第一章 白き人間と黒の蜚廉(2)

 膠着は一瞬。戦端は即座に開かれる。影踏みを警戒するカナメの攻勢には無視できぬ迷いが生まれ、しかしそれでもミズノの大剣一振りに三から五度の拳が蹴りが入れられるのだ。彼我の速度差は依然にして歴然。ならば一撃で五度の打撃を叩き落とせばいいではないか。構えて一度、踏み込み振り始めに二度、最大打点と振り終わりに三と四を合わせ、次へ繋ぐ一呼吸の残心に五度目を重ねる。故に剣戟は先へ先へ、瞬後のカナメが立つだろう場所へと信頼全部にて繰り出され、なお愛しの彼女は全てにもれなく応えてくれるのだからこれほど嬉しい楽しいこともない。ところでカナメの目がどんどん据わっていくのはこの際置いておく。普段は楽し気に笑っていてくれるのだからそれでいい。


 一歩を踏み一刀を振るうごとに二人だけの世界を作り上げてゆく。意識と刃が共に研ぎ澄まされ、カナメとの境界を斬り裂いていく中で、ふと背中から耳に届いてきた声は、


「アレが最弱種の動きかよ……。人間辞めてんだろ……」

「言ってやるな。術やらクスリやら、昔の仲間に散々身体弄り回された結果らしい」

「それは本当に仲間だったのか? 英雄というよりただの実験動物では?」


 極めて遺憾な会話が友軍の中で繰り広げられていたが、極めて遺憾なことに大方事実であった。何も言い返せず閉口すれば、同じく聞き耳を立てていたのだろうカナメが小さく吹き出す。まあ、笑ってくれるのだからそれでいい。ほんの一拍だけ晒された致命的な隙を、突くような無粋は犯さず、ふと緩んだ空気に頬を綻ばせていれば、


「うわあ、カナメ様ほとんど本気で戦ってる……。なんかめっちゃ楽しそうなんですけど」

「実際楽しいだろ。千年ぶりに目覚めて出会った同格が自分の旦那だぞ?」

「カナメ様ツンデレだしな。昨夜のアレも恥ずかしかっただけで何も本気でキレたわけじゃ」

「「「なにそれ詳しく」」」


 それはこっちも詳しく聞きたいところだが黒の眷属共よ。この茶番が露呈しそうな会話は慎んでくれまいかと思いつつ、やはり聞き耳を立てていたらしいカナメが分かりやすく赤面したので良しとする。よくやった蜚廉の末裔たちよ。可愛いはただただ正義であった。


 言うて今日は派手に切り札を二つ切っているのだ。大事なのはメリハリ、ダラダラやらねば早々バレることもあるまいと、今はただ目の前の可愛い生き物とイチャつくことに没頭する。


「今日こそは、祝杯の肴になってもらおうか!(いやあ、今夜も酒が美味いねえ!)」

「一度でも儂を殺してからほざけぇ!(人の顔見てニヤつきながら言うことかぁ――!)」


 加速する。拳は刃は絶え間なく交わり拮抗し空隙を打ち崩し斬り裂いていく。ミズノの足捌きを読み切り踊るように影を躱すカナメへ短距離の瞬動を連発しながら追い縋る。


 いかに頑強とは言え素手にて大剣と打ち合うカナメは無傷とは行かず、されど再生の度に舞う金色の粒子が戦場を彩る。いかに剣技で押し迫ろうと圧倒的な速度差に度々打撃を受けるミズノも、しかし怯むことなく赤と白の軌跡を散らし前へ前へと踏み込み続ける。


 白と黒。赤と金。凄絶な笑みを贈り合う。ただ一人で世界を変えようという身の程知らずがここに二人。否。変えると決めて変えてきた。それが救いだったか滅びだったかなどさしたる問題でもなく、ただ己の我を通し貫き切った。有象無象共がひしめく、混沌の底にあるこの乱世を、力のみを頼りに屈服させた。


 故に。


「行くぞ、白き英雄」

「来いよ、黒の王」


 畏れ多きその名は、ただ己の証明である。


 カナメは右の踵を振り上げる。対するミズノは腰溜め後方へ大剣を引き絞る。馬鹿丸出し隙だらけ超大振りの全撃に、渦巻く狂熱が他者の割り入りなど許すはずがなく。互いに後先も無い全力が激突する、かに、思われた。


 極限の戦場に冷や水を差すが如く、完全に無駄な一歩を前へ踏んだのはミズノだった。


 均衡が破られる。眉をひそめるカナメを尻目に、ミズノはただ一点のみを凝視していた。


 パンツである。


 白い、かぼちゃパンツである。すなわちドロワであった。フリルの飾りとヘソの下に赤いリボンのワンポイント。戦闘中たまにチラチラ見えていたのはこれかあ、そも見せ下着の類でありカナメ本人が気にしていなかろうとパンツはパンツであり何より愛しの少女のパンツである。目と鼻の先、縦に大股開きに、唐突に広がった花園へと吸い込まれるように踏み込んだ瞬の一歩はただの本能に過ぎず、理性にてもしかしたら影踏んでカウンター入るかもしれないなるカス以下の言い訳は即座に頭の片隅へ放り投げ、


「……なんだこれ」


 我ながら極めて呑気な呟きを、こぼした理由はただ一つ。


 ドロワの向こう、尻辺りから伸びている、二本の黒い尻尾のような何か。


 追加で瞬動一歩、影縛りの言い訳も毛ほどの未練なく捨て去り単純極まりない興味本位全開で背後に回り込み、完全なクソガキのスカート捲りの有り様にてしゃがみこんで目視確認すれば、やはり尻尾のようなソレは確かにカナメの腰下、正確には尻の付け根辺りから伸びており、何となく触りたくなってしまったのは理性挟まず本能のみやはり興味本位が全てにて、


「ぴっ――!」

「えっ」


 鳴き声。


 に、続く『リィン』と鈴を転がすような音に、思わずと顔を上げる。


 うっすらと柔らかな細毛に覆われた尻尾のようなナニカの心地良い感触が指から瞬時に抜け去り、中空にて一八〇度瞬間反転クイックターンという物理的に有り得ない機動を見せたカナメの涙目に怒りを滲ませた赤面と白いドロワと黒いローファーの踵が直上、


「ぴゃあああああああああああああ――ッ!」

「ぷべっ――」


 無防備晒した脳天に踵落としが綺麗に突き刺さり奇声と鼻から出ちゃいけないナニカを吹き出しながら顔から地面へ突っ込んだ。周囲の地盤を陥没させ五体は大の字に半ばほどまで埋まり、やけに生暖かい液体に浸かりながら、半分以上潰れた頭が悟りに至った。


 尾角びかく


 ゴキブリの尻辺りに生えている、空気の僅かな揺らぎさえ感じ取るという、超感度の触覚。人への進化を遂げてなお残っていたらしい、彼ら蜚廉種の第三の目とも呼ぶべき感覚器。


 ソレを今しがた、極めて無造作に摘ままれたカナメは。


「帰る――ッ!」


 お気をつけて、と答える余裕もなく、ミズノは速やかに意識を手放した。






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