第一章 白き人間と黒の蜚廉(5)

「――どー見ても、ただのゴキブリでしかなかった儂に、情を向ける理由などあるまい」


 輪の片方、楕円に歪んだソレを見ながら、そんなことを。


 思い出す。カナメと初めて出会った時のこと。先代魔王の遺品漁り、開かずの小箱。だが思いがけずも開いてみれば、ミズノの手の平で、指輪というか拘束具のような有り様で、銀の輪を平たい胴にみっちりとハメ込んでいた――クロゴキブリの姿を。


 対に、己の左手薬指にハメ込まれた、もう一つの銀の輪を。


 そんな、あまりにもあんまりな光景を想起すれば、カナメはヘッと口の端を吊り上げる。


「ならば、お主の戯言の出所は、儂のナリか。そー言えばロリでババアで萌えだのなんだの言っておったな、このロリコンめ」


 随分とやさぐれたような、ヘソ曲げたような所作に、思わずと、小さな笑いをこぼし。


「どー見ても、ただのゴキブリじゃなかったからだよ」


 それだけ答えれば、カナメの片眉が、僅かに上がった。


「指輪のせいで離れられないってのもあったかもだけどさ。人に引っ掴まれて、家に連れて帰られて、虫かごに入れられて。エサ入れても手突っ込んで掃除しても、身動き一つしないゴキがどこにいるのさ」

「広い世界じゃ。そんな壊れた虫ケラが居ってもよかろう」

「そうだね。人にだって、似たようなのは居るし」


 一つ、息を吐いて。


「何かもう、色々どーでもよくなって。さっさと死にたいんだけど、そんな気力すらなくなって。――ダラダラ生きることしかできなくなった奴、とかさ」


 カナメの目が、今度は、確かに見開かれた。


 何かを言おうとして、唇を動かそうとして……、飲み込むように、閉ざす。


 だから、続けた。


「俺ね。子供の頃、触手の栽培したかったんだよ」

「何て?」


 素の返事が来た。急に話を変え過ぎただろうか。


 まあただの前置きである。構わず進め、串焼きを一本掲げる。


「だって、コレ自由に育てられたら誰も飢えないじゃん」

「い、意外と現実的な理由なんじゃな……」


 夢が無いとも言う。一桁のクソガキにしてスローライフ志望である。


 だが。肉もとい触手を一口で頬張り、ゴリゴリと砕いて飲み込んだ。空の串を、皿に放る。


「本当に、ちょっとしたことだったんだよ。別に大したことも無いはずのきっかけでさ。

 全世界、全種族巻き込んだ、大戦争になった」


 発端は些細な、されど結果は、取り返しのつかないものになった。


「この世界の連中が脳筋馬鹿で、日頃からドンパチやってるのは普通だったんだけどさ。でもアレは、全然、そういうんじゃなくて。戦場の法も相手への敬意も何にもないただの殺し合いで。子供だろうが夢がどうとか、そんな場合じゃなくなって」


 蜚廉たちと現存種族、双方の侵略戦争は、怪我人は出ても、死者が出ない。厳格なルールに則って展開されているからだ。茶番であろうがなかろうが、それは変わらない。


 ミズノが生きた戦争は、こんな『健全』なものでは、無かった。


「毎日必死だったよ。必死に戦った。西へ東へ、駆けずり回って、無軌道に暴れ回る馬鹿共を片っ端から叩き潰した。つっても能無しの最弱人間種だから、限界が低過ぎて。まあ、大概人は辞めることになったよねえ。だから今、カナメさんと戦えてるんだけど」


 より速く、より硬く、より重く。


 強さが、必要だったから。


 力を、求め続けた。


 ミズノを、静かに見つめるカナメの黒い瞳に、傷んだ白髪と、澱んだ赤目が揺れている。


「戦い続けて、英雄とか呼ばれるようになって、やっと、今代魔王までぶっ倒して」


 全てが終わった。


 世界最強の名を成して、歪んだ闘争のことごとくを叩き潰して。


 ふと、振り返ってみたら。


「荒れ果てた戦場に、剣を突き立てた、ズタボロの人間モドキが、たった一人」


 はて――俺は一体、何のために戦っていたのか。


 カナメは、何も言わない。だが、頬の裏で、奥歯を噛んでいる気配は感じられたから、それで良いと思った。きっと、何を言っても、慰めになってしまうから。安い同情になってしまうから。ミズノも逆の立場であれば、同じであっただろう。


 カナメの、純粋過ぎる善意と良心に、小さな笑みをこぼしながら、己の首元に手を添える。


「この指輪ね。昔の仲間の、呪術師から押し付けられたやつなんだけどさ」


 鎖を首から外し、そっとテーブルに置く。


 軽い音を立て、重なる二つの輪は、


「『この戦争が終わって、あんたが目的失くして腑抜けでもした時。この指輪が、考え得る最低最悪の相手と、あんたを強制的に結婚させるわ』って」

「ただの呪いではないか? というか、その指輪のヤバい存在感はソレか?」

「『ハッ! まさしく人生の墓場ね』って」

「完全に悪意百パーではないか? いやソレ儂の立場は? 最低最悪か? 墓場か?」


 肩をすくめて両手を広げれば、カナメは、静かに俯いた。


 いやまあ呪術師だしなあ。道理など通ずるはずもない。そもそも世間に呪いを振りまいて生計立ててるヤベー女であった。ミズノにも、置き土産はキッチリと残してくれたわけで。


 挙句の果てが、ナマのゴキブリと強制結婚である。


 互いに離れられないという、有難いことこの上ないオマケ付きで。


「そりゃあ俺だって何でこんなことにって思ったし、それも含めてもうどうでもいいかとも思ったし。戦争止めて世界救った英雄の末路が、餓死でゴキ嫁と一緒に墓の下とか、クソ過ぎていっそ爆笑できたし。何の間違いもなく、呪いでしかなかったけどさ」


 話せば話すほどカナメがテーブルに沈んでいく。腕組みの内に顔をうずめて、二本のクセ毛もとい触覚も萎れて、終いにはシクシクとすすり泣くような音まで聞こえ始めた。


 いやめちゃくちゃ効いてんなコレ。ひょっとしなくても過去イチかもしれない。やっぱ精神攻撃は基本だわと思いつつ、グラスの冷を呷り、喉と唇を湿らせ、


「何で虫ケラ風情が俺と同じ顔してんだって、ムカついたんだよねえ」






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