5. 鏡の向こうから来たもの


 元王城は大学の施設になっており、入ってすぐのホールから事務室、資料室、寮などに分かれている。

 二つの塔が寮部分になっており、その中の一つにオーギュベールの部屋があった。

 アッタイルは別の部屋があるため途中で分かれるが、キアロンはそのままついていく。

「そういえば、勝手にぼくが入っていいの?」

 キアロンが心配そうだった。

 先ほどの守衛には何も言われなかったが、盗人騒ぎでそれどころでなかっただけかもしれない。

 あとで「あの鎧は何者だ?」と面倒なことにならないのだろうか?

「あとで来客の手続きすれば大丈夫だ」

 と、オーギュベールは心配なさそうに答える。


 オーギュベールの部屋は手前と奥で区切られており、入ってすぐの場所は本や研究資料が積み上がっていた。

 照明は暖色系の金天石の明かりで、生活には支障ない程度の明るさが保たれている。

 それとは別に、机には本や書類を読むためのランプが備え付けられている。

「くつろぐには狭いが、この辺りで休んでいてくれ。ここにある資料を読んでいてもいい」

 オーギュベールはいくつかの荷物を動かして、一人分の椅子を確保した。

 そして着替えなどしてくると、奥の部屋へ入っていく。


「どれどれ……」

 キアロンは本棚を眺めて、歴史の本はないか探してみる。

 まずは自分が知らないこれまでの世界について知っておきたいところだ。

「これとか良さそうじゃないかな……えっ、著者『ベフィス・マレウス』……?」


 奥の部屋はオーギュベール個人の生活空間になっていた。

 前の部屋より狭く、寝台と暖炉、机でほぼ埋まっている。

 オーギュベールは遺跡で砂埃にまみれた服を着替え、学者らしいゆったりとした普段着に着替える。

 束ねていた銀髪を解くと、ウェーブの掛かった腰までの髪が広がる。

 白い耳が無意識にパタパタと動き、暖炉で煮える鍋の音を聞いていた。


 着替えたオーギュベールは、暖炉の鍋で温められたスープを皿に盛りつけながら、ふと手を止める。

(そういえば人工精霊って食事をするのだろうか?)

 キアロンの鎧の頭には口のようなものがなかった。

 しかし、魔法でも錬金術でも無限に動く仕組みなど無いはずだ。

 魔法は基本的に行使者の精神許容量エルカを消耗する。そして錬金術は燃料や、物を分解して造られた元素結晶を変化させるものだ。

 人工精霊がそれらと違うとしても、何かしらのリソースは消費する仕組みのはずだ。

 一応食べるか聞いてみよう、とスープを盆に乗せて運んでいく。


「キアロン、良かったらこれを……誰だ?」

 オーギュベールは視界に入ってきた存在に声を上げる。

 知らない存在が背を向け、本棚の前で立ったまま本を読み続けていた。

 オーギュベールと同じか少し低いくらいの、短めの金髪の少年のようだ。

 服は白と水色の光沢ある布で身体のラインにそった作りをしており、シルエットも装飾もこの地域ではあまり見られない様式だ。

 両耳にピアスをしているのがみえる。

 オーギュベールは、この突然現れた人物に全く心当たりがなかったので戸惑っていた。

 一息ついて落ち着くと、先ほど出しておいた椅子にキアロンが座っているのを確認する。

 しかし、金の鎧は先ほどと比べて生気を感じられない。呼吸もせず、微動だにしない置物のようだった。


 本を閉じた金髪の少年が振り返り、緑色の目で呆然としていたオーギュベールを見る。

「わあ、ごめん! つい本を読むのに夢中になっちゃって」

 申し訳無さそうに口から飛び出した声は、間違いなくキアロンのものであった。

「キアロンなのか!?」

 オーギュベールは驚いた声を上げる。鎧の中にこの少年がいたというのか。

 しかしそれではこれまでの話と辻褄が合わない。

 彼は実体のない人工精霊で、鎧は外せないと言っていたはずだ。


「あっ……」

 少年のキアロンはオーギュベールの視線に気づき、椅子の鎧に近づく。

 すると少年の姿が鎧に吸い込まれるように消えてしまった。

 その瞬間、鎧に生気が取り戻された。

「びっくりさせてごめんね」

 椅子に座ったキアロンが先ほどと同じ声で話を続けた。


 オーギュベールは問い正そうとキアロンに距離を詰める。

「キアロン、君は鎧の記憶域エルカに刻まれた人工精霊ではなかったのか?」

「それは半分合ってて、半分合ってないよ。このからだは普段はぼくの人格を元にした人工精霊プログラムを使って自律して動くし、話して記憶もできる。

 でも、コピー元のぼくの意識も別の世界に同時に存在してる。そして大まかな方針を考えて指示したり、この世界の人と話したり、時には直接動かすこともあるんだ」

 そうやっていろいろな世界を旅してきたのだという。

「別の世界……から直接動かす?」

 そんなことが可能なのかと、オーギュベールは信じられない。

「『神がかり』という状態を聞いたことはない? それに近い感じかな」

 人に神が乗り移っているようなとてつもない行動をしたとき、神がかり的と表現される。

 実際には、乗り移っている場合より、無意識や経験の産物である場合が多いようだが。


「この鎧が外せないのも本当だよ。中身はこの世界の錬金術の細工や、魔術の媒介物が複雑に組み合わさっていて、分解されたら僕も直せないから」

 要するに、キアロンの本体はこの世界にはないが、意識が乗り移るような方法で鎧を動かせるらしい。

「そんなことができるなんて、きみは別世界の神なのか?」

 オーギュベールが確認するようにキアロンに聞くが、彼は首を振って否定する。

「いや、違う。ぼく自体はごく普通の一般人、ただの旅人だよ。この世界の人間ロングウォーカーに近い存在だと思う」


 説明を聞いたオーギュベールは力が抜けたように腕をおろした。

「……まあ一応納得しておくが、結局純粋な人工精霊ではないってことじゃないか」

 彼が不満そうに言うと、キアロンは申し訳無さそうに照れ笑いをした。

「ごめん、別世界の意識中の人がいるって明かすと面倒なことになりがちで、ついただの人工精霊のふりをしていることが多いんだ」

 その姿はちょっといたずらをしてしまった少年といった感じで、本当にただの子どものようだ。


 オーギュベールは納得しかけたが、キアロンの正体についてはともかく、結局少年の姿はどういうことなのか分かってない事に気づいた。

 それについて質問すると、キアロンが鎧の中から身体の半身だけ乗り出してオーギュベールに顔を向けた。

「これはね、『化身の鎧』の特別な力でこの世界に投射しているんだよ。鎧が元々の僕の意識で動いている時、ケーブルを介して別世界の姿を持ってこれるんだ。鏡の中からその世界に入ったような感覚かな」

 ということは、今は鏡のようなものに半分身体を突っ込んでいるのだろうか。

 説明を聞いたオーギュベールは想像して奇妙に思えた。


 キアロンは少年の姿を鎧に戻して両手を上げ、握って閉じてを繰り返す。

「この鎧も戦いなどでは自在に動かせるけど、本を読んだり細かい作業をする時はさっきの体のほうが楽だからね」

「それでさっきあの格好で本を読んでいたのか……」

 オーギュベールはキアロンが本棚に戻した本を見る。

 どうやら歴史書を読んでいたようだ。

『現代歴史概論』という色々な本に引用されている古い書物で、一八〇〇年ほど前に最初の巻が出たあと、著者を変えて何巻も出ている。

 当時の歴史を知るための貴重な本ではあるが、内容が簡素すぎて抜け落ちている部分が多いともいわれている。

「何か気になる内容はあったか?」

 オーギュベールが尋ねるが、キアロンは曖昧に笑い、机に置いてある皿を指した。

「それより、スープが冷めちゃうよ」

「ああ、忘れてた……」

 すっかり食事のことを忘れていた。


 オーギュベールが卓に着くと、キアロンも再び少年の姿を出して席につく。

「せっかくこの世界での久しぶりの食事だし、おいしい状態で食べたいよね」

 どうやら彼も腹が空いていたようだ。

「その姿なら食事できるのか」

「そりゃあ、食べないとお腹すいちゃうよ」

 本の雑然と積まれた部屋の中、二人は簡素なスープとパンを食べながら、これからのことを話し合うことにした。

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