第17話 不穏

 「きゃあああああああああ‼︎」

 「……何だ?」


 ぐるりと周囲を見渡すと、一人で魔法の練習に励んでいたはずの赤ずきんが険悪な顔をした男に腕を掴まれている姿を発見した。

 明らかに嫌がり必死に抵抗している赤ずきんを見て、俺とルナは意思の疎通を図ることなく赤ずきんの元へと向かう。

 強い足取りで現場に辿り着くなり、俺は男の腕を強く掴んだ。


 「お兄ちゃん……」

 「あん? 誰だおまえ」


 野生的な見た目の男は手入れの行き届いていない灰色の髪をボリボリと掻きながら柄の悪そうな顔をこちらへと向ける。口元から見える鋭く尖った牙の群れは獰猛な肉食獣を彷彿とさせた。


 「おい、今すぐにその手を離せ赤ずきんが嫌がってるだろ」


 赤ずきんから手を離さず機嫌悪そうに睨みつけてくる男の腕へ、さらに力を込め目を逸らすことなく睨み返す。


 「聞こえなかったか? 離せと言ってるんだ」

 「聞こえねぇな、もう一回言ってくれや」

 「これが最後だぞ、手を離せ」

 「クックックッ、ならまずはおまえが離せや!」


 男は赤ずきんを掴んでいる手とは逆の左手を握りしめ無造作に振り上げる。

 武の欠片もない単調で無駄の多い動きによって繰り出される左拳を俺は右手で受け止める。


 「ほう……」

 「遅すぎる……それでもちょっと前の俺じゃ避けれなかったろうな。なあ、やるなら本気でやった方がいいぞ」


 力の差を知らせるために警告したが、理解していないのか男はニヤリと笑みを浮かべるだけだった。


 「面白えなおまえ。だが、今のへなちょこパンチを止めたぐらいで調子に乗るなよなぁ、おい!」


 赤ずきんから手を離した男は俺に腕を掴まれたまま強引に右拳を俺へ繰り出す。

 止めるため瞬時に男の腕を掴んでいる右手へ力を入れる。だが予想外に男の力は強く徐々に押し返され始めていた。

 負けじと俺もさらに力を込めた瞬間──腹部に強烈な痛みが走り視線を向ければ男の右足がめり込んでいた。

 それにより、ほんの一瞬力が緩んだ隙を見逃さず男は追撃とばかりに右拳を俺の顔面へと叩き込む。


 「ってぇ、冗談だろ魔力コントロールしててこの威力かよ。素の状態なら今ので終わってたな」

 「ちょっと大丈夫なの?」

 「お兄ちゃん、血が出てるけど大丈夫?」

 「大丈夫大丈夫、見た目ほどダメージはないから。二人は後ろに下がっててくれこいつの相手は俺がする」

 「ユウトがそう言うなら任せるけど、危険になったら直ぐに助けるからね」

 「ああ、多分そんなことにはならないだろうけどよろしく頼むよ」

 「あの、お兄ちゃん私のせいでごめんなさい」

 「赤ずきんのせいじゃないから謝ることなんてないよ、あとはお兄ちゃんに任せとけ」


 二人が離れたことを確認してから男へと向き直る。


 「さてと、待たせたな」

 「お兄ちゃん、だと……そうかおまえか、奴が言ってた害虫野郎は」

 「何言ってんだお前」

 「黙れそれ以上口を開くな、害虫野郎が!」


 苛立ちをぶつけるように男は駆け、俺に右拳を振るう。

 素人目の俺から見ても無駄の多い隙だらけの動き、このまま受け止めることも出来たが先ほどと同じように予想外の一撃を受ける可能性を考慮し回避することにした。

 後方に軽く跳び避けた俺を捉えるように即座に男は左足で蹴りを放つ。が、落ち着いてその蹴りを避け距離を取る。

 それを見るなり男は強く地面を踏み、一気に距離を詰めて大雑把な拳や蹴りを主体に攻めてくる。

 それら全ての攻撃を当たらないギリギリのところで避け続けながら男に問いかける。


 「なあ、お前何者だ?」

 「答える義理はねえな」

 「そうかそりゃ残念だ。なら質問を変えるけど……なぜ赤ずきんを攫おうとした?」

 「攫う? おいおい聞き捨てならねえな。オレは害虫野郎から嫁を保護しようとしたんだぜ……あれはオレだけの物なんだからな」


 意味の分からない事を言う男は、一度攻撃を止め苛立ったように地団駄を踏む。


 「いつまでも害虫野郎に構ってる暇はねえんだ。オレの攻撃を避けていい気になってるみてえだから少し本気を見せてやる…………ガルルルルルル‼︎」


 唸り声と共に男の身体は徐々に徐々に大きさを増し、呼応するように全身を灰色の体毛が覆う……やがて変化が収まると眼前には、全長四メートル程の強大で強靭そうな肉体の狼へと姿を変えた男が立っていた。


 獲物を狙い見つめる灰色の瞳に、獣爪は岩すらも切り裂きそうなほどの鋭さを感じさせ喉から漏れ出す唸り声には荒々しい獰猛さが入り混じっている。


 昨日の巨浪とは比べ物にならないほどの恐怖と圧迫感に押しつぶされそうになる心を必死に奮い立たせ、俺は目の前に立つ獣人の一挙手一投足に全神経を集中させる。


 「……ほう、オレのこの姿を見て逃げ出さなかった奴はおまえが初めてだ害虫野郎」

 「お褒めに預かり光栄だよ……まさか人間に化けた狼が正体とはな、しかも二足歩行に喋れるときた本当に世界ってのは広いな」

 「あん? 何か勘違いしてるようだが、オレは正真正銘人間だ。この姿はオレの魔法さオレは生まれながらにして獣人の力を手にした人間と獣人を凌駕する超人間だ」


 両手を広げ声高らかに話す狼へと姿を変えた男を見て、俺は内心嫌な予感を覚え疑念を払拭するため口を開く。


 「まさかとは思うがお前の目的は赤ずきんを食べることなのか?」

 「ククッ、そうさ食うんだよ、よく分かってんじゃねえか害虫野郎。赤ずきんの清らかな目も小さくて柔らかい手も男を知らない純潔も全てオレの物なんだよ」


 息を荒くし口から涎を垂らしながら最低な言葉を口にする男に対し、怒りが込み上げてくる。

 ここまで話してみて分かったがこいつはどこか頭のネジが外れている。赤ずきんのことを好きであることは言動からして間違いないのに、あろうことか赤ずきんを人間ではなく物として扱おうとしている。

 目の前にいる人間のクズを敵だと決め、俺は右手に星剣を発現させ構える。


 「お⁉︎ どっから剣なんて出しやがった……どうでもいいか。ククッじゃあ一暴れしようか、せいぜい足掻いて見せろよ」


 男は腰を低く落とし右拳を繰り出してきた。

 姿や体格が変わろうとも粗雑な拳であることに違いはなかった。だが一点、俺の想定を遥かに凌ぐほど桁違いに速かった。

 あまりにも一瞬の出来事に身体が反応出来ず、無防備な俺の腹部へと男の右拳がめり込み身体ごと吹き飛ばされる。

 幸いと言っていいのか後方に位置していた家の壁に打ち付けられたおかげで戦線を離脱するほど飛ばされずに済んだが、それでも軽く十メートルは飛ばされた。


 「……カハッ……痛えよ。何だよこの威力冗談だろ」

 「おいおい、今のを喰らって何で死んでねえんだよ……ッチ、そういや虫は頭を切り離してもしばらく生きてるんだったな。めんどくせえなさっさと死ねや害虫野郎‼︎」


 さっきまで俺が立っていた位置からひと蹴りで目の前まで移動してきた男は怒りをあらわにし獣爪を振り上げる。

 激痛が身体を襲うがゆっくりとしている暇はなく、次にくる攻撃を避けるために力を振り絞り身体を動かす。

 間一髪で回避したが視線の先、壁には爪痕が刻まれており……もしも自分が食らっていたらと思うとゾッとした。

 避けられたことに気づいた男はすぐさま追撃するように距離を詰め、再び獣爪を振り上げる。


 「やられてたまるかよーーーー‼︎」


 避けることは出来ないと判断し、俺は半ばヤケクソ気味に右手に握る星剣を迫ってくる獣爪へ振るう。

 ──直後、星剣の切っ先が届くよりも早く腕を引いた男は大きく距離を取った。


 「その剣ただの剣じゃねえな。オレの本能がその剣を恐れてやがる……ククッこんなこと初めてだぜ面白えなあ」


 そう言って笑った男は今までより一層笑みを強め、攻撃へと移ろうとする。

 そんな緊迫した状況の中、悠然と男の元へ歩いて来る人影があった。


 「楽しそうなところ悪いのだけれど手を引いてくれないかしら? それ以上、私の仲間を傷つけられると困るの」

 「あぁ⁇ なに言ってんだ女ぁ。ケンカを売ってきたのはそこの害虫野郎だぜ。それにオレにとっては邪魔な存在なんだよ。分かったら消えろ」

 「はあ〜、先に手を出したのはあなたでしょ覚えてないのかしら……まあいいわ、もう一度言うけど手を引いてくれないかしら? 今引けばあなたに危害を加えないと約束してあげるけど」

 「聞こえなかったかオレは消えろと言ったんだ」

 「あなたの方こそその大きな耳は飾りかしら? これが最後通告よ手を引きなさい」

 「うぜえな。殺すぞ女」


 自分より倍近くも大きい男に対して一歩も怯むことなく『どうぞご自由に』とでも言いたげに肩をすくめるルナ。

 その反応が引き金になったのか男は狙いをルナに変え獣爪を振り下ろす。しかし、寸前のところで止まっており獣爪がルナの肉体に到達する気配はない。


 「なんだこれは鬱陶しいな、なんで急に風が吹きやがる……いやそうか女、おまえの仕業か」

 「正解よ。頭の弱そうなあなたでも理解したと思うけれどあなたの攻撃が私に届くことはないの。えっと……確か殺すとか言っていたけれどあなたじゃ百年かけても無理だと思うわ」

 「害虫野郎も女もオレを不愉快にさせるのが好きみたいだなあ‼︎」


 ルナの風に阻まれているにも関わらず遠慮の全くない殺意のこもった攻撃が次々と繰り出される。

 四方八方あらゆる角度から攻撃を仕掛けているがルナにはかすり傷一つついている様子はない。

 やがてルナに攻撃が当たることはないと理解したのか男は狙いを再び俺へと向けるとニヤリと笑みを浮かべ猛進してくる。

 すぐさま星剣を構え迎え打とうと構えた瞬間。


 「敵に背を向けるなんて死にたいのかしら」


 ポツリとルナの呟く声が聞こえたと同時、眼前に迫って来ていた男が勢いよく真横に吹き飛んでいき姿が見えなくなる。

 あまりに予想外の出来事に停止しかけた頭をブンブンと振り、気を引き締め直しルナの方へと歩いて行く。

 俺がルナに合流するのを見て木の裏に隠れていた赤ずきんも駆け寄ってくると開口一番、心配した様子で話し始める。


 「お兄ちゃん大丈夫? どこか痛いところはある? すぐにお薬を持って来るからなんでも言って」

 「多少痛いけど打撲程度だから問題ないよ。それよりもあいつ赤ずきんのことを知っているみたいだけど知り合いか?」

 「ううん全然知らない。さっきも突然現れていきなり連れてかれそうになったの」

 「知り合いだったらどうしようとか思ってたけど、安心した。やっぱりあいつは敵だ」

 「やる気があるのはいいけれど、これ以上ユウトに任せることは出来ないわよ」

 「いやいや待ってくれ、俺はまだやれる! 怪我だって大したことないし俺の実力──」

 「はいストップ、ユウトの言いたいことは理解できるけれど今の魔法を使えないユウトじゃ、あの獣人を倒すことは出来ない。それは私が言わなくてもユウト自身気づいているはずよ」

 「そう、だな……」


 ルナの言っていることは正しい、現にあいつが狼の姿になってから俺は一撃も攻撃を与えられていない。それどころか速すぎて目で追うことすら出来ていないのだ。

 結局大事な場面で俺は力になれない足手まといのままだ。魔力コントロールを覚えて強くなった気でいたが思い上がりもいいとこだ。


 「お兄ちゃん口から血が出てるよ」


 無意識のうちに下唇を強く噛んでいたようでいつの間にか血が出てきていた。心配してハンカチを取り出す赤ずきんを手で制し腕で拭い『大丈夫』だと無理やり笑顔を作る。

 それを見た赤ずきんは何か言いたそうに口をモゴモゴと動かしていたが結局何も言って来ることはなかった。きっと赤ずきんなりに気を遣ってくれたのだろう。


 それはそれとして、どこまで飛んで行ったのか分からないが、あの男の性格上これで諦めることはないだろうことは明白でいつどこから姿を表すか分からない。こちらにはルナがいるといえ一瞬たりとも油断は出来ない。


 ちょっとした些細なことも見逃してたまるかと神経を集中しようとしたところで、

 ──背後からガチャリと音が聞こえ振り返ると家から出てくるおばあさんの姿が目に入った。


 「さっきから騒がしいけど何かあったのかい?」

 「えっと……」

 「ほんのちょっとだけ凶暴な狼が出て来たんです、私なら対処は可能ですが万が一に備えて赤ずきんと一緒に家の中へ避難してもらえますか?」

 「狼ねえ……それはあなたたちがやって来た理由〝闇〟と関係はあるのかしら?」

 「狼は赤ずきんを狙っているようでしたのでおそらく関係ないと思います」

「そうこの子を狙って……とりあえず言われた通り家の中に戻るけど、本当に大丈夫なのかい?」

 「ええもちろんです。凶暴だとは言っても所詮は獣ですから」

 「ククッ、それは聞き捨てならねえな誰が獣だって」


 そう言いながら正面から姿を表す男。勢いよく吹き飛ばされた割にはピンピンとしており見ただけではダメージはないように感じる。


 「女、おまえの魔法は確かにすげえ、どんだけ攻撃してもおまえに届くことはなかった。だがなおまえの攻撃もオレには通用しねえ、分かるか? 不意にもらった攻撃でさえオレにはかすり傷一つつかねえ。おまえの魔法は防御特化のカス魔法ってことだ」

 「……やっぱりただの獣ね。かすり傷一つつかない? それはそうでしょさっきのは攻撃でもなんでもないただの牽制だもの」

 「バカ言え、仮にもこのオレを吹き飛ばす威力だ。それが攻撃じゃなく牽制だと? ありえねえなハッタリだ」

 「あっそ、なら身体に教えてあげる。風の円刃ウィンドカッター


 言いながら人差し指を立てた先に、見る見るうちに螺旋を描く円盤状の風が形成され、狙いを男へと定めると放たれた。

 本能、又は第六感とでも言えばいいのか俺では目で追えなかった風の円盤を避けた男はその場から動くことなく自身が避けた先、目に入る直線状の木々全てが切り倒された光景をただただ眺めていた。


 「これでもまだハッタリだと言えるかしら狼さん?」

 「……ク、ククッ。こりゃ確かにオレじゃ勝てそうにねーな恐れ入ったぜ……多少計画を変更する必要があるみてーだ」


 男はギラリと鋭い目をコチラに向けながら四つん這いになると、その姿を本物の狼へと変貌させていく。


 「どうやらオレの手で害虫野郎どもを殺すのは難しいみたいだからな、少し趣向を変える。奪われたくなきゃ死ぬ気で守って見せろ‼︎」

 「狙われてる赤ずきんを私が守るからユウトはお婆様を守って」

 「ああ、任せてくれ」


 男との距離は二十メートル近くある。だからと言って油断していたわけではないむしろ見失わないように先ほどよりも集中し瞬きすらせず男の動作に全神経を注いでいた。にも関わらず一瞬にして男の姿は眼前から消失した。


 「狙いは赤ずきんじゃなくてお婆様よユウト──」


 ルナの声に反応し振り向いた時には既に遅く、背後にいたはずのおばあさんの姿は既にになかった。


 「おいおい本当に守る気あったのか? 女はともかく弱すぎるぜ害虫野郎」


 声の聞こえる方を見上げると男は屋根の上から俺たちを見下ろしており、口にはおばあさんが咥えられていた。


 「これ以上おまえたちの話を聞くことはねえ。このババアを返して欲しけりゃ赤ずきんをよこせ、オレからの要求はそれだけだ」

 「よこせと言われて、はいそうですかと従うわけがないでしょ。今すぐにお婆様を解放しなさい」

 「残念だがそれは却下だ。オレの指示に従わないってならこのババアは殺す」

 「それは無理ね、もしあなたがお婆様を殺めるような素振りを見せればその瞬間私があなたを殺すわよ」

 「ククッ、おまえならそれも可能かもな。だから弱いオレは尻尾巻いて逃げることにするぜ。小物のすることで癪だがな……このババアを返して欲しけりゃこの先の小屋まで日没までに害虫野郎と赤ずきん二人で来い、オレは耳も鼻もいいからな女が来ていることに気づいた瞬間ババアは殺す。楽しみにしてるぜ赤ずきん」

 「行かせるわけないでしょ」


 赤ずきんを一瞥すると話は終わりだとばかりに背を向けた男に、ルナはすかさず攻撃を仕掛ける。

 だが風の刃は男を捉えることなく空を切る結果となり、おばあさんを咥えた男は森の中へと姿を消した。

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