人の話を聞きなさい
作戦会議を終えて、あっという間に放課後となっていた。
夕暮れの廊下を歩きながら、小太郎と鏡花は意思確認をする。
「さて、方針が決まったのは何よりだが、そのためにはどうすればいいのやら」
「あんたが付きっきりになって秋良の世話をするしかないでしょ。それにしても、学校じゃ秋良とクラスが違うからどうしようもないわね」
そんな会話をしていた二人の耳に、とあるヒソヒソ話が飛び込んでくる。
「え? それって本当なの?」
「間違いないって! 確かに三鷹くんだったの!」
聞き覚えのありまくるその名に、小太郎と鏡花は同時に反応する。
「でも、あの三鷹くんがねぇ……ちょっと信じられないかな」
「もしかしたら何か事情があったのかも。じゃないと、あんだけごく普通に女子トイレなんて入らないだろうし……」
小太郎達は、同時に目を合わせる。
「女子?」
「トイレ?」
そして、同時に溜息を吐き出すのだった。
「秋良、どうやら男装しているのを忘れて女子トイレに入ったみたいね……」
でも堂々としてたおかげで、あたかも大義名分があったかのように思われてるみたいだけどね。
「男子が女子トイレに入る大義名分ってなんだよ。学校中の男子が一斉に腹を壊したりしない限りないだろうに」
すると話をしていた女子はハッとする。
「わかった! エリスさんよ! エリスさんがお腹を壊したのよ! それで二階の女子トイレに駆け込んだんだけど……!」
「そっか! 入った個室のトイレットペーパーがなくなってたのね! それで仕方なく三鷹くんがトイレットペーパーを届けるために女子トイレに入ったってことか! さすがは敏腕執事ね!」
どうやら勝手に解釈が進んでるみたいだね。
「あいつらアホだよ。間違いなくアホだよ。アホしかいねえよ」
「勝手に腹痛にされた挙げ句、トイレットペーパー切れの被害者に仕立て上げられるエリス……なんて惨いの……」
ともあれ、あの二人は都合よすぎるくらい勝手に解釈したけども、このまま放置するわけにもいかないかもね。
「そうだな。このままだと警察沙汰になりかねん。俺の知らないところでいつの間にかゲームオーバーだなんて勘弁して欲しい」
「まったく、面倒をかけてくれるわね。山田、私が秋良のところへ行ってくるから。あんたは先に帰ってなさい」
「いいのか?」
「仕方ないでしょ? あんたが女子トイレに入ったのなら、それこそおそらく即ゲームオーバーよ。ゲーム的にも、社会的にも」
そして鏡花は、女子達に見つからないように二階の女子トイレへと向かう。
そのトイレの個室は一つだけ閉まっていた。
おそらく、秋良だろう。
「やれやれね……。秋良、いるんでしょ?」
ガタガタッと、激しい物音と同時に、個室からは引き攣った秋良の声が響いた。
「や、やあ鏡花。どうかしたんですか?」
「どうかしてるのはあんたの方よ。ここ、女子トイレよ?」
「ええ、まあ。それはそうですけど?」
まるで事態を呑み込めていない秋良は、素っ頓狂な言葉を返す。
「……三鷹くん、あんた、女子トイレに入っていいわけ?」
「え? だって……――」
そして秋良の声が途絶える。ようやく彼女は、全てを理解したのである。
鏡花は深々と息を吐き出し、入口へと向かう。
「……込み入った事情があるみたいだけど、今後は気を付けなさい」
鏡花は入口に立ち、テキトーに人払いをするつもりだった。
秋良の秘密は触れてはならない。
その秘密を、秋良自身が語るまでは。
鏡花はあくまでもその原則を守るつもりだった。
しかし秋良は、そんな彼女の気遣いすらも余裕で超越し、無下にする。
なぜなら彼女は、三鷹秋良という人物は、ポンコツなのである。
「――ま、待ちなさい!」
突然、秋良が慌てて個室を飛び出した。
その表情は焦りに色が濃く、まるで信じられないものを見るかのように、目を大きく見開き鏡花を見ていた。
「……今出てきたら色々とマズイんじゃないの?」
「鏡花……あなたは……」
そして秋良はゴクリと息を呑み、彼女に尋ねた。
「いつ、私の正体に気付いたんですか?」
「…………は?」
思いもしない言葉に、鏡花は固まる。
「あなたは言いましたよね? 込み入った事情がある、と。それはつまり、私の正体を知っているということ……違いますか?」
「ちょっと落ち着きなさい。私はただ、男子のあなたが女子トイレにいることに何か事情があると言いたかっただけで――」
「誤魔化さないでください! ……そうですか。全てお見通しでしたか。さすがは紫桜館学園の才女、『富士の鏡割り』、藤咲鏡花ですね。正直、あなたのことを侮っていましたよ」
勝手にべらべらと話し始める秋良に、今度は鏡花が焦り出す。
「待って。ちょっと待って。早いわ。答え合わせが早いと思うの。しかもここ女子トイレよ? もっとそれ相応の場所の方が――」
「ええ、そうですよ。あなたのご指摘通り、私は男子ではありません。エリス・クローディア・リリーホワイトの執事は仮の姿。真の姿は、トライホークス財閥総帥が息女、三鷹秋良です」
「こっちは何一つとして指摘していないわよね? ねえ、ちょっと。聞いてる?」
「ふふふ、しかしまさか、こうまでもあっさりと見破られるとは……。これはこれで予想もしていませんでした。すっげぇ面白いですわ、ふふふ……」
「人の話を聞きなさい。私、別に看破していないから。あんたが勝手に自滅してるだけだから」
「いずれにしても、お見事です! さすがですね、藤咲鏡花!」
「…………」
鏡花は考える。
このアホ嬢様はこっちの話を聞いていない。聞く気もない。何よりも勝手に自分から語ってしまったところから見て、もはや後には退けない。
それにしても――と。この黒幕はどこまでポンコツなのだろうか。そのせいでしょうもない茶番に付き合わされ、迷惑を被り、こうまで時間を取られなければならないのか。
程なくして、鏡花は思い立つ。
なんでこんなアホ相手に、必死に否定しなければならないのか――と。
そして鏡花は、わざとらしくニヤリと笑った。
「……ええ、その通りよ。あんたの正体なんて、とっくにお見通しよ」
色々とめんどくさくなった鏡花は、乗っかることにした。
「それにしても大胆じゃないの。天下のトライホーク財閥のご令嬢が、下部組織たるリリーホワイトグループの娘の執事として潜伏するなんて……」
「そこまでわかっているとは……驚きです。単刀直入にお伺いします。あなたの目的はなんですか?」
「目的? そんなものはないわ。私はただ、この退屈を潰せればそれでいいのよ。……ああ、安心して。山田には何も言っていないから。彼を観察することがあんたの目的なんでしょ? だったらその二人の様を、私は見学させてもらうとするわ」
「ふふふ……ふふふ、いい性格していますね。さすがです。さすが過ぎるのですよ、藤咲鏡花」
(なんとか、話が終わりそうね……)
これ以上の時間は取られまいと、鏡花がトイレを出ようとした瞬間である。
「――待ちなさい、鏡花」
秋良は、彼女を呼び止めた。
「まだなにかあるの? 私、こう見えて忙しいんだけど」
「そう時間は取らせませんよ。実は私、少し困っていまして。本来の執事であるエリスが生徒会に抜擢されてしまい、協力者に不足していたんです」
鏡花は彼女の話の意図を瞬時に理解する。
「まさか、あんた……」
そして秋良は、ニッコリと笑う。
「はい。単刀直入に言わせてもらいますね。藤咲鏡花、私に、協力してくれませんか?」
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