第11話 報告
「見たことがある気がする」
朝焼けガ鮮やかだ。
レイは縁で村を眺めた。
僕は生ぬるい黒水を飲んだ。レイに勧めたが、黒水は苦くて好きではないと断られた。
「思い出せない」
「見てはいるけどってやつね」
「うん」
僕は脱皮しても記憶はあるのかと尋ねた。何となくだ。人を蛇みたいに言うなと怒った。そもそも人があんなまぎらわしい成長はしない。
「昔に会ったとか?」
「村にいるときはバケモノは見たことはない。森でも。それとバケモノに知り合いはいない」
「それはレイたちの村がバケモノの村だからだとか?」
「じゃ、シンは木の股から生まれたバケモノだな」
レイは女王の剣についた魚の脂を手拭いで拭い、鞘に戻した。黒く煤けたのも拭うだけで消えたので、これからも使えそうだと話した。
「誰かが他から連れてきて、樹の下に置いたんじゃないかな」
「シンはそう考えてるのか。何のためにそんなことするの?」
「まあ、相棒が買うか拾ってきたどこの馬の骨かわからん奴よりも気が楽になるだろ。どこか秘密めいた話がある方が安心しただろ?」
「そういうことか。この件が済んだら村へ行こう。皆殺しにしてやる」
「想像だよ。それにこの件が済んだら、僕はあっちの世界への門番を探す」
「ああ、そうだね。シンはどこからか来た。旅のときには、ずっとわたしを守ってくれたし、何より自由のない繋がれた魂を解放した」
「そのせいでこの世界がおかしなことになりつつあるけどね」
「シンは小さなことを気にするんだね」
「小さなことかな」
「わたしにはね」
「レイの世界は大きいねえ」
「わたしの世界は湖より大きい」
レイは両腕を広げた。その広げた両腕をもっと広げて胸に空気を吸い込んだ。
「ところでちょっと気になることがあるんだけどね。なぜここにバケモノがいるんだ? 昨夜、僕も考えてみたんだ。もうこの村は捨てられている。あるのは水路だけだったんだろ?」
「うん」
「領主がバケモノで呪ったんなら話は済んだはずだよね」
「そだね」
レイは肩の力を抜いた。でもバケモノがいるということは、村を呪い続けているということ?
「そうかな」
「なぜ?」
「頭に来てるとか」
「ずいぶん昔の話だろ?」
「現に今もトマヤやお婆さんが帰ることができてないじゃん。あんなところに住んでる」
「確かに。でも普通は手に入れたんなら何とかするよな。壊すだけ壊しておいて捨ててしまうのはなあ」
「う~ん」
僕たちは考えた。二人とも同じことに思い当たる。白亜の塔はどうしたんだと。あれは手に入れてはないんだ。単に壊した。手に入れようとすれば、まだ他との戦いがあったはずだ。二振りの剣が権威の象徴だとしても、何の争いもなく留まることはできていなかった。
「言い訳だよね」と、レイ。
「じゃ、やってみたらよかったとでも言うのかよ。やってたら」
「勝てたな」
「いらないよ。あの二人の身代わりができただけだよ」
「領主様もそう考えたのかも」
「元々領主様はここを豊かにしようということだよな。それなら放っておくことはない思うんだ」
「ミタフの馬はミタフのところに帰ってきた。たぶんバケモノはバケモノのところへ帰る」
「なるほどね。レイ、偉い」
「当ったり前だね。これからバケモノの巣へ行こう!」
「どこにあるんだ?」
「わかんない」
「ここだろう」
こんなところでいてはいけないような気がした。そもそもバケモノなんていうものが、一匹でないことも考えられる。レイは探しまくるという提案をしたが、僕は帰るという判断をした。カムとの約束の日も近づいてきているし、バケモノを退治したところで解決にはならない。
「どして?」
「根本は呪いだろよ。倒しても倒しても出てくるかもしれない」
「それでも倒し続ける」
「一生やるのか?」
「シンといられるならいいぞ」
「どうせなら僕は穏やかに暮らしたいよ。とにかく報告だ」
僕たちはミタフ街へ行き、マトヤと老婆にバケモノと遭遇したことを話した。
狭い部屋には、台所、テーブル、ベットが納められていた。奥には天井へと続くハシゴが見える。
「どんなバケモノ?」
トマヤが尋ねた。
僕は、
「暗くて速くて、ちゃんと見られませんでした。とにかく獣ですね」
トマヤが心配そうに襲われたのかいと言うので、つづら折りの道を一直線に落ちたくらいだと答えた。
「雑木林のところかい?村の上のところで、井戸がある」
老婆は尋ねた。
僕はそうだと答えた。
「水路が完成した後、村の井戸はかれてしもうてな。雑木林の湧き水も細うなりよった。森も向こうに川があるんで、そこは畑にした」
「ちなみに水路の番というのは具体的に何をしてたんです?」
「朝晩の点検だな。湖は水の高さが変わるんで、それで堰を開閉しておった。流すか流さんかの判断は難しいらしい。溢れたらおしまいだ」
レイはテーブルの上の壺から果実の粒をつまんて食べた。酸っぱくて眉間にシワを寄せていた。
「一日一粒さね」と、トマヤ。
「管理は領主様のために?」
「そうだな。確かに領主様に与えられた権利だが、他の村のためでもある気ではいたみたいだ」
老婆は続けた。
「気づいたと思うが、ミタフには余裕はない。確かに水の権利は与えられたが、水がなければ生きていくにも生きられん。小さな畑を耕しながら森の獣を狩る、こうしたもんを育てて加工した。これなんかは金になるんでな。」
老婆は酸っぱいものの入った壺を指差した。後は水車で草木をシナシナになるまで砕いて、沈殿した粉を乾かして紙にしたとのことだ。
「紙があるんですか」
「少しな。わたしらも使ったことなんてないが、あるにはある」
老婆は杖を支えにベッドに寝そべると、冷えるでなと足を掛け布団の中へ入れた。たしかにこの界隈は水のせいか、街中よりも冷たい。
「そろそろ教会へ行くか」
僕が言うと、レイは頷いた。
トマヤが、
「お祓いはしてもらえるんか?」
「まあ、まだ何とも。ウロムの村人と会う約束をしてあるんです」
「またどうして」
「領主様に抵抗するための助っ人を探してるらしい」
レイは焼き菓子を食べた。生焼きのお菓子だが、本当はもっと甘いくてしっとりしたらしい。
「おいしいよ。わたしにはこんなの作ってくれる人はいなかった」
「これくらいならあるよ。いつでもというわけにはいかんけど」
レイが三個目に手を出そうとしたので、僕は肘で合図した。子供たちのために焼いていた。全部レイが食べてどうする。レイは一つを僕にくれた。僕が食べたいと合図したわけではない。
「気にせんと食べて。世界が闇に覆われたら、聖女様のところへ行くという話だね。この世界は聖女様が守るという教えだね。白亜の塔の信仰もあるけど、この街じゃ聖女様を信じる人が多いね。噂じや白亜の塔も潰れたみたいだし」
「はあ」
僕は苦笑した。
「ちなみに白亜の塔はどんな教えなんですか?」
「死んだあと、肉体からら解放された魂は、永遠に幸せに暮らせるとかいう話だね」
「永遠の幸せですか」
「でもわたしはね、ぬくもりがないと悲しいと思うんだわ」
トマヤはレイを背後から抱き締めるようにした。またたいていコロブツ地域の人々は水の神様を信仰しているのだと教えてくれた。聖女派は少なくはないし、他地域では主流なところもある。白亜の塔派は塔の街近辺に集まっているが、特にこれまでは表面上は平穏だったと。
「なあ、シン」
レイはトマヤの腕に腕をからませながら尋ねた。まるで親子だな。
「今の話じゃ、剣を聖女様出お祓いしてもらうのはおかしい?」
「僕もそう思う。でも持ち続けるのもなあ。じゃ、湖に捨てる?」
「この二人が納得する?」
「するもしないもね」
「湖、干からびるかも」
「否定できないところが怖い」
「おまえさんたち、何か訳があるようだね」
老婆は尋ねた。
信じられる信じられないは別のことだと前置きして、僕は魂の住むところにいたことを話した。二人が経験した白亜の塔でのことだ。
「結局、僕は一つのものを守ろうとして、たくさんの人々の幸せを壊してしまいました」
老婆はケラケラと笑った。
「で、聖剣を託されたと?」
「これが聖剣ですか?」
僕の知っている聖剣とは、ずいぶん違うもんだ。アーサー王伝説やロンギヌスの槍などは、まだ聖なるものの意味も理解できるが、この二振りには聖なるものなどない気がする。
「まあ、魂のまんま永遠に生き続けるというのはどうかの」
「どうなんですかね。僕には言う資格なんてないんですけどね」
「すべて忘れて生きていくというのは生きていると言えるのかの。新しいところへ行くことも許されずにいるのは幸せなのかの」
「今は考えられません」
僕はレイの視線に気づいた。やわらかな表情だ。口をモグモグしていなければ、もっと良かった。
よく食べるよな。
トマヤがレイの髪を手ぐしでなおしてやった。トマヤはレイにやさしく何やら声をかけた。レイは驚いた表情をしてから笑みを浮かべた。
「わたしにもあなたみたいなかわいい娘もできたわ。だから……ね」
まだ少し髪が短いかなと言いつつ、トマヤはレイの髪を紐で結んだ。そこには小さな青い石がはめ込まれていた。
「どこにいてもわかるようにという呪いがかけられておる。じいさんがわしにくれた」
老婆とトマヤはレイにプレゼントすると決めていたようだ。二人同時に僕を見て、老婆が呟いた。
「どこにいてもわかる」
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