第8話 漁師
教会に来た。
丘からは湖が望めた。
手前に尖塔が建ち、ぐぐると礼拝堂がある。壁は寝かせた羽目板がはめられていて、庇には装飾が施されていたが、残念なことにツタで見え隠れしていてた。
十人ほどの子供が敷地の芝生で遊んでいた。それぞれ好きな服を着ていたので、教会とは関係のない近くの子供かもしれない。
「平和だな」と、僕。
「教会って何?」
「へ?」
そこから話すの?
僕は外套を脱いだが、ハンドアックスが見えるので、また羽織りなおした。
「教会というのは、悩みを聞いてくれたり、祈ったり、宗教を広めるためにあるところだよ」
合ってる?
「宗教って?」
「神様を信じること」
「神様?」
「もういいや」
僕は玄関から入った。
「怒らないで教えてよ。わかんないから聞いてるのに。わたしバカだから理解できないかもしれないけどがんばるから」
「レイ」
僕はレイを見据えた。
「ちゃんと聞くから」
「違うんだ。よく聞いて。レイはバカなんかじゃない。二度と自分のことそんなふうに言わないで」
「わかった。わたしは賢い」
「惜しい。まあ、僕は怒ってるわけじゃないよ。何て言えばいいのかわからないんだ。改めて聞かれると困るよね」
「シンの世界にもあった?」
「あるけど、僕はちゃんと学んでないからわからない。信じてれば幸せになる存在?」
レイの頭の中で何かが回転している様子だった。今の彼女には何かを言えば言うほど迷いそうだ。
「いつも守っていてくれてありがとうございますみたいな」
「そうそう!」
「シンのことか?」
「それは違うと思う。あ、僕と別れたとき何かに祈らなかった?」
「祈らなかった」
レイはわずかに上を向いて、顎に指を添えて考えていた。僕自身も礼拝堂に入って考えた。礼拝堂の左右には三人掛けの長椅子が並んでいて、正面に祭壇、少し左手に教壇がある。天窓から入る光だけが照らしていて、昼でも薄暗かった。
「行けばわかるんじゃね?」
「そだね」
僕は祭壇の前で立ち、どうしていいのかわからなかった。天窓から差し込んだ光に、女性像が浮かんでいるように見えた。
「あれが神様なのか?」
レイは小声で聞いた。ただ静かなだけではない、この場の雰囲気を察している様子だった。
「神様って小さいんだな」
残念!根本からおかしい。頭で理解するものではないが、レイにはきちんと学んでほしいもんだ。
「あれは神様じゃない。神様はもっと奥にいるんだ」
「壁の中?」
「レイ、目に見えるものがすべてじゃないんだよ」
「そんなことわかってる。シンが塔にいたとき、シンはわたしはいつも近くにいた。貴族を吊るしたときも屋敷を焼いたときも屠殺場に殴り込んだときも。堰を壊したときも」
「あ、ありがとう」
貧しさや病気など、人には自分の力でどうすることもできないことがある。これは何かのせいだと思わざるをえなくなる。そんなとき救ってくれる存在を意識するんだ。
「つまり自分にマイナスのことがあるとして、はじめて神様を意識するようになるってことでいい?」
「そ、そうかな?」
僕は首を傾げた。何だろう。まさかこんなところでレイと宗教の根本について話すことになるとは。
「シン、あこに絵があるぞ」
長椅子の壁の上に数枚のタペストリーが掛かっていた。僕たちは見上げながら近づいた。僕は長椅子につまずいた。僕はすねを押さえたまま絵を見た。白亜の塔のように動きはしないし、古すぎるのか暗すぎるのか見やすくもない。
「あの絵!」
レイは叫んだ。
もう厳かな空気はいいんだな。
どす黒い麓、中腹、頂の近いところが火で阻まれていた。あれが聖なる地を表した絵ならば、とんでもないところになるが、たいていこういうものは何か別の意味を暗示しているのだろう。僕の願望だ。そうであってほしいものだ。
僕たちが見ていると、
「お兄さんお姉さん、聖なる山に興味あるのですか?」
庭で遊んでいた十人ほどのうちの一人が、あどけないが、物怖じしない調子で尋ねた。それにはレイが答えた。子供相手になると、声も話し方もお姉さんのようにやさしくなる。僕はそんな彼女を見ていた。
修道服の老婆が現れて、あれは聖なるヒルダルの山だと微笑んだ。
「失礼しました」
僕は慌てて立つと、
「僕たちはその聖なる土地を目指して旅をしています」
「聖女教会のコロブツ分院で院長をしています。ようこそお越しくださいました。わたしたち聖女教会は聖なる山に住む聖女様を信仰しています。あちらがご本尊です」
「そうですか。ずいぶん恐ろしそうなところですね」
「確かに簡単には行けません」
僕は腰の剣を鞘ごと外した。
「これをお祓いしていただきたくて参りました。呪具です」
「なるほど。そういうことでしたか。どちらから来られました?」
「塔の街です」
「大変でしたでしょう?」
街道では強盗に襲われるし、勘違いで馬飼いに捕まえられるしで大変でした。それでも旅は順調だと答えた。すると院長はそうではないと答えた。白亜の塔のことだと。
「あ、ああ……」
レイが、
「あ!」
隅の方で声を上げた。まったく院長の話を聞いていない。タペストリーは全部で五枚だが、五枚目に犬のような姿を見つけた。犬なのかはわからない。とにかく元の世界の犬に似ているのだ。この世界には馬かはわからないが、馬に似ているものがいるので、同じように犬もいるはずだ。
「ここに犬がいる!」
「犬なのかな」
レイは指差した。確かに白とも銀色ともいえる毛並みの犬のようなものが描かれていた。二枚目の聖なる山に牙を剥いた。レイの頭をいくつくわえられるだろうか。どれくらい巨大な山なんだ。それとも絵の作者が下手くそなのか。山の頂上に館が見えるのも凄まじい。あんなところに住んでいるのか。館も燃えているように見える
「院長様、あの甲冑の人たちの後ろにいるのは、犬なんですか?」
「これは聖女様を閉じ込めたお父様の飼い犬ですね。この絵はお父様の家臣の騎士が聖女様を追い詰めているところです。伝え聞いたところによれば、この絵は本当は六枚あるのですが、わたしが赴任したときには五枚しかありませんでした」
「六枚目は?」
「盗まれたとか。ちょうど五枚目と六枚目に犬は描かれていますね」
「院長、ここに剣を預ければお祓いしてくれるの?」
レイが尋ねた。
「呪具の強さにもよります」
「今の院長はお祓いの力があると聞いていた」
「わたしが?どなたがそんなことを仰っていたのですか?」
「ウロム村のカムという奴だ」
「信者です。お二人はカムとお会いしたのですか?どこで?」
僕はカムを含めて三人と塔の街から街道沿いで会い、教会で待ち合わせすることになっていることを話した。カムは何か頼みませんでしたかと尋ねられたので、僕はレイと話していいのかと顔を見合わせた。
「強い人を探していた」
レイが素っ気なく答えて、背中に担いでいた剣を取り出した。
「これ、お祓いできる?」
「これは同じもの?」
「よくわかるな」
「え、ええ……」
院長は難しい顔をした。二振りの剣の凄さを察したのか、それとも演技なのか僕にはわからない。
「基本、簡単なお祓いはわたしでもすることができます。でもこれくらいのものになると、ここでは判断しかねます。本部へ預けることになるかと思います」
「じゃ、わたしたちはここに預けておけばいいの?」
「いいえ。こちらが判断できるまで御本人でお持ちください」
院長は穏やかながらも力強く押し返した。どこまでも慈しみ深いような態度だが、意思の強さもある。
「とにかく置いとく?」
僕が言うと、
「困ります!これほどの邪気をまとっている道具は、さすがに一存では判断できませんので」
レイは焦る院長に聖なる地はどこにあるのかと尋ねた。
「日が沈むところです。湖の向こうは日が昇るところですから、教会の裏手になりますね」
「教会の裏へ置いとく?」
「そういう意味では。そんな近くにあれば、ここが聖なるヒルダルになりますでしょう。もっと遠く」
「どれくらい?」
「距離ではないのです。いくつもの苦難があるのですよ。ですからわたしたちは聖女様に祈るのです」
「何を?」
「いつか聖女様の下にお仕えできるように。苦難を乗り越えさせてくれるようです。これから何が起きるかわかりません。秩序を司ると恐れられた白亜の塔のように。この世のものとは思えないほど醜い半身半獣を見たとか。死者の恨みを聞いた者もいるようですね。生きる者と死んだ者の隔ては案外と低いのかもしれません。いつの日かわたしたちは聖女様の館でお仕えするのです」
「仕えるのか」
レイは不満気だ。
「奴隷か?」
「まさか!」
院長は深呼吸をした。
「お二人は、まだ聖女様を理解する必要がありますね」
院長を怒らせたな。
「三日後の朝の十時に勉強会がございます。無理にとは申しませんがお越しになられてはどうですか?」
レイは「どうする?」と僕を見た。どうせカムにも会わなければならないし、何にせよ意地でも剣を預けないとならないのだ。
「他の人も来ますから、たくさんお話を聞けると思いますよ」
「じゃ、そうしよう。レイ、僕たちは聖女様について学ぼう」
「どんな人が来るの?」
「昔からコロブツの街の発展に尽くされている方や、対岸の穀倉地帯の管理をしている方、何よりも聖女様の教えにを理解してくれている方ですよ。皆さん奇策な方ですからお話してみるのもよろしいかと」
僕たちはまた来るという約束をして教会を後にした。こっそりと教会の敷地へ剣を隠しておこうかと話したが、どちらともなく諦めた。
丘の道を下るとき、
「カムは来るのかな」
レイが耳もとで聞いた。
もうしばらくかかるんじゃないかな。まだ探すとか話していたし。強い奴なんて見つかるのか?しかも領主に刃向かおうとう条件だぞ。
「でも院長、カムのことを気にしてたな」
僕が言うと、レイは驚いた表情をした。レイがわざと話を逸らしていたように思えたのは気のせいではないのか。なかなか策士だね。
「院長、嫌いだ」
「何で」
「何でも。信じられん。カムのことも話さないようにした」
沈黙が続いた。
本当にお祓いしてくれるのか?
とにかく宿だな。
レイは湖が見えるところがいいと望んだ。そんなところは高くないかなと思いながら探したが、食堂の二階に入ることができた。安いには安い理由がある。朝、湖で漁師が捕まえてきた魚の買いつけがはじまるので、やたら騒がしかったのだ。
僕もレイも気にしない。
翌朝、魚を選んだ。漁師は夜から朝にかけて漁に出るらしい。売るのは家族の仕事だった。老人は一仕事終えた後の一服をしていた。
「買いに来たんじゃねえな」
「すみません」
「いいよ。組合の連中が買ったあと残るからさ、それ安くなるよ。どこかに泊まってるのか?」
「あの食堂の上で」
「ああ。買っていけば料理してくれるぞ。とんび丸のじいさんに聞いたと言え」
「賑わってますね」
「ちょっとこれでも不漁だな。あっちの方も聞いたがダメらしい」
老人は見えない対岸を見た。朝日が湖面を照らしはじめていた。
「下の方で堰が壊れて、それで湖の中の流れが変わったとか文句垂れてた奴がいるけどな」
レイは無言で離れた。
漁師は改めて僕の下から上まで見た。
「おまえさんは何だね?」
「何だねとは?」
「水の匂いがせんから、漁師でもなかろうよ。商売だ。当てようか」
「わかりますかね」
「兄さんは、木と革だな」
「わかるもんですね」
「ええ手斧を持ってる。その革鞘もあつらえもんだ。しかしお嬢さんは剣を持っとるんだな」
「あれは途中で頼まれて、教会へ預けに来たんですよ」
「そうか。呪具の類かい」
「そうらしいです。でも教会には本部に聞いてからでないと、預かることはできないというようなことを言われましたね」
「世の中、なかなか思うようにはいかんもんだな」
「堰のせいで!」僕は聞こえるように続けた。「おじいさんの漁に影響が出るなんて」
「ハハハ。水とともに暮らすということは、こういうもんでな。こっちが合わせるしかない。そうして暮らしてきた。すべて思うがままにどうこうできるもんではない」
レイは見えない対岸、その遥か彼方から現れつつある美しい朝焼けに目を輝かていた。皮肉も聞こえていない様子だが、それもまた彼女らしい。こうして黙っていれば絵になるのに、やることはえぐい。
「それにこの前は白亜の塔が壊れたとも聞いとる。わしは見たことはないが凄い塔だったらしい。おまえさんは塔を見たことがあるのか?」
僕は否定しきれず、一夜で潰れたという話を聞いたと答えた。あんな巨大な塔が潰れるもんですねと。
レイは「おまえもだ」と笑いを堪えて、肩を震わせていた。こんなところは聞いているんだな。
次はズミの手紙だ。
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