第一章 白き人間と黒の蜚廉(4)

「旦那が嫁さん愛するのも、守りたいって思うのも、当たり前でしょ」


 これ見よがしと、口の端を僅かに吊り上げた。


 ……はて、何やら昨日辺りも似たようなことを言ったような。妙な既視感に心の中で首を傾げていれば、カナメが目を眇めた。不機嫌を隠す気もない膨れっ面に、しかし反論は無かったから、左手で頬杖突いて、右手は串を振ってみせる。


「カナメさんさあ。――内心嬉しいと、無意識に頬の裏もごもごするの気付いてる?」

「んが……っ!?」


 喉から妙な音を鳴らし、慌てて口元を抑えるカナメの姿に、からからと朗らかな笑いが出る。赤面上目遣いに睨まれても可愛いだけだ。日常の彼女は、戦場での威圧感をまるで発しない。とはいえ今日の昼間などは、最初っから舌で頬をぐりぐり膨らませていたのだが。


「そういうところかなあ。幾らでも悪ぶれるけど、性根の良さが全然隠せてないところ」

「何を分かったような口を……!」


 カナメは吐き捨てるように言って、乱暴に引っ掴んだ徳利を直に咥え、ぐいと一気に飲み干す。が、案の定変な所に入ったらしく、小さく吹き出した後にゴホゴホとむせ返った。そんな姿に笑みはこぼれるまま、ふきんを差し出せばこれまた無造作にひったくられる。


「だって、二つ返事だったじゃん。一ヶ月前、俺がこの茶番持ちかけた時」

「あ、あれは……。その」


 口元を拭うカナメは、言葉を探すように視線を彷徨わせながら、テーブルを拭き始める。


「か、仮にも儂の眷属、もとい蜚廉の末裔たちじゃ。こーんな有象無象共が気ままにひしめく世界へ、無責任に放り出すわけにもいかなかろう」

「だからって、大戦終わって間もないところに、侵略者気取って攻めてくるフリしろなんて、何かの間違いでも承諾しないって。普通は『保護しろ』でしょ、第一にさ」

「下らん茶番でも形にする、力はあるのじゃ。それが、手っ取り早かろう」

「そうだねえ確かにねえ。――王の、カナメさんの命を差し出すならね」


 カナメの手が、止まった。顔は僅かに俯かせたまま、上げない。ミズノの顔は、見えているだろうか。どうにか作ってみせた笑みは、寂しく歪んだりしていなかっただろうか。


「自分が犠牲になることに、慣れ過ぎてる。そう思った」

「分かったような、口を」


 ゆっくりと上げたカナメの目が、一瞬、僅かに見開かれた。


「お主、は」


 後に、眉を立て、牙を剥いた。ああ、クソ。やっぱり駄目だった。余計な察しも気遣いもさせたくはなかった。本当に勘が良過ぎる人だから、自分は自分のことで一杯一杯だろうに、


「訂正するぞ、だが謝らん。貴様は、どの口で……っ!」


 怒ってくれる。テーブルへ身を乗り出したカナメの右手に胸倉を掴み上げられた。食器が盃が音を立てても決して踏まず溢さずの繊細さにて、ミズノに対する心遣い全部に発せられた怒りと本気の威圧に、心底の安堵と、喜びを覚えてしまう。


 だから。


「俺も同じことをするって分かるから。助けたいって思うんだよ」

「どこまで馬鹿なのじゃ、お主は……っ!」


 カナメは投げ捨てるように右手を振り払う。だがミズノを背もたれに押し付ける程度に、本気ならば壁を突き破って店の外まで放り投げられるだろう膂力は全力で加減して、席に戻る。そんな、どこまでも愛らしくて堪らない姿に、今度は確かな自信を持って笑みを作り、


「ブーメランぶっ刺さってるの、気付いてる?」

「茶かすでないわ!」


 テーブルを揺らす拳の上で、赤くなった瞳が僅かに潤んでいた。常は昏く深い黒、されど折に触れて、夜空のように寂しげな紫を映したり、感情を露わにすれば激しく燃える輝きに、しばし見惚れてしまったから、次の言葉を出しそびれた。


「分からん。分からん、何も分からん。同じだというのなら余計にそうじゃ。安い同情など要らんじゃろう。助けなど求めておらん。善意良心で差し伸べられるお節介なぞ、純粋であればあるほどにぶち殺してやりたくなる。他ならぬ儂がそう選び、そう生きたのじゃから」


 かぶりを振りながら吐き出される思いの数々、その真意を、ミズノは知らない。カナメは何も話さないから。彼女が再生の女神などと、滅びの化身などと、黒の王などと謂われ畏れられる本当の所以を、カナメの真実を、何一つとして。


 それでも、頷いた。怒りに眉を寄せるカナメに構わず、ただ分かると肯定した。始まりが違えど、道程みちのりが違えど、きっと、そんな思いを抱くに至った、結果だけは。


「どんなに下らない末路でも、俺が成したことだから。何も知らない奴に、上から目線なんかで憐れまれでもしたら。同情なんてされたら、きっとその場で殴り殺すと思う」

「だったら、何故」

「だから、ええと。……愛情?」


 カナメがズッコケた。


 頭からテーブルに突っ込む様に、ちょっと嫉妬したと、そう漏らせば道端のウンコでも見るかのような目が向けられてゾクゾクした。しばしの後に、全てを諦めるかのような、長い、長い溜め息がカナメの腹の底から吐き出されて、


「話が通じん」

「おっと、純粋な恋心に多大なダメージですよコレは」

「だから、何故に、お主はそこまで……」

「カナメさんを愛してるから?」

「言い換えても意味変わらんじゃろうが。ああ、もう、だから……」


 もう一度、長い溜め息。マズイな、短時間に愛だの恋だの連発し過ぎて威力が落ちている気がする。やはりここぞの切り札として運用するのが最適か、しかし思ったらすぐに伝えたい派のミズノはどうしたら。眇められたカナメの半目は、そんな下らない思考も見通すようで、


「……儂が、人だったからか」


 問いに、首を傾げれば「誤魔化すな」と続けられる。くい、と顎にて指し示したのは、ミズノの胸元だ。手を入れて抜き出した細い鎖、その先に吊るされた二つの銀に、カナメは頷く。


「見せたことあったっけ?」

「儂の尾角を誤魔化せると思うな、馬鹿者め」


 嘘だろうなと判断した。ミズノにとっては対カナメ最強の切り札そのものだ。寝ていようが気絶しようが完全に隠蔽して手は抜かない。ならば昨日切っていたのだ。カナメの不機嫌、もといツンデレの元凶。


 すなわち、通らなかった。だが効いていた。この指輪は正しく、役割を果たした。敢えてカナメから、その問いを引き出した。なぜミズノが、未だこの指輪を抱えているのか。


 ……もう一手だな。決め込み、ただカナメを見据える。


 カナメは眉をひそめる。ミズノに真正面から、相対するように。


 覚悟を、決めるように。


「――どー見ても、ただのゴキブリでしかなかった儂に、情を向ける理由などあるまい」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る