第4話 蜘蛛

 気にも留めていないが、この世界の月はいくつあるのだ。こう考えるということは、気にしているということか。特に調べる気もないということは気にしていないのだ。暇つぶしということもある。街道を歩いていると、青空に月が見えていた。

「シン、何をさっきからブツブツ言ってるの?」

「別に」

「あのこと?正式に引き受けたわけじゃないんだし気にするな」

 もうすでに僕たちは剣に呪われてるんじゃないか?

「夜の月はもっと鮮やかだったような気もするんだけどな」

「ん?月は二つあるぞ。たまに三つになることもある」

 太陽みたいなものは東から西へと動いているが、月の一つは太陽と同じように動いていて、もう一つはどうなっているのかわからない。南から現れ、北へと沈むらしい。あくまで太陽が東から昇ると決めての話だが。この南北に動いているのは小さい月だ。二つが夜、重なるときに合わせて種を蒔く。

 今回の件、近づきたくない。

 でも責任はあるよな。

「疲れたの?」

 背中に剣を差したレイが振り向いた。本調子ではないことを隠してはいるものの、どこまで隠せているのやら。気がつけば、腰のところに手を添えてくれているので、たぶん彼女なりに気をつけてくれている。異世界に来ました。腰を痛めましたなんて恥ずかしいよな。節々が軋むし。

「大丈夫?」

「気にしなくてもいいよ」

「どうかなあ」

「次の駅まで少しだろう」

「おう!」

 どこが少しだ。くたくたでたどり着いた。レイは途中で休もうと言ってくれだが、僕にも意地がある。

 ただ街道は快適だった。悪いことをしてお尋ね者になるにしても、すぐに巷に噂が流れない。そう願いたいものだ。馬車や荷車が行き交い、途中では馬に休憩させる駅もある。駅にはそれで暮らしている小さな集落ができていて賑やかだ。

「そもそもわたしは悪いの?」

「どういうこと?」

「国王と女王を殺したのも、塔を壊したのもシンだ」

「この期に及んでそんなこと言うんなら、貴族街を薙ぎ払い、屠殺場を壊したのは誰だよ。レイの方こそ悪意あるぞ。堰も壊しただろ」

「証拠あるのか」

「ここに書いてあるよ」

 僕はレイの白い頬を指でつついた。ぐうの音も出まい。道理で今回の件も前のめりになるわけだ。

「なあ」

 僕は声の調子を落とした。よかれと思ってたやってみたものの、どうしようもなくなることはある。

 しみじみと呟くように話した。

「善意だったのに、こんなことになるなんてな」

「うん」

「ほら。やっぱりレイがやったんじゃないか!」

「あ!引っかけたのか!」

「今さら何だよ」

 僕は馬の飼い葉桶の隣の店に入って、水を買った。ひょうたんのようなものに入っていて、飲むと元気になるという、ひょうたん水。いいネーミングではないな。レイにも一つ渡した。二人、広場のいたるところにある腰掛けの一つに座った。

「水ってのはうかつに触らない方がいいんだよ。これ、少し甘いね」

「甘い。この入れものの味?水は上から下へ流れる」

「水はね。でも流れるままでは使えないんだよ。これはいつの世でもあることなんだろうね」

「雨だよね?そんなのみんなのもんだと思うんだけどなあ」

「水はみんなのもんだ。でも水路とかため池とかの施設とかさ。やっぱり誰かが作るわけだよ」

「うん」

「だから人の気持ちが絡み合ってるんだ。そうなるともめるんだな。ひょうたんと同じだよ」

「これ?」

「ひょうたんを作る人、水を汲んでくる人、詰める人、売る人。たくさんいるだろ?」

「うん」

「まあ、揉めるんだね」

「そっか。善かれと思ってしたことなのに。塔を壊したのもね」

「それは言わないで」

 僕は頬杖をついた。

「あれでよかったのかなとは思うんだよね。壊さなくても何とかできたんじゃないかな。百歩譲って壊さなきゃならないとしても、後片付けはしないとね。レイにも強くは言えないんだよな。似たようなもんだ」

「あの村は喜んでたぞ」

「その代わりにウロムの村々は水が枯れて、領主様と一触即発だ」

「女王様は喜んだけど、この世界は闇に覆われようとしている」

「似てるな。難儀だね。あちらを立てればこちらが立たずだよ」

「世界が闇で覆われれば、焚き火でもすればいいんじゃない?わたしは気にしない。気にする?」

「少しは責任あるかな」

「へえ。責任ってたくさんとか少しとかいうもんなの?あるかないかじゃない?」

「厳しいね」

「責めてないよ。シンに責任なんてないもん。あるって言う奴がいたらいなくなるまでぶち殺してやる」

「ありがと」

 上半身裸の男がニコニコしながら近づいてきて、馬に乗らんかというので、僕たちは乗ることにした。レイが乗ってみたいと言ったのだ。一人一頭にまたがった。歩いてもいいのだが、レイが少しくらい楽をしてもいいだろうと言った。気遣ってくれているのかもしれない。

「馬なんてはじめてだ」

「僕もだ」

「練習しなかったのか?」

「してないなあ」

「見える見える」

 レイは高いところが気に入った様子だった。二人とも乗馬は知らないが、馬方がうまく手綱を保ってくれるので楽だった。

「次の関所までだ」

 訛のある言葉で言った。

「関所あるの?」

 僕は慌てた。

「あるべ。前の関所の手形あるべか?」

「手形そのものがない」

「あんでまあ。どこから来なさったんかの」

「塔の街ですが」

「もともとそこに住んでたか?」

 どこに住んでたと尋ねられるとつらいものがある。住んでいたしかるべき者の紹介や役所、商工組合などの手形があるといいらしい。いちばんは商工組合の手形だと。

 レイが、

「これか?」

 と、革帯から取り出した。革の巻物のようで、二本持っていた。

「二人とも皮革組合かね」

「ひかく?」

「革だ」

「ああ」

 僕は布の外套をわずかに払い、右腰のハンドアックスを見せた。

「なかなかええ品だ。さすが組合の人だ。それは高いだでな」

「組合発行なら間違いね。関所で見せたら大丈夫だ。どこへ行くべ?」

「コロブツの街へ」

「それがあれば市門も通れるで」

 市門とは街への出入口のことだった。特に武器を持つ者は面倒らしい。だからレイはいろいろ尋ねられるだろうということだ。レイはもう一組の青銅の板を取り出した。

「それは狩猟組合のもんだな。二つ持ってれば上等だわ」

 アラもいろいろ考えてくれたようだった。単純に捨てやがってと恨んでもいられないな。それだけのことをしなければならない後ろめたさがあるのかもしれん。

「おたくら流しの革職人かね」

「そうですね」

 よくわからないが、そういうことにしておこう。土地から土地へ革を求めて旅をする人らしい。誰しも動物を殺すことは、好き好んですることではないので、こういう仕事が成立するのだ。僕もやっていた。

「しかし何だな。旦那さん、すべて嫁さんに預けてるなんざ、豪気なお方だな。お嫁さんさらわれたらおしまいだでな。ここは盗人とか出るから気をつけねば」

「街道でも?それにこんなもん盗んでどうするんですか?」

「欲しいが、手に入らんもんもおるからな。ちゃんとしたもんは高いし。特に革関係はなかなか正規では発行せんからな。ところで旦那さんは関所を簡単に抜けたくねえべか?」

「普通に手形見せればいいんじゃないの?」

「剣とか持ってると、いろいろ聞かれるからな」

 不意にレイを乗せていた馬の馬方がレイの背後にまたがると、あっという間に脇道へ逸れた。蹄と土埃が遠くへ消えてゆく。

「気をつけねばなあ」

 僕の馬方は杖から剣を抜いた。仕込み杖になっていて、腹でも刺されたくなければ静かにしろと、ゆっくりと街道を脇道へと逸れた。

「彼女はどうなる?」

「命まではとらねえだ。金と通行手形と体くらいだな。おまえさんの嫁さんはべっぴんだ。売れるかの」

「大丈夫かなあ」

「てめえの心配するべ」

「僕?」

「おまえさんはいらね」

 仕込み杖が左脇腹を突き刺そうとしていた。しかし剣は左腰のハンドアックスで滑った。胴巻きの革に刺さって抜けなくなったまま、バランスを崩した馬方に巻き込まれるように馬から落ちた。

「シン!おーい。シーン!」

 声が近づいてきた。茂みから現れたレイは右手に女王の剣を携えて、左手に生首を持っていた。

「この剣、めちゃくちゃ斬れる」

 返り血まみれの顔で笑った。

「それ、使うなよ。僕たち何のために旅してるか忘れたのか」

「おまえ男と何をしてる」

「落ちた」

 僕が軽く笑うと、レイは薄暗い顔をした。馬方の仕込み杖が僕の外套に刺さっているのを見たからだ。

 レイは生首を落とすと、馬方の額に剣先を押しつけた。それは両手剣ではないのか。軽々と片手で操っているぞ。それに呪具を使えば災いに巻き込まれるから、それを捨てるために旅しているのに平気で使うかな。馬方の額から血が流れた。

「待で」

「何を待つ」

 馬方の顔が血に染まる。とりあえず仕込杖を捨てて、僕から離れろと命じた。馬方は這うようにして言われるようにした。まだ仕込み杖を構えていたものの、すでにさっきまでの威勢はない。半身裸の筋肉が震えていた。汗も暑さのせいではなく、冷や汗だった。

「旦那、つい出来心で」

 彼は言った。立った僕が土埃を払っていると、レイが馬方の両手首を斬り落とした。腕から血飛沫を撒き散らして、彼は喉が潰れんばかりに叫んだ。人はショックを受けると膝から崩れ落ちるらしい。

「ケガはない?」

「僕は大丈夫だけどさ。斬る必要あった?これ、どうするの?」

「うるさい。聞こえない」

 レイはのたうち回る馬方の脊椎に剣を突き立てた。これで彼の叫び声は消えた。

「だから使うなよ」

「しょうがない。とにかくすごい迷惑だ」

「そりゃ、強盗だからな」

 僕は手拭いを濡らしてレイの顔についた返り血を拭いてやった。馬は驚いて逃げたし、僕らは街道を歩けなくなった。たしかに迷惑だ。

 馬は空のまま馬主へと戻る。おかしいなと感じた胴締めが人を送ってよこし、もう一頭と二人の死体を見つけることになるのか。

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