第三章 白き過去と黒の未来(4)

「静かじゃのう、ミズノ」

「決戦準備中だって。目標は大陸西端の大火山」

「そう、か。まだ、部隊は発っていないのじゃな?」

「うん。そうなったら、俺は絶対に最前線だからね」


 ほう、と安堵の息を吐くカナメに、苦笑をこぼす。


 質問の狙いが、透けて見え過ぎている。短い間に随分とポンコツになってしまったようだ。最初からこうでいてくれたなら、どれほど御しやすかったものか。


 カナメに、そんな顔を。


 こんな思いを、させたくはなかった。


 まるで人通りのない薄明の街を、二人で歩く。土埃も立たない石畳、やけに澄んだ空気の中を、コツコツと。雑多な生活感の中に漂うすえた臭いも、今は薄く。夜明け前の、最も冷たい風に、肌を震わせながら。


「朝焼けが、見たい」


 急に、そんなことを、カナメが漏らす。


 ミズノは、大した疑問もなく、頷く。


 日差しが昇る方へ、元々なんとなく歩いていたのだが。ついでとばかりにカナメの手を取った。少し、お互いに強張ったけれど。小さくて柔らかい手の平を、強く握る。熱も手汗も知ったことか。事ここに至って構うことなどないと、脇目も振らずに引いていく。


 街の郊外に出る。どこまでも広がる荒野の果て、空は七色に染まり始めていた。夜明けの光、この星をあまねく照らす太陽は、まだしばし、寝ぼけたまま、顔を出さない。


「雑多な街でしょ。ここね、前の大戦で、一番の激戦区だったの」

「中央大陸の、ど真ん中じゃものなあ。それもそうか」

「俺とボルテが決着つけた所でね。その後に、全種族友好の場って、新しく拓いたのさ」


 振り返る。積めるだけ積んで、広げられるだけ広げた、そんな石の街だ。本当に雑多で、まとまりが無くて、ハッキリ言って汚らしい。とりあえず勢いだけでぶっ建ててみました。そんなノリが、見れば見るほど伝わってくる。


 だが、それでも。


「交易都市、トロイメライ。名前、言ったことあったっけ?」

「子供の憧憬、か。何とも、言い得て妙じゃのう」


 ああ、それでも。


 下らない子供ガキの夢が詰まった、宝箱のような、美しい街だ。


 二人、振り返れば、もう日が昇り始めていた。照らし出される荒れ果てた大地は、何も、戦争の傷跡だけではない。視線を流せばそこら中に、触手共の残骸が、土に還れとばかりに打ち捨てられている。ひとしきり焼き焦がされた跡に、雷撃の残り香が漂っている。


「ミズノ」

「うん。何、カナメさん?」


 本題を切り出される前に割り込んだ。別に、大した理由はない。一度でも多く、彼女の名前を口にしておきたいと、そんな女々しい根性があっただけだ。


「一つ、伝えていないことがあった」


 うん。相槌を打てば、前に数歩を踏んだカナメが、振り返る。少しずつ昇り始めた太陽と、薄く光を失っていく欠けた月を背にして、微笑む。


「お主、前に『一桁の女児にしか興味が無い』という話をしたじゃろう」

「最悪の切り出し方するね。正確には『勃たない』だったけど」

「なぜ余計に地に落とす、馬鹿者め。……あの時、儂が幾つ指折ったか、見ておったか?」

「五桁以降は目逸らしたよ。他意はないけど、ちゃんとカナメさんから聞きたいと思って」


 カナメは小さく笑って、ミズノに向けて広げた右手を、親指から順に、折っていく。


 一、十、百、千、――万。


 五つ。ミズノが盗み見たのは、ここまで。


 カナメは左手を、持ち上げる。


 重ねて、折った数は。


「十、じゃ」


 左手の小指が、ありったけの葛藤と共に、折り曲げられた。


 両の手の握り拳を、カナメは、ゆっくりと下ろして。


「十億年。儂が生きて、それだけになる」






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