寝過ぎ3 娘姉妹の姉、パフィール・ピースフルは、やる気満々でご機嫌だった……ほんの1秒前までは。

「ふふ、ふ〜ん」


 今日も朝早く、通い慣れた病院の廊下を可愛らしい白い制服――正確にはかつて着ていたそれによく似せた愛用の冒険者服を着て、ゆるく巻いた父親ゆずりの金髪のツインテールを揺らして歩く、10人いれば10人振り返るまだあどけなさの残る美しい少女パフィール・ピースフルはご機嫌だった。


 もうずっと幼いころに、覚えているかぎりで初めて父ハワードと母フィーリアに連れられてここに来てから、その物言わぬ眠る姿を何度もずっと見てきた、パフィールにとっての憧れの男性ひと――父の親友ネルト・グローアップがついに昨日、母フィーリアをかばって負傷したことによるその20年の長い長い昏睡から目を覚ましたのだ。


 いまより一週間ほど前。担当医から目覚めの兆候ありと遠方に滞在する父ハワードを通じて聞かされたときは正直半信半疑だったが、無理を言ってここ数日、病室に妹といっしょに泊まらせてもらったのは結果的に大正解だった。


 おかげで、オジサマの目覚めという歴史的とすら言える決定的瞬間を目撃することができたのだ。


 ……まあ厳密には目覚めの瞬間ではないし、なんだか直前にやたら現実感のあるすごく怖い夢を見ていたせいで取り乱して幼児帰りして変なことを口走ってしまったような気がするけど、まあ全部よしとする。


 あと、目覚めたばかりのせいもあってか、昨日のオジサマがなんだか想像よりずいぶん頼りなく見えた気もするけど、ぜーんぶいいのだ。


 ――だって、あたしは知っているから。見ているから。オジサマの最高にかっこいい瞬間を。何度も何度も子どものころから、見るたびにこの赤い瞳をきらきらと輝かせて。


 そう考えれば、あの頼りなさだって愛らしく見えて、むしろ守ってあげたいって思ってしまうもの。


 ……それに、考えてみれば20年だ。あたしが生きてきた16年よりも長い年月。


 生まれる前だから、学校で習った教科書くらいでしか詳しくは知らないけど、18年くらい前、パパとママを含む冒険者の一団が〈世界の果て〉――いまは〈第一の果て〉と呼ばれる場所にたどり着いてから、世界は大きく様がわりしたらしい。


 そこで得た資源や、いまよりさらに発展していたという超古代の知識や技術の発見。飛躍的に効率よく運用できるようになった大気中の自然魔力による魔導科学の目覚ましい発展で、いまの世界は〈果ての先〉と呼ばれる新時代に突入してしまっている。


 そんな中で、それ以前の旧時代に生きてきたオジサマが20年後の寒空にもし急にほっぽりだされたら、いったい全体どうなってしまうのか?


 ――これはもう、このあたしが責任をもって手とり足とり、オジサマが新時代を歩けるようにするしかないじゃない!


 その手始めとなる準備は万端だ、とパフィールは上機嫌に荷物がぎっちりと詰まった肩掛けカバンをぽんぽん、と手で叩くのだった。


 そして、通い慣れた最上階の最上級個室の前に立つと、すうぅ……! と息を吸いこんでから、勢いよく横開きの扉を開ける。


「オジサマ〜! 起きてる〜? まだ寝てる〜? 約束どおり、今日もお見舞いに来てあげ……ふぎゃひゃあああぁぁっっ!?」


 その瞬間。衝撃に耳をふさぎ、思わずぺたんと座りこんでしまったパフィールの赤い瞳に涙がじわりとにじんだ。


 手を離した扉が、ガラガラと背後で自然に閉まっていく。


 その病室の中にあったのは――


『『『『あがaばwhんんzいぁるぅ?cく!nふ』』』』


 けたたましいまでの、もはや意味不明な言語の羅列と化した大音声だいおんじょう


 それぞれ別々の情報を大音量で超高速で垂れ流す100台を超える、ベッドと床に並べられた〈超多機能魔導携帯端末〉――商標名スーパーマジックフォン、通称スマホと。


「んが〜。むにゃむにゃ……」


「んぅぅ……。ネル……おじ……」


 その暴力的なまでの音の大洪水の中、ベッドですやすやと気持ち良さそうに眠るパフィール憧れのオジサマ、部屋の主ネルト。


 そして、さらにその右となりで椅子に座りベッドに突っ伏して同じくすぴすぴと気持ち良さそうに眠る、なぜか当然のようにいるパフィールの妹スピーリアという、混乱極まる阿鼻叫喚の光景だった。

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