはそう言うと事務所を横切り、奥の学長室へと向かう。
アッタイルとキアロンはただついていくしかなかった。
「失礼します」
オーギュベールがドアを開けて入り、二人も続いていく。
騒がしい事務室と違って、学長室は静かだ。
(思ったより簡素だな……)
キアロンは部屋の中を見回しながら思った。こういう部屋には、よく学校のトロフィーや賞状が飾ってあるイメージがある。
この世界にそのようなものがなくても、何か学校の箔付けになるような装飾品があるものではないか。
金天石のシャンデリアがそれにあたるのかもしれないが、どちらかというと実用性重視のデザインに見えた。
キアロンが部屋を観察していると、神経質そうな声が窓側から聞こえてきた。
「オーギュベール君、調査から帰ったらすぐ報告書を出すように言いましたよね」
学長は眼鏡を掛けた小柄な
どちらかというと学者というより、事務員の印象を抱かせる。
「申し訳ありません。遅れて昨日の夜ようやく帰ったので……報告書は後で『
オーギュベールが学長に頭を下げた後、キアロンを手招きして呼ぶ。
「ですが、その前にこちらを取り急ぎ紹介させてください。遺跡から来た正真正銘の、古代を知る人工精霊ですよ」
「どういうことですか?」
学長がその時初めてキアロンに気づき、怪訝に金の鎧を見上げた。
「はじめまして学長。ぼくは古代に造られた『化身の鎧』に宿る人工精霊です。古代のことを全部覚えているわけじゃないけど、解き明かすための協力はできると思います」
キアロンが自己紹介した。紹介が面倒になるのでとりあえず人工精霊であるとして話は合わせることにした。
しかし、彼の紹介を聞いて学長は困惑するばかりだ。
「ふーむ……」
そしてキアロンの鎧を上から下から見た後、卓上鏡のようなものに指を滑らせる。
「どうやら適当なでっち上げではないようだ。本当かはともかく、たしかに興味深い」
「そうでしょう」
オーギュが得意げに答えるが、学長の顔は渋いままだ。
「しかし、『古代を知る』といっても完全に覚えていない以上、必要ない混乱を招く可能性があります。彼のことは公表しないようにする必要があります」
「どうしてですか!」
オーギュが驚くが、アッタイルはこの流れを予想していたようでため息をつく。
学長は厳しい言葉を続ける。
「オーギュベール君、この前の発表のことを覚えていないのですか? あれから吸血鬼信奉者が常に私達の研究に横槍をいれてこようとしているし、港の監査も厳しくなっている傾向にあります」
「は、はい。『太陽が昇らなくなった理由の解明』の途中報告のことですよね。たしかにあれから彼らの追及が厳しくなっています……」
オーギュの耳が明らかにいつもより垂れ下がっている。まさかあのような反応が出てくるとは思わなかった、とオーギュは残念そうに言う。
「吸血鬼以外の誰もが、太陽の復活を望んでいると思ったのに。まさか反対する人がいるなんて……」
「この世界から太陽が失われ長いですから。色々なしがらみがあるものです」
学長はため息を吐いた。オーギュの探究心は学者として悪いことではないが、それで王都大学の立場が苦しくなっては困るのだろう。
「まだあれから日も浅いし、無用な刺激を与えたくありません。彼のことは時期を見て公表するほうがいいでしょう」
「それは理解しました。しかし、それまで遺跡の研究はどうするべきです?」
オーギュベールが心配そうに尋ねると、後ろにいたアッタイルが口を開いた。
「今の規模で続けるしかないでしょうね」
キアロンは彼らのやり取りを見て、どうやらオーギュベールの研究の進み具合が厳しいのだと分かってきた。
人員か予算か――あるいは両方――の規模を大きくしたいが、それが今は難しいのだろう。
「古代のことはぼくも知りたいです。喜んで手伝いますよ」
キアロンはオーギュたちを安心させようと声を掛ける。
(せっかくオーギュの眷属になったのだからね)
主人のために働かなければ、とやる気に満ちていた。
しかし、学長は冷ややかに受け止める。
「あなたが善意で手伝ってくれるのは構いませんが、あまり表立って支援はできないということだけは伝えておかないとなりません」
要するに、キアロンが遺跡調査に参加しても報酬は支払えないということを意味していた。
ついでに大学にいる間の衣食住も提供されないとのことだった。
「厳しいね。うーん、住む場所とかはどうしようかな……」
キアロンとしてはオーギュの部屋にずっといても構わなかったが、彼が許すかとなるとまた別だ。
オーギュはしばらく考えた後、こう言った。
「……学長は心配しないでください。そこは全て私たちの負担で行います」
学長はその言葉で何か察したらしく、無言で頷いた。
そして学長との話し合いは終わり、オーギュは部屋を後にする。
「キアロン、もう一箇所案内する必要がある。今日はそれが終わったら自由にしてくれ」
「?」
キアロンはよくわからないままアッタイルとともに彼の後を追いかける。
アッタイルは理解しているようだが無言のままであった。
歩いているといつの間にかキアロンの横にオーギュベールが並んでいた。
(この後ある場所へ行くが、その場所のことは外部で話さないように)
突然、頭の中にオーギュベールの声が響きキアロンは驚いた。
(びっくりした! ああ絆の意識共有だね……)
先ほど魔王と眷属が
キアロンも気づかないうちに、絆の光で自分とオーギュベールが繋がっていることに気づいた。
二人の後ろにアッタイルが歩いているが、光は見えていないし、会話も聞こえていないはずだ。
念の為、キアロンはさり気なく後ろを振り向いて確認するが、やはり何も気づいていない様子だった。
「どうしましたか、キアロン様?」
「ああ、いやなんでもないよ」
キアロンがアッタイルとそんなやり取りをしているうちに、絆の光も消えていた。
オーギュベールは元々魔術の腕があり、使いこなすのも早いようだ。ただ、今までは精神許容量の少なさからあまり積極的に魔術を使っていなかったという。
そうしている間に、三人は廊下の突き当りにやってきていた。
「こっちって何もないよ?」
キアロンがあたりを見回して言う。ランプもないので暗くてよく見えないが、おそらく部屋の入口のようなものはない。
「ここだ」
オーギュベールが廊下の壁の下部分を靴で叩くと、半回転して入口ができる。
どうやら隠された入口のようだ。
オーギュが身をかがめてなんとか入れる入口は、大柄の鎧姿のキアロンにはつらかった。
途中で鎧を置いていき、少年の姿で行動すればいいのではないかと考えるが、アッタイルにまだあの姿のことを話していない。
今見せるとややこしくなるのでは? 後で話したほうがいいだろう……と考えながら、身を縮めて渋々移動する。
入口の中は石造りの階段が下に向かって続いていた。
(ここってなんか見たことある雰囲気だな)
キアロンは来たことがないはずなのに既視感を覚える。
なぜか、地底湖と遺跡を繋いでいた階段と似ている気がしたのだ。
オーギュベールにそのことを尋ねようとしたが、彼はすでにはるか階下まで駆け下りていた。
そして両開きの重い扉の鍵を開け、ゆっくりと開く。
「うわっ……」
入口に近づいたキアロンは、扉から眩しい光が漏れてきたため思わず手で顔を覆った。
目覚めてから一番明るい光を見たと思ったくらいだ。
しかし、しばらくすると目が慣れてきて、周囲の状況が見えてくる。
「ここって……!?」
キアロンは周りを見て驚いた。
この世界には夜しかなかったはずなのに、周りが昼のように明るい。
しかし、室内であることは間違いなかった。
目の前に吹き抜けが見える。何階にもわたって吹き抜けが続いている巨大な室内の最上階にいるようだ。
至るところから巨大な金天石の結晶の光が溢れ、照明代わりとなっていることがわかる。
結晶が突き出している様子は洞窟でしか見られないような光景だが、確かに人の手が入った施設でもある。
結晶以外の壁面には部屋や本棚が造られ、通路や階段、昇降機を使って多くの人が行き来していた。
その多くは研究者のように見えたが、中には食事を売る屋台や職人のような姿も見られる。
「まるで地下の街みたい」
吹き抜けを見下ろしてキアロンは驚く。
王都大学の中に、別の街があるようではないか。
「ここは王都に集まった知恵を守るために造られた、秘密の図書館だ。通称『隠されし図書館』と呼ばれている」
オーギュベールはキアロンの反応を見た後、口を開いた。
「初代学長がやがて荒廃する地上から知識が失われるのをおそれ、建設を始めたと伝えられています」
アッタイルが言葉を続ける。
「王都大学内でも限られたものだけがこの地下図書館の場所を知っているのです」
「そうなの?」
限られた者というには図書館内部の人は多く見えたので、キアロンは意外に思った。
しかし、図書館の規模はあまりに大きいため、混雑している印象はない。
吹き下ろしから見下ろしても、地下何階まで続いているかわからないほどだった。
「……地上と地下を自由に行き来できる者は少ないんだ。私たちは数少ない例外だ」
オーギュベールがキアロンの疑問を察したようで、説明した。
周りに見える多くの人々は、何年もここに滞在しているのだという。地上と地下の行き来ができるタイミングは限られ、特に情報の持ち出しは厳密に管理させているようだ。
「オーギュが例外ってどういうこと?」
「私はここの交渉役のようなものだ。だから自由に行き来ができるようになっている」
オーギュベールの説明はどこか遠回りであった。
「謙遜しないでください。オーギュベール様。16歳という最年少で図書館長になった栄誉ある役割です」
「図書館長!?」
アッタイルの言葉にキアロンは驚いた。
オーギュは「栄誉か……」と言ったきり押し黙ったままだ。
(ということは、オーギュベールは魔王というだけじゃなく、学問の立場でもベフィスを継ぐ者なんじゃ……?)
キアロンはオーギュとの契約は偶然の成り行きのように思っていたが、もしかしたら違うのではないかと思い始めていた。
これから起きる、何らかの大きな世界の動きに巻き込まれようとしている。
そんな予感がしていた。
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