第14話 ケンカ
ようやく僕はレイに話を理解させることができたが、すでに体力も気力も限界で、祭壇前に転がされていた。もういやだ。何もしてないのに災いが起きてるよ。
「レイ、おまえは普通に聞くことができんのか」
「あ?」
「何でもありません」
院長は床に落ちたウィンプルをかぶろうとしたが、レイは抜いていない仕込み杖の先で跳ね除けた。こんな小細工がましいもの使いやがってということだ。
「わたしの何を見て、そんなように言うの?わたしは教会を維持しなければならないのよ。教会にはたくさんのするべきことがあるの」
「じゃ、皆の前でその姿でいればいいだけだ。それなのに金持ちには見せて、それ以外の信者には見せないとかするな。この卑怯者」
院長はレイを睨んだ。
「あんたが考えている以上のことをしてるのよ。このブラコンが!」
「ブラコンて何っ!」
わからないだろうが、僕に叫ぶような内容ではない気がする。僕は二人を止めようと身を起こした。
「どうせ弟が好きでたまらないんでしょ?弟の恋を邪魔したいだけなくせに!わたしたちがこうして近づきかけてるのが腹立つんでしょ?」
「シン、もうこいつのこと好きなのか!」
僕は慌てて否定した。この院長は頭がおかしいのか。どさくさにまぎれて何てことを言うんだ。
「わたしはシンのお姉さんじゃないし、シンはわたしの弟じゃない」
「話と違うじゃない」
「何の話だ?」と、僕。
「な、何なの?」
院長の目が泳いだ。顔は見る見るうちに青ざめた。しかしそんなに驚くことだろうか。たしかに姉弟の設定をしたから、話は違うが。まさかこんなことでね。これがクリティカルヒットになるとは。どこにこんな顔とそんな顔の姉弟がいるのだ。
「ますますバカにしてるわ。あんたはイモジとイチャイチャしていたらよかったのに。それなのにイモジの顔を潰して何してくれてるの?」
「何であんな薄っぺらいアホとメシなんて食わないといけない!」
「確かに彼はアホよ。でもどんなアホでも使い道はあるのよ。アホはアホでもできることもあるの!」
アホは認めるのか。仮にも聖職者だろう。冷静になれ。思っていても言ってはいけない気がする。
「二人とも冷静に」
「黙れ!」「黙れ!」
レイと院長。
「薄っぺらいわ。ペラペラよ。枯葉の方が焚きつけにできるだけマシなくらいにね。奴は父親が偉いから今の生活ができてるだけよ」
薄っぺらいのも認めるのか。しかも枯葉なんて。聖職者にとってイモジは焚きつけ以下の存在なのか。
「ちなみに父親もアホよ。じいさんの威光で馬方組合の頭にいられるだけだわ。なんの解決力もない。頭が馬なのよ。でも有力者なの」
「おまえは金の亡者か」
「誰がお金のこと話した?あなたは勘違いしてる。なぜ?あなたの頭の中がチャリンチャリン鳴ってるってことよ。頭振ってみなさいよ!」
レイは頭を振った。
「鳴ってない!」
「あんたもアホか!」
レイはお金の価値があまりわからない方だ。むしろ他人のために働いている気がするな。そんなにお金にこだわらない。塔の街でも、財布を失ったとき、お金のことよりも僕のために泣いていたし。身軽に稼ぐ行動力もある。その気になれば殺してでも奪い取るだろうしな。
「好きに言いなさいよ。二人して旅ができて楽しいでしょうね!こっちなんてずっと一人よ!」
レイは仕込み杖を抜いた。
さすがにキレたか。
僕たちも好き好んで旅をしているわけではない。特にレイは追い出された身だ。人それぞれある。でも斬り捨てるのはよくない。
「斬ればいいわよ!」
彼女から涙が落ちた。
え……?
「わたしも好きな人と一緒にいたいわよ。でも生まれてから、そんなこと許されなかった。いつも聖女様聖女様!何なの?聖女様って!」
「知るか!」
「わたしは生まれてすぐに聖女様に捧げられたのよ!好きでもない儀式のことを学ばされて!」
「そんなものやめればいい」
「簡単に言わないでよ!」
不意に彼女は涙を隠すようにうつむいた。すぐに床が濡れた。背もたれをつかんだ手が白くなった。
「やめたらどうやって生きていくってのよ。わたしには逆らうことなんてできなかった。いつもいつも監視されてきたの。聖女様に祈れば救われると言われてね。刃向かえば追い出されるかもしれない。そんな怖さを抱えながら暮らしたことある?」
レイは黙っていた。
僕も。
「それに今さらやめたところで、どうすればいいのよ!誰と話したいのか、誰を好きになっていいのかもわからないの。こうして今も教会のために呪術で姿を変えてるのよ」
「もう言うな」
「ここまで言わせておいて勝手に止めないでよ!」
レイは仕込み杖の剣先を院長の喉に据えた。すでにレイの表情は消えていた。対称的に院長は牙を剥いているようなくらいだった。もともと表情豊かな人なのだなと感じた。
「楽しくもない付き合いして、うれしくもないプレゼントされて、おいしくもない高級なもの食べて、笑えない冗談で笑って、抱かれたくもない奴に抱かれて。信者には聖女様のお話をして。いったいわたしのどこに聖女様を語る資格がある?やってること目茶苦茶よ。ねえ!もう自分自身が嫌になる!こうして話している間にも情けなくなってきた」
「ごめん」
レイは鞘に戻した。そして首にぶら下げていた額飾りをつけた。いつもの激しい様子とは違った。
「もう謝んないでよ。余計にみじめになるじゃないの。どれだけ責任が重いかわからないくせに。今のわたしは重さに耐えられないわ」
顔を伏せた院長は肩で息をしながら立っていたが、やがて涙に濡れた床に膝をついた。
「一人にして……」
僕たちは教会を後にして、湖沿いを歩いた。イモジとどう別れたんだと尋ねると、夜にしてくれと頼んだと答えた。もちろんイモジは夜でも構わないと、むしろ喜んだ。
院長は「なかなかうまくかわしたものね。でもあなたの身はどうするの?アホはアホなりに考えてくるわよ。ただこれで教会の顔も潰れずに済んだわ」と自分を嘲た。
「シン、どこまで気づいてた?」
「ん?頭巾をとるまで術で変装していたなんて気づかなかった」
「そうじゃない。あの院長が領主にカムたちのことを告げ口していたことだよ」
僕は整理しようと黙った。話したくなければ話さなくてもいいと、レイは呟いた。そして波打ち際に降りていった。レイは靴を脱いで、わざと砂利の音を鳴らして遊んだ。
「妙な石ころだね。丸っぽいのが多い。中にはまん丸のもある。これなんか中に水が溜まってるよ」
「珍しいよね」
レイの興味は波に移った。寄せてくる波が不思議らしい。僕はタライを揺らしてみればわかるとは言わず、砂利に腰を下ろした。黙って見ていると、レイが戻ってきた。靴を脇に置いて膝を抱えた。
「院長、どうするかな」
「どうもしないだろ。僕たちのことを領主に密告するか。どうやって生きてきたのかわからないけど、たぶんこれからも同じようにする」
「シンは冷静だ」
「気持ちがないのかも」
「シンのくせだね。わたしは言いすぎたかな」
「レイは喧嘩したら嫌いになるのか?また話そうとは思わない?」
「そんなことない」
しばらく僕たちはぼんやりと湖を眺めていた。これだけ水があるのに、それが原因で争うなんてわからないもんだなと思った。
「ミタフの村でバケモノを待っている間に考えたんだ」
「うん」
「村に水路はあるのに自由にできる水がない」
「うん」
「あの教会には貧しそうな人はいなかったんだ。ああして決められたときに集まれるんだから、そうなんだろうけどね。ちょっと余裕のある人が多いように見えた」
僕は話しながら目についたまん丸な石を並べていた。レイの言うように中に水のようなものが詰まっているものもあれば、単にまん丸なものもあるし、妙なものだった。トパーズ、エメラルド、水晶のようなものもあって不思議だった。
「トマヤは水の精霊を信じていると話してた。他の村の人もそうなんだろうか。だから聖女様を信じる教会は村人じゃない方とつながっているんじゃないかと考えたんだ」
「いろいろ考えてたんだな。わたしは何も考えてない。まあ、聖剣を預けることは考えてたかな」
「そのために来たんだよ。でも僕の考えが正解かどうかはわからないんだ。誰が善人で誰が悪者か」
僕は笑った。あとのことはすべておまけにすぎないんだ。カムのこともミタフのことも、そして領主とやらのことも。聖剣を教会に預けられるなら預けて帰ればいいんだ。
「もしわたしがイモジにさらわれたらどうした?」
「救いに行く」
「わたしはシンが白亜の塔に囚われたとき救いに行けなかった」
「また話が違うよ」
「そうかな」
「そうだよ。領主様とやらに会わないわけにはいかないみたいだ」
「楽しみだね」と、レイ。
「ああ」
僕は息を吸い込んだ。このまま引き下がるわけにはいかない。
「よく我慢したね」
「院長の言葉か?わたしはシンのことを考えた。捨てられたんだ。でもシンは黙って聞いていた。だからわたしも同じようにした」
「僕はレイが村から追い出されたときのことを考えていたんだ」
「うん」
「とりあえず教会へ戻ろうか」
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