第20話 崩壊の始まり

 パチパチと手を叩き称賛の言葉を送ってくる方へ視線を向けると、いつの間にか倒れているウルフの真横に黒色のフードを目深に被った人物が立っていた。

 だがそんな見覚えのある人物よりも俺の視線を奪ったのは脇に抱えられたルナの姿だった。

 その視線に気付いたのか黒フード改めカイは口元に笑みを浮かべ語りだす。


 「この娘が前に言ってたユウトの仲間でしょ? ルナって良い名前だよね僕ももっとセンスのある名前が良かったな……おっと、そんなに怖い顔しなくても死んでないから安心していいよ」


 最初に出会った時と同じく馴れ馴れしい口調でカイは脇に抱えたルナを地面に下ろす。


 「世界を崩壊させようとしてる奴の言葉を聞いて安心なんて出来るかよ。ルナに何をした?」

 「えー何って、ルナがウルフ倒そうとしてたからそれを阻止したまでだよ。ウルフと戦うのはユウトでなくちゃ闇の力が際立たないからね」

 「……止めただと、ルナがお前なんかに負けたって言いたいのかよ。そんなはずないだろ」

 「ちょっとちょっと落ち着いてよユウト。確かにルナは強かったさ……でも僕からしたら中途半端としか言えない魔法の技術だったよ。それでも僕に覚醒を使わせたのは褒めるべき点だね。ま、そんなことよりもまずはこっちだよね」


 話したいことは話したとばかりに俺から身体を背け真横に倒れているウルフへと手を伸ばしたカイはこう言った。


 「さ、第二ラウンドだよ……僕の闇を分けてあげるから立ち上がろっか。このままじゃ君の大好きな赤ずきんが取られちゃうよ」


 カイの手から伸びるどす黒く禍々しい闇がウルフの身体を侵食していく。

 ビクンと身体を跳ねさせ呻き苦しみ出すこと数十秒、ピタリと動きは止み大人しくなったウルフはゆっくりと身体を起こし立ち上がった。

 ウルフの身体を取り巻く闇は俺と戦っていた時よりも強く力を増していた。ただこちらを見る目は虚ろで意識も朦朧としているように見える。それでいてブツブツと何か呟いている様はとても正気であるとは思えなかった。


 「起きたなら行動しないと欲しい物は手に入らないよ」


 カイによって耳元で焚き付けられたウルフは気が狂ったように叫びだすと獣人の姿へと変わり始める。


 「赤ずきん赤ずきん赤ずきん赤ずきん赤ずきん」


 明らかに異常な状態のウルフを視界に入れながら、俺は奥歯を嚙み締めていた。

 最悪の状況だ。倒したはずのウルフは力を増して復活し頼りにしてたはずのルナはすでに戦闘不能のうえカイの足元に倒れている。

 すでに戦う為の魔力は残っておらず疲労感が押し寄せてきている。極限まで集中していた反動で頭痛も酷く正直言って絶望的だ。


 (それでも今この場で戦うことが出来るのは俺しかいない。なら動け無理矢理にでも動かせ……身体の痛みなんて気にするな。失うことの辛さに比べればどうってことないだろ)


 赤ずきんを背後にし、前に一歩進み星剣を右手に握る。

 必死に目を凝らしウルフのカイの一挙手一投足に注視する。

 緊迫した状況に息が詰まりそうになる、依然として赤ずきんの名前を連呼すだけのウルフは動く様子がなく膠着状態が続いている。


 「あぁぁかずぅきんーーーーーーー‼」


 そんな均衡を崩したのはウルフの咆哮だった。感情の爆発とでも言えばいいのか森中に響き渡る声と同時にウルフから漏れ出ていた闇が方々に弾け飛んでいく。


 「ようやく始まるよ崩壊が」


 両手を広げ声高らかに笑うカイの言葉通りに、弾け飛んだ先の闇が地面や木を次々と吞み込み広がり始めていた。

 あの時、俺の世界が崩壊した時と一緒だ。抗うことはできず為す術もない逃げることだけが助かる唯一の手段。


 ただそれは自分以外の全ての生き物を犠牲にしなければならない。家族も友人も恋人も何もかもを、そうしなければ生き残ることが出来ない。

 そして、こうなった以上戦うこと自体が無意味なものになる。盤上をひっくり返された嫌な気分だ。


 「おばあちゃん」


 悲痛な叫びが聞こえ振り返ると、赤ずきんの膝の上で眠っているおばあさんの足が闇に呑みこまれていた。


 「ああどうしよ、どうしたらいいの」


 おろおろと慌てている赤ずきんはおばあさんを浸食していく闇を払いのけようと手を伸ばそうとしており、俺は咄嗟に手を取りおばあさんから赤ずきんを引き剥がす。


 「お兄ちゃん? 待って離しておばあちゃんが!」

 「ごめん赤ずきん……ああなったらもう無理なんだ」


 気づけば辺り一面が闇に呑まれ現在立っている場所も危うくなってきている。


 (どうするどうするどうする、どうしたらいいんだ。今はまだ大丈夫だけどここもいずれ闇に呑まれる……そうだルナは?)


 首を回しルナの倒れている方へ視線を向ける……すでに闇に侵食され周りの木々や地面は呑まれ黒く染まっていた。

 幸いなことに何故かルナは闇に呑まれておらずそのことに胸を撫で下ろすが、ウルフもカイも生きており頭が混乱しそうになる。


 いや、闇の発生源であるウルフが無事なのは理解出来るが、ルナとカイが影響を受けていないのは訳が分からない。

 木々や地面だけでなくおばあさんも闇に呑まれていることから、俺の知っている崩壊と変わらないはず、はずなんだ……なのに二人は生きている一体どういうことなんだ。

 そこまで思考を巡らせていると、もう、すぐそこまで闇が迫って来ていた。

 ここにいては危険だと思い力なく項垂れている赤ずきんを両手で抱き抱え、ルナの魔法を発動し空へと退避する。


 上空から見た景色はこの世界に来て初めて目にしたものとは程遠い悲惨な光景で、心の奥底から絶望が這い上がってくる感覚がした。

 綺麗で美しく幻想的な面影は見る影もなく、闇によって緩やかに崩壊の一途をたどっている。


 「……ねえお兄ちゃん、おばあちゃんは死んじゃったの?」


 腕の中にいる赤ずきんの声は震えており、潤んだ瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。

 普段の陽気で明るい様は完全に身を潜めており、崩れて消えてしまいそうなほどに脆く弱々しい顔色を視ただけで心臓が締め付けられるように痛かった。

 何も言えず口をつぐんだままでいると、それを肯定の意と捉えた赤ずきんは静かに口を開いた。


 「そう、なんだね……おばあちゃんは死んじゃったんだね」


 ポツリと小さく呟いた赤ずきんは、俺の顔を見つめて儚い笑みを浮かべて続ける。


 「なんでこうなっちゃたんだろうね。わたしがウルフさんを受け入れれば良かったのかな……そうすればおばあちゃんが死んじゃうこともなかった? お兄ちゃん教えてよ、わたしはどうしたらいいの?」


 そんなの俺にだって分からない。

 赤ずきんにもルナにも俺にも落ち度はなかったはずだ、皆それぞれで出来る最高の仕事をした。闇の原因であるウルフだって倒したそれで終わりのはずだった。

 だった、もう過去形だ……あいつがカイが現れて全部ひっくり返したせいでめちゃくちゃだ。何をしたのか分からないが倒したはずのウルフを復活させ崩壊を引き起こしやがった。

 こうなってしまった以上俺にはどうすることも出来ない、何も出来ない無力でしかない。

 ただ、そんな俺にもまだ出来ること、いややらねばならないことがある──赤ずきんを守ることだ。

 赤ずきんの華奢で小さな身体を抱き抱える腕に、ぎゅっと力を込めて落とさないようしっかりと支える。


 「お兄ちゃん?」

 「……どうしたらいいかって聞いたよな?」

 「うん、教えてくれるの?」

 「ああ……まずは思いっきり泣こうか」


 今の赤ずきんは目の前でおばあさんを亡くしたことにより不安定だ。悲しくて辛くて苦しく心が張り裂けそうなほど痛い。あの時の世界が崩壊した直後の俺と同じだ。

 押しつぶされそうなほどの不安と絶望に駆られ何も考えられなくなる。それを十四歳の少女が無理矢理にでも笑顔を作り耐えようと痛みから目を逸らし自分を偽っている。

 そんなのは間違っている。


 「赤ずきん、悲しい時にまで笑顔でいる必要はないんだよ……我慢することはない泣いたっていいんだ」


 死んだおじいさんとの約束を守るためにいつでも笑顔でいることは凄いと思う。

けど、この先いつまでも無理して笑顔でい続けていれば、どこかで必ず赤ずきんの心は限界を迎え壊れてしまう。

 だが、それは今すぐの話じゃない何年後何十年後の未来の話だ……それでも俺は泣いてほしかった。一部とはいえ感情を押し殺してほしくなかった。


 自分勝手なことを言っているのは重々承知している。俺は赤ずきんじゃないから本当の意味で赤ずきんの痛みを苦しみを理解してやることは出来ない。けれど目の前の一人の少女の悲しみを受け止めてあげることぐらいは出来る。


 「……でも、おじいちゃんが悲しんじゃう」

 「大丈夫だよ、おじいさんだって泣いたり笑ったり怒ったりしてる色んな赤ずきんを見たいさ」

 「本当に? おじいちゃんは悲しまないかな」

 「ああ、何の保証もないけど保証してやる」

 「……じゃあ、ちょっとだけ……」


 消え入りそうな声で呟くと赤ずきんは俺の胸の中に顔を埋めた。

 すると、小さな嗚咽が聞こえ始めだんだんとその大きさが増してくる。

 きっと、おじいさんが亡くなってから今まで笑顔と言う蓋をして溜め続けてきた辛さ、悲しさ、苦しみを全部吐き出しているのだろう。


 それを思うだけで、俺も両親が死んだ時の事を思い出して泣きそうになるがグッと堪え赤ずきんを抱き抱える両手に力を込め直す。

 しかし現実とは無情なもので一人の少女が落ち着いて泣くことすら許してはくれない。


 「ウオオオオオオォォォ‼」


 先程まで呆然と立ち尽くしていたウルフが突如として叫びだし、たったの一踏みで上空にいる俺の元まで跳躍してきた。


 (おいおい冗談だろ、何十メートルあると思ってんだよ)


 「赤ずきん泣かす奴は殺す」


 意識があるのか復活してから初めてまともな事を話したウルフに驚愕しながらも硬直している身体に魔力を巡らせる。

 まずは距離を取ろうと魔法を発動しようとするが、すでに獣爪を振り上げ攻撃態勢に入っていたウルフから逃げきれないと悟り赤ずきんを守るため咄嗟に背を向ける。

 ──激しい痛みが背中を襲い意識が飛びそうになる。


 (いっってぇ、ヤバすぎる。殴られた時の非じゃないくらい痛くて死にそうだ……けどなんだ? なんでウルフの攻撃を喰らったのに闇に呑まれる気配がないんだ?)


 下に落下していくウルフを見下ろしながら考えたが答えは出なかった。

 気になりはしたが、この場に留まり続ければまたウルフが跳んでくる危険があるため、とりあえず考えるのは後にしてウルフの届かない高さまで上がることにした。


 地上を視認するのも困難な高さまで飛んでから体感三分が経過した頃、泣き止んでいた赤ずきんがようやく顔を上げた。

 多少目は潤んでいたが、スッキリしたのかその顔は晴れ晴れとしておりいつもの明るい笑顔を浮かべる。


 「……お兄ちゃん、ありがとう」

 「お礼を言われるようなことはしてないさ」

 「ううん、わたしが泣いてる間守ってくれたでしょ。だからありがとう」

 「お、おう」


 何だか面と向かって礼を言われるのが気恥ずかしくなり視線を逸らしてしまう。

 年下相手に情けないとは思うが美少女から見つめられて意識しないほうがおかしいだろう。

 それに赤ずきんとは二つしか歳が変わらないし恥ずかしいことではない。と内心で誰に言い訳するでもなくぼやいていると。


 「それでお兄ちゃん、次はどうするの?」

 「ああ、色々と考えたんだけど下で馬鹿みたいに吠えてるウルフをもう一度倒そうかなって」

 「逃げないで戦うの?」

 「まあな、出来るなら俺も逃げたいけどルナを置いて逃げるわけにはいかないし、それに闇の発生源であるウルフを倒せば崩壊を止められるかもしれないだろ?」


 そう、一度ウルフを倒した時、身体を纏っていた闇も一緒に消えていたのを思い出し崩壊を引き起こしたウルフを倒せばもしかしたら崩壊を止めることが出来るのではないかと思っている。

 ただ、実行するにしても大技を使ったせいで魔力はほとんど残っておらず、仮に残っていたとしても俺の魔法のデメリットである複数同時に魔法を使用することが出来ないのが問題だった。


 じゃあルナの魔法を使えばいいじゃん、って思うかもしれないがルナの風の力を攻撃に転用するには繊細な魔力コントロールを必要として扱いが難しく、結果としてあの短時間で俺が会得できたのは空を自在に飛ぶ技術のみだ。

 よって、どう頑張っても俺一人でウルフを倒すことは出来ない……一人ではな。

 そこまで思考を回してから、俺は栗色の瞳を真っ直ぐに見つめ口を開く。


 「俺に力を貸してくれないか赤ずきん」

 「いいけど、具体的に何をするの?」

 「赤ずきんには特大火力の攻撃を放ってほしいんだけど出来るか?」

 「ルナさんから魔力コントロールを教わったおかげで出来るとは思うけど、威力を重視するとコントロールが効かなくなって当てられるか分からないよ」

 「問題ない、魔力と魔法の制御は俺がする」

 「つまり、お兄ちゃんとの共同作業ってこと?」

 「えっ、いや、まあそういうことになるけど……嫌だったか?」

 「嫌じゃなくて嬉しいの……っは、今気づいたけどわたしお姫様抱っこされてるよ~」


 いつもの冗談を言えるくらいには元気になった赤ずきんを微笑ましく思いながら、俺は改めて気合を入れ直しニヤリと口角を上げる。


 「さて、それじゃあ狼退治といきますか」

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