第5話 小望月

 発表会本番2日前、夕方5時過ぎころ、市民経済部生活衛生課

 窓口で、中年男性の相談に話し込む笑里

 親子連れに書類の説明をする紫子

 窓口の奥では、頭痛に苦しむ朱鷺が、暗い顔で頭をたたきながら仕事をしている

 紫子、親子連れへの説明を終え、朱鷺に話しかける


 「朱鷺先輩、大丈夫ですか?」


 「、、、絶不調なの、昨夜のドレスリハーサルで、もうすぐジュリエットが死んじゃうっていうところで、私の声が急にでなくなっちゃったの、ひざは震えちゃうし、」


 「え、え、、、! 仕事している場合じゃないですよ! お医者さんに行かなくちゃ、駄目じゃないですか!」


 「紫子ちゃん、、、今、、、私の声聞こえているわよね?」


 「聞こえています、普通に、」


 「でしょ、、、聞こえるでしょ、、、普通でしょ、、、私の声、、、」


 笑里、窓口で中年男性を見送ると、朱鷺のそばへ


 「どうしちゃったんですか? 朱鷺先輩、確か明後日が本番ですよね、『ロミオとジュリエット』の、、、市民会館の、ミュージカルスクールの、本番、、、ゴホ、、、」


 紫子、笑里の口をふさぎ、作り笑いしながら


 「気の持ちようですよ、気持ちの、、、きっと、何かの拍子に元通りになりますよ」


 笑里、紫子の手を払いのけて


 「朱鷺先輩、確か知り合いの声楽の先生が『のどの栄養にはお肉が一番!』って、おっしゃっていました! ところで、窓口の受付終了まで、残り5分です、仕事終わったら、焼肉食べに行きましょう、3人で、」


 朱鷺、うつろな目つきで


 「、、、私、、、今夜は、自宅で、、、静かにしていたいと、」


 笑里、朱鷺の言葉をさえぎり、、、キッパリ、はっきりと言う


 「いいえ、こういう時は、楽しく過ごして、上手に気分転換したほうがいい!と、思います、年下だけど、いろいろ経験の多い、私の言うことに間違いはない! と、思います」


 3人の後ろから、山下課長が声をかけてくる


 「そうだよ! 僕は笑里ちゃんの意見に賛成だな、今日はおごるよ、いや、おごらせてくれ、今夜の焼肉!」


 「えーーー! 課長、ありがとうございます。」


 課長の言葉に喜ぶ、笑里と紫子


 時計が、受付終了の5時15分になると、課長が


 「受付終了の時間だ! 3人で行っておいで、『美食苑』の無料招待券持っているから、たくさん焼肉食べてパワーアップしておいで、僕は、昭和の男だよ!いつでも、君たち若者の味方さ!」


 急に、まわりが暗くなる

 課長にスポットライトがあたり、、、

 課長は郷ひろみのジャケットプレイを華麗に披露し、一回転ターンを決める、、、

 スポットライトが消え、まわりが元通り明るくなる


 朱鷺、笑里、紫子、、、ぼうぜんと見ていたが、、、


 「、、、す、すごい、、、初めて見ました、、、」


 「、、、課長、、、すごい、、、すごいです、、、」


 朱鷺、冷静に落ち着いた声で


 「ところで、、、課長は、私たちと一緒に焼肉食べに行かないんですか?」


 「一緒に行きたいけど、今日は結婚記念日でね、うちの奥さんとフレンチのレストラン、予約しているんだ、君たち3人で、楽しんでおいで、、、」


 課長、財布から『美食苑』の無料サービス券を出し、

 昭和の男らしく、力強く、右手を挙げてポーズを決めて、無料招待券を3人に渡す


 「結婚記念日、おめでとうございます、いいんですか?」


 「課長、結婚記念日、おめでとうございます! ごちそうさまです! あのグルメが集うことで有名な『美食苑』一度行ってみたかったんです! うれしい!」


 笑顔あふれる課長、笑里、紫子、だが、朱鷺は暗い顔でうつむいたまま


 外に出ると、東の空に十三夜の月が美しく輝いている


 笑里と紫子、楽しそうにスキップして歩いている

 後ろから来た車がクラクションの音を鳴らして、通り過ぎていく

 朱鷺は、相変わらず暗い顔のまま、うつむいて歩いているが

 、、、手に汗は出ない、、、

 朱鷺は、いつもの癖で、バッグから、タオルハンカチを取り出すが

 不思議な気持ちのまま、バッグへ、タオルハンカチを戻す

 

 東の空に十三夜の月が美しく輝いている




 『美食苑』、、、

 古式ゆかしい調度品で飾り付けられた、立派な個室

 朱鷺、烏龍茶で、、、笑里、生ビール大ジョッキで、、、紫子、ロックの焼酎で、、

 それぞれ、おいしそうに焼肉を食べていると、

 個室のドアをノックして『美食苑』の支配人が皿を持って入って来る


 「失礼します。先程、山下課長様からお電話いただきまして、、、差し入れしたいとのことで、、、このようなご依頼がございました、、、こちらは当店自慢の『美食苑スペシャル』でございます、、、ゆっくりお召し上がりください。」


 皿には、見事なシャトーブリアンのステーキが3人分、美しく盛り付けられている

 3人は、支配人を見送り、、、大皿のシャトーブリアンを見つめる


 「私、人生で、初のシャトーブリアン、、、です、、、」


 「私も、初めての出会いです、、、シャトーブリアンさま、、、」


 「もちろん、私も、よ、、、課長に感謝しないと、、、」


 3人、手を合わせて、シャトーブリアンを拝む




 急に個室が、、、暗闇になり、、、3人の、、、目の前に、、、

 幻の課長が、スモークとともに現れ、スポットライトが当たり、

 郷ひろみのジャケットプレイを華麗に披露する


 「課長、素敵!」


 「課長、最高!」


 「昭和の男、カッコイイ!」


 拍手とともに叫ぶ、が、、、幻の課長、スモークとともに消える




 3人は元に戻って、差入れのシャトーブリアンを焼き始める


 「朱鷺先輩、、、先輩の気持ちの切り替えがうまくいくように、思いを込めて、二人で、丁寧にシャトーブリアンを焼きますね」


 「ありがとう、、、なんだか、、、よくわからないけど、、、課長の心遣いと、笑里ちゃんと紫子ちゃんの気持ちがうれしい、、、」


 「朱鷺先輩、、、発表会本番が大成功して、来週の今頃は、きっと皆、笑顔ですよ、、、きっと、、、」


 おいしそうに、シャトーブリアンが焼きあがる

 盛り上がる笑里と紫子だが、、、相変わらず、、、暗い顔の朱鷺、、、





 夜空に、ぼんやり浮かんだ雅な御殿が、ふんわり浮かび、

 桜の花びらがが、ひらひらとふりそそいでいる

 その御殿の中に、あでやかな十二単をまとい、おすべらかしの美しい女性が二人

 そして、威儀の者の正装をまとい、長身の青年が一人

 長いまつげを伏せて、整った横顔が見える


 青年の足元には、紳士のⓈ君と、

 リュックを背負った鉄オタ青年が眠り、

 『2012・ロミオとジュリエット』のプログラムが置いてある


 しばらくすると、遠くから女の声が柔らかに響く


 「やすらはで、寝なましものを、小夜ふけて、傾ぶくまでの、月を見しかな」


 笛が複雑な音色に変わり響き渡る、やがて、琴も加わり、華やかになる

 桜の花びらは止み、、、

 赤く染まった紅葉の葉が一枚一枚、ゆっくり舞うように落ちてくる


 「傾ぶくまでの、月を見しかな」

 

 その時、紳士のⓈ君と鉄オタ青年の二人が、目を覚ます

 笑顔の鉄オタ青年は、いつもyoutubeで観ている、憧れのⓈ君(紳士)に質問する


 「Ⓢ君ですよね! youtubeのⓈ君ですよね、、、僕の目がおかしいのかなあ! いったい、どうしちゃったんですか? 知らない間に、Ⓢ君、年取っちゃったんですね! そして、どうしてあの電車に乗っていたんですか?」


 「そうなんだ、、、間違いなく、、、私はyoutubeのⓈ君だ、、、君の言う通りだよ、、、ただ、今は、後の私で、、、2058年の私であって、、、どう説明したら、わかってもらえるか、わからない、、、ただ、鉄道マニアとして、とても乗りたくてね、、、あの電車、、、廃線になる前に乗りたかったんだ、、、」


 と、二人がかみ合わない会話をしていると、

 まつ毛の長い長身の青年は、懐から薬袋を取り出す

 薬袋の赤い薬を一粒ずつ、紳士のⓈ君と鉄オタ青年に飲ませ、眠らせる


 琴の音が止み、、、寂し気な笛の音だけが聞こえている

 次第に紅葉の葉も止み、、、青年の悲しげな声


 「、、、朱鷺、、、枯れた心、、、」

 

 青年は、『2012・ロミオとジュリエット』のプログラムを手に取る

 


 地上では、豊かな森で多くの鹿たちが草をはみ、楽しそうに遊んでいる

 浮ぶ御殿は、ゆっくり霞んでいき、消えていき

 次第に、細く聞こえていた笛の音も途切れてしまう


 

 


 


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