マリー・アントワネット曰く





「山田、早く歩きなさい」


 翌週の休日も、鏡花は小太郎と街に出ていた。

 先週とは違い空模様は悪く、東の空には暗雲が見える。もしかしたら、後ほど雨が降るのかもしれない。


「雨が降るらしいぞ藤咲」


 いや確定じゃなくて、降るかもしれないっていう不確定要素だから。


「お前が降るって言うなら降るに決まってるさ。俺はお前を信じてる」


 その信頼度をもっと別のところで発揮できないものかね。


「とにかく雨が降るらしいから、今日はもう帰ろう。そうしよう。チノブもそれがいいって言ってるし」


 言ってないから。

 地の文を捏造するのはやめようか。


「ダメよ。雨が降るなら傘をさせばいいじゃない」


「お前はどこのエリザベス女王だよ」


 小太郎、それを言うならエリザベス女王じゃなくてマリー・アントワネットだから。その間違いは致命的だから。


「いや今はどっちでもいいだろ」


 よくないよ。小太郎の教養がなっちゃいないって話だよ。世間一般的な常識だからしっかりと覚えておきなさい。


「お前はどこ目線で言ってるんだよ」


 ちなみに有名な「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」って言葉は、実際にはマリー・アントワネットが言った言葉じゃないって言われているね。むしろマリー・アントワネット本人は、パンも食べることが出来ない民衆を心配していたっていう資料も残っているくらいみたいだし。

 そもそもの元ネタはジャン=ジャック・ルソーの書物に登場する“とある大公夫人”の言葉で、それがいつの間にかマリー・アントワネットの言葉と誤認されて広まったとされてるよ。その言葉が登場した時期、マリー・アントワネットは宮廷に――。

 

「待て待て。もういいって。いくらなんでもマリー・アントワネット情報の割合がデカ過ぎる。いい加減そろそろマリー・アントワネット酔いするぞ」


 ゲーム内のサブカル知識は意外と重要だよ。

 主軸情報だけじゃすぐに飽きちゃうし。


「それにしたって限度ってもんがあるだろ。恋愛を楽しみにプレイしたのに唐突にマリー・アントワネット談義を聞かされるユーザーの心境を考えろよ」


「小太郎、チノブと会話する時は周囲に気を使いなさい。傍から見ると、小太郎がひたすら独り言を言ってるようにしか見えないから凄く気持ち悪い」


「気持ち悪いなら見なきゃいいじゃない」


「五感の全てで気持ち悪い」


「味覚すらも気持ち悪いってどういうことだよ。ただの体調不良じゃねえか」


「わかった。訂正するわ。独り言を続ける山田は体調不良を起こすくらい気持ち悪い」


「体調不良なら帰ればいいじゃ――」


「いい加減に黙りなさい。これ以上くだらないことを言うなら刺すわよ」


 閑話休題。 


「とにかく、帰ることは許さないわ。だいたい、山田がいないと通り過ぎる人が主要人物かどうかわからないじゃない」


「大丈夫大丈夫。とりあえず藤咲レベルのめちゃくちゃ美人だったり可愛い子がいたら、それたぶん登場人物だから。こういうゲームってのは、ヒロイン以外の登場人物も無駄に美形だったりするだろ。簡単簡単」


 ヒロイン以外の登場人物がとんでもないクリーチャーだったら、それはそれである意味面白そうではあるよね。


「基準がわかりにくいわよ。それに、私レベルに整った顔立ちの人なんていないから見つけるのは不可能ね」


「こいつ、言い切りやがったよ……」


 尊大だね。凄まじい自己評価だよね。


「冷静な自己分析の結果よ。顔には自信があるの」


「そうは言っても、お前、エリス見た時は美人だって絶賛してたじゃねえか」


「美人であることは認めたけど、別に敗北宣言したわけじゃないから。私の方が美人だから」


「お前が美人アピールする度に、お前の美人カテゴリーがどんどん残念系美人に傾いていくからな。それだけは覚えておいた方がいい」


 それから小太郎と鏡花は街を歩く。

 コンビニ、スーパー、アパレルショップ、映画館と、何をするわけでもなく、とにかく人が集まりそうなところを探し回っていた。

 だが主要人物と思しき人物は見つからず、これといった収穫もなく、気が付けば午後を回っていたのである。

 そして昼ご飯をテキトーに済ませた二人は、市内にある公園の屋根付き休憩スペースで一休みをしていた。


「あー疲れた。もう無理。俺キツイ。帰りたい」


「泣き言を言わないの。ほら、次は美術館に行くわよ」


 とっとと立ち上がる鏡花である。


「ちょっと待て藤咲。せっかくチノブが『一休みしていた』なんて地の文入れてくれたんだぞ。ちょっとくらい気を使って一休みしろ。なんなら二休みでも三休みでもいいから」


「私にチノブの文は見えないから関係ないわよ」


「こんなこと言ってるぞチノブ。こんな暴挙を許していいのかよ」


 いや暴挙を起こしてるのは小太郎の方だから。

 ぶっちゃけ僕が許すとか許さないとかじゃなくて、本来僕って物語に直接絡んだらいけないわけだからさ。それなのに気を使われるって僕的アイデンティティとしてどうなのよって話だよ。

 登場人物が地の文の内容に気を使うとか前代未聞じゃん。

 創作の敗北だよそれ。


「とにかく、ガタガタ言ってないで行くわよ山田」


 話もそこそこに、鏡花は小太郎の休息を強制終了する。


「待てって。先週もそうだったけどさ、藤咲ってなんでそんなにヤル気に満ち溢れてるんだよ。どっからその意欲が生まれるんだよ」


「決まってるでしょ? 退屈だからよ」


「退屈、退屈ねえ……」


「何? 何か言いたいことでもあるわけ?」


「いやだって、お前さ、俺と話すようになってから学校でけっこう声かけられるようになってるだろ? なんならそいつらと遊んでもいいんじゃないかなぁって」


「ああ、あの有象無象のバカ達のことね」


 鏡花は急に毒を吐き出した。


「バカって……」


「これまで全く話しかけもしなかったのに、私が山田と話すようになった途端に鈍い笑顔しながら声をかけてくるのよ? 最近山田と話してるだとか、前と雰囲気変わっただとか。何を言ってるんだか。私は私。それは前と何一つ変わっていない。変わったのは自分達の見る目なのに。バカみたいでしょ?」


「いやそれを言うなら、いきなり話しかけたのは俺もそうだし」


「あんたはいきなり罵倒してきたじゃないの。バカみたいじゃなくて、正真正銘のバカよ。バカレベルが他の追随を許さないわ」


「…………」


「おまけに言い訳してきたと思ったら、転生しただのゲーム世界だのタイムリープだの……それを真顔で言うのよ? バカここに極まれりって感じね」


「おい、そろそろキレていいか?」


 小太郎、抑えて抑えて。

 事実陳列罪に罰則はないから。


「あんたはとにかくバカで意味不明。……でも、退屈はしていない。それは私にとっては、大きな意味があること。山田、わかる? 私、今、とても楽しいの」


 そして鏡花は、やっと気付くのである。


「……そっか。山田、私、楽しいのよ。私は山田といると、楽しい……」


「藤咲……」


 珍しく、彼女は少しだけ微笑んでいた。

 その顔を見た小太郎は、不覚にも、心臓が高鳴るのを感じた。

 ポツリ、ポツリ――と。

 次第に雨が降り始めた。


「……雨ね」


「そ、そうだな……」


 幸か不幸か、そこは屋根付きの休憩所。

 街に雨が降る。雨粒は無数の斜線を描き、草木を揺らし、雨音を響かせる。

 街は何も変わらない。それでも、変わらない街は、それまでとは違う景色を見せていた。


「…………」


 小太郎と鏡花は、同じ屋根の下で、ただただ雨に染まる街を眺める。

 少しだけぎこちなく、そして、少しだけ新鮮な気持ちを秘めながら。

 ヒロイン捜索は、それまでとなったのであった。

 


 




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