第一章 白き人間と黒の蜚廉(1)
戦場には風が吹いていた。
爆風とか、そういう類のアレである。
本日は雲一つない快晴にて無風。されど遥か後方から強かに叩き付けられる暴風へとミズノは振り返る。右手で額に庇を作って見やれば、雑多な異種族共と黒の眷属共がそれはもう賑やかに激突していた。ミズノ率いる多種族の混成部隊は武器に異術にと彩り溢れる嵐を、対する蜚廉たちは己が肉体だけを頼りに殴る蹴るの応酬を、互いに惜しみなく贈り合っている。
仲の良いことである。
もちろん皮肉だ。
さて、いつまでも眺めてるわけにはいかないと、大剣を構えながら身体を回す。白金の相棒はその威容に違わず長大にして超重、もはや慣れたものだが重いものは重いのだ。やや引きずるように回し、斜め横倒しにした刃の切っ先を地面へ向ける。下段、と呼ぶには少々以上に低過ぎる、頭に超を付けても過言ではないだろう、構えと呼ぶも怪しい構えにて、
「さて――死ぬには良い日じゃないか? 黒の王」
挨拶代わりの軽口を一つ、恐ろしくも愛しい我が使命における仇敵、カナメへ向き合えば。
「殺す」
めちゃくちゃ睨まれていた。
めちゃくちゃ不機嫌だった。
両目を眇め腕を組んで仁王立ち、何なら左頬は僅かに膨らんでいる。
おかしいな。いつもはあんなに仲良く殴り合っているというのに。さっきの軽口など常ならば「死ぬには良い日じゃないか? 黒の王(今日は良い天気だねえカナメさん)」「この日の下で土に還るならば悔いもあるまい。白き英雄(洗濯物が良く乾きそうじゃのう、ミズノ)」くらいのやり取りだというのに。翻訳に無理がある? 異論は認める。下らん茶番も長いので、捩じくれた意思疎通は以心伝心に近い領域で極まっているのだ。
それはそれとして膨れっ面も可愛いなというのもさておいて。理由は存ぜぬが何やらご立腹である仔細を問わぬわけにもいくまいと、
「昨日は『殺してみろ』だったろ。遂にボケたか?(ごめんカナメさん、昨日酒飲んだ後くらいから何にも覚えてないんだけど、なんかあった?)」
「ぶっ殺す(ぶっ殺す)」
取り付く島がない。
隠しもせず放たれるマジの殺気に背筋が震える。
さてどうしたものかと一呼吸、まばたきの刹那にカナメの姿が消えていた。
気配を辿る。背後に砂粒を転がすような足音。本気の彼女ならば空気の揺らぎさえ残すまい。ならばブラフと全幅の信頼において前へ一歩を踏み込んだ。大剣の腹を持ち上げ押し付ければ打点の外れた衝撃が刀身を伝い背中へ抜ける。右の拳が捻じり込まれる重い金属音に、遅れて小さな舌打ちが鳴った。間違いなく、ミズノの判断の根拠を察したが故の悪態だろう。どうにも何もかも腹立たしい日ぐらい誰にでもある。まさしく虫の居所が悪い。
大剣を大振りに叩きつけるより先に、拳よりも遥かに軽い両足が乗せられる。羽でも打ったがごとき手応えの後にカナメの身体は跳ね飛んでいた。中空にて後転一つ、腕を広げれば、小さな影は青く高い空を背にして舞う。風をはらんで広がるドレスと、ミズノを捉えて離さない漆黒の瞳に、思わずと見惚れてしまったから、嫁の機嫌を取るのも婿の甲斐性と決定した。
攻守交替。追撃すべく大剣を右肩へ、一息に担ぎ上げる。頭上、既に下降へと移るカナメが小さく鼻を鳴らした。「間に合うものか」と言外に込められた意は正しく受け取り、遠く彼女の着地予測点へと、ただ一歩で到達した。
右脚を軸に反転は終えている、後ろ手に大剣を振りかぶりつつ顔を上げれば、カナメの目が見開かれた。驚愕の理由は二つだろう。ミズノの縮地めいた移動。加えて今、中空で転ぶように姿勢を崩した彼女の身体。突然に自由を奪われたが如く、美しき着地制動はつんのめり、重力に囚われ落下するカナメへと、答えの代わりに極厚の刃をぶちかました。
切り裂くためではなく叩き潰すための刀身が細い身体をくの字に折り曲げかっ飛ばす。完璧な打点にて真芯を捉えた威力は一直線の軌道で地面に激突し爆散させた。地響きすら伴う衝撃と轟音を遠く、振り抜いた大剣の切っ先を流し、緩い弧を描く。一呼吸の残心を済ませて再び下段に収めれば、刃をべっとりと濡らす鮮血が、白い光の粒となり解けていくところだった。
「影を、踏みおったな」
掠れ声の回答は、立ち込める土煙の中よりもたらされた。
一度で見抜かれた。役に立たねえ忍術だと、しかし元より得物の鈍重を克服し、一撃を必中必殺へ昇華するための瞬動であり影縛りだ。
見抜ける見抜けない以前に、食らって無事な方がおかしい。
カナメは全身に光を揺らめかせ立ち上がる。唇より滴る赤は消えるより先に拳で拭い、黒く濁る砂利を吐き出した。確実な致命傷を受けた名残は、衣服にさえ見当たらない。
だが、今回は通った。
もしかしたら、殺せるかもしれない。
視線の先――カナメの眉根が寄った。
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