第3話 上弦の月
市役所通用口、時計はもうすぐ6時を指している
通用口に向かう朱鷺を、後ろから山下課長が追いかけてくる
「朱鷺ちゃん、発表会のチケット『ロミオとジュリエット』のチケットを3枚ほど欲しいんだけど、」
朱鷺、疲れた様子ながらも、満面の笑みでバッグからチケットの束を出し、
課長の目の前で、そのチケットの束をパタパタ振って見せる
「課長、ありがとうございます! 私の受け持ちチケットたくさんあって、かなり困ってるんです、、、もし、よろしかったら、もうちょっと多めに購入いただきたいのですが、いかがですか? もうちょっと、お願いします!」
課長、財布を出して
「よし、応援するよ! 僕にまかせなさい! 喜んで、朱鷺ちゃんの親代わりをさせてもらうよ!」
「ありがとうございます、課長! 朱鷺、頑張ります、、、今回は脇役ですが、、、しかも、まだ、いろいろ悩みは尽きませんが、、、どうぞよろしくお願いします、将来、市の助役に出世が決まっている山下課長! ありがとうございます」
「えーーー! 朱鷺ちゃんのスピリチュアルパワー炸裂ですか! 市の助役になれるのか! 将来の僕の夢かなうんだ!、、、僕、頑張る、、、うれしいぜ、、、僕は、朱鷺ちゃんのスピリチュアルパワーを信じるー!」
「市の助役を目指して頑張る課長を、私、応援していますからね! 私も頑張って、なんとか、頑張って、、、発表会で自分の殻を破ってみよう、、、と思っていますが、、、」
「今日の朱鷺ちゃん、少しだけど元気になって、僕はうれしい、交通事故で亡くなったママも安心すると思うよ、、、じゃあ、、、チケット20枚もらうよ、それにしても、僕、将来、市の助役になるのか、、、朱鷺ちゃんのスピリチュアルパワー、、、当たるといいなあ、、、」
「私、今回は主役じゃありませんが、最高の脇役をお見せしたいです、というか、お見せするつもりですが、、、今、、、ちょっと壁に当たっていますが、なんとか本番までには立て直して、頑張りたいと思っています」
課長、うれしそうに財布からお札を出し、朱鷺に渡す
朱鷺、お札を数えるが、少し多いことに気づく
「ごめんなさい課長、お釣りの用意がしていなくて、、、」
課長、飛び切りの笑顔で
「朱鷺ちゃん、僕はね、昭和生まれの男なんだよ! 朱鷺ちゃんの応援団として、少しだけいい気分にさせてもらえるとうれしいな、、、それに、、、一回言ってみたかったセリフがあるんだけど」
朱鷺、不思議そうな顔で課長を見ていると、
急に周りが暗くなり、課長にスポットライトが当たり
「、、、朱鷺ちゃん、、、釣りはいらねえよ、、、」
と、言って、郷ひろみのジャケットプレイをして見せ、
一回転ターンを決めると、スポットライトは消え、周りがぱっと明るくなる
課長と朱鷺は顔を見合わせて、しだいに笑い出し
「課長、カッコイイです!」
「朱鷺ちゃんの笑顔がうれしいな! 実はね、皆に内緒にして、封印してきたんだけどね、、、僕、高校の時の部活、演劇部だったんだ、、、朱鷺ちゃんのママは、我が高校の演劇部の誇るスターで、アイドルでさ、、、僕の憧れの人だったんだ、、、僕はもちろん脇役専門だったけどね、、、朱鷺ちゃんのママがシングルマザーになって戻ってきた時は、ショックで寝込んだよ、、、僕の憧れの人だったから、、、」
「えーーー、課長、演劇少年だったんですね、、、しかも、私のママに憧れていたなんて、、、知らなかったです、、、私、頑張ります!」
課長、昔の映画スターのポーズで
「頑張れ、朱鷺ちゃん、、、あばよ、、、」
課長、カッコつけて手を振り、駅のほうへゆっくり去っていく
朱鷺、笑顔で課長を見送り、残りのチケットをバッグに入れる
振り返ると、笑里と紫子が追いついて来て、
「朱鷺先輩、お疲れ様です」
「今から、ミュージカルスクールのレッスンですか?」
「そうよ、今夜もレッスンを頑張るの、私、」
可愛いピンクの服を着た笑里、ウインクしながら朱鷺に近づき
「今夜は、新しい彼氏の浩二とデートに行ってきます、、、浩二の好みはピンクの似合う女なんで、ピンクの洋服で、頑張ってきます! ところで、朱鷺先輩のスピリチュアルパワー、当たりました! 篤史、本当に最低クズ男で、5股していたんですよ! 私のほかに4人の女がいたんです! 私、すぐに捨てました! あの最低クズ男! 本当にすごいです! 朱鷺先輩のスピリチュアルパワーで未来がわかるんですね! 噂通りですね! ありがとうございました! じゃ、お先に失礼します!」
笑里、最高の笑顔でそう言うと、朱鷺と紫子に手を振り、駅のほうに走っていく
すれ違う若い男たちは、グラマーな紫子に惹きつけられてじっと見つめている
どの男たちもすれ違うとすぐに振り返るが、紫子はまったく気にしていない
朱鷺と紫子は、手を振り、楽しそうに走り去る笑里を見送る
暗い顔の紫子は、つまらなそうにつぶやく
「、、、若いって、ある種の特権階級ですね、、、」
「、、、えっ、私の前で、それ言う」
「朱鷺先輩、そういう意味ではないんですけど、、、ごめんなさい」
朱鷺、頭を下げる紫子を慰めながら、ふたり駅に向かって歩き出す
「大丈夫よー、私もそういう時を超えてきたのよ、紫子ちゃんはまだまだ若いわ、これからが楽しいお年頃よ」
「私、趣味ないし、、、ずーと同じ生活して、、、いつも、いつも、平凡が一番って言われながら育ったんです、、、厳しい両親に言われながら、、、私、、、ひとり娘ですし、、、目立っちゃいけないって、、、静かにって、、、」
「、、、たぶん、ご両親は心配だったのよ、紫子さんのナイスバディは人目を惹くから、、、でもね、大丈夫よ、、、親思いで、親孝行な娘って、素敵なことだわ、、、」
「毎日、毎日、両親から『出る杭は打たれる』って、、、目立っちゃいけないって、、、言われ続けて、、、育ったんです、、、トラウマになっちゃったかも、です、、、」
「いいのよ、静かに生きていく幸せもあるんだし、今のままでいいのよ、待っていればね、そのうちに出会えると思うわ、大丈夫よ! もうすぐに出会えるわよ、本当にやりたいことに、必ず出会える!」
「朱鷺先輩みたいに、、、輝いて、、、ですか?」
「えー、私って、輝いて見えるの?」
「キラキラに輝いていますよ、、、ずっと憧れています、、、ジェラシー感じる、、、くらい、、、」
「今の私はね、いろいろ難しいの、年齢も気になるし、ミュージカルの道の厳しさに疲れてね、、、毎日、自分の気持ちと戦って、ちょっとお疲れ、ているのよ」
「そうですか、、、お疲れ気味には見えないですよ」
「でもね、最近どこからか『最善を尽くせ』って声が聞こえてね、不思議なのよ、何故か、少し元気になって、少しずつだけど、がんばれちゃうのよ、不思議なの、」
「来週の『ロミジュリ』の舞台、、、生活衛生課の皆で応援に行きますから、、、頑張ってくださいね、、、私、楽しみにしています」
「うん、頑張る! ところで、綺麗な半月だわ、確か上弦の月っていうのよね」
朱鷺と紫子、ふたり一緒に、輝く上弦の月を見上げ、駅のほうへ歩いて行く
後方からクラクションの音が鳴り、赤いスポーツカーが二人を追い越していく
朱鷺はバッグからタオルハンカチを取出し、手のひらの汗を何度も何度もぬぐう
二人の脇を、あの長いまつげの青年が、走り抜けていく
必死で手をぬぐう朱鷺を振り返りながら、青年は走り抜けていく
朱鷺は歩きながら、タオルハンカチで手をぬぐっている
走り抜けていく青年に気づきもせず、手のひらの汗をぬぐっている
朱鷺と紫子、しだいに足早になり、駅に向かって急ぐ
朱鷺と紫子は駅で別れ、
朱鷺はひとり、足早に電車に乗り込み、
混み合う車内で偶然空いた席に座り、音楽を聴くがしだいに眠ってしまう
リュックを背負った鉄オタ青年が朱鷺の隣に座っている
車内放送が流れ、電車が揺れた拍子に、朱鷺は目を覚ます
前の席に座っている初老の紳士に目を止めて、見つめる
紳士の周りに3人の若い女の子たちが座り、楽しそうに盛り上がっているが、
電車の騒音で話の内容は分からない
その様子を見ている朱鷺
隣の鉄オタ青年も、紳士たちの様子をじっと見つめている
紳士たちは、朱鷺と鉄オタ青年の様子に気づかない
車内放送が流れる中、朱鷺は小さな声で独り言をつぶやく
「、、、あの紳士、、、どこかで見たんだけど、、、誰だっけ、、、思い出せない、、、」
次の駅への到着を知らせる車内放送が流れる
まだ動いている車内だが、降車のために立ち上がる人々、
前の席の紳士たちも、立ち上がる、
朱鷺も、立ち上がる、
鉄オタ青年も、立ち上がる
その時、急に電車が大きく揺れ、
ふらついた朱鷺は、その紳士にしがみつく、
紳士は、朱鷺の腕をつかみ、支えて、助ける
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
優しい声の紳士
朱鷺は、紳士の顔をじっと見つめる
紳士は、笑顔で朱鷺を見ている
朱鷺が、紳士にお辞儀をする
紳士と、3人の若い女の子たちは、別々に降りていく
隣の鉄オタ青年は、朱鷺の脇をすり抜けて、急いで紳士を追いかけていく
その後ろから、まつ毛が長く背の高い青年が、追いかけていく
朱鷺は、その様子をぼんやり見ていたが、
急いで閉まりそうなドアをすり抜けて、
あわてて、、、電車を降りると、辺りを見回すが、、、もう誰もいない
不思議の思いながら、、、朱鷺は、ミュージカルスクールへ急ぐ
夜空に、美しい上弦の月が輝いている
深夜、朱鷺はムネオ先生の厳しいレッスンを終えて、ふらつきながら帰宅する
急いで、仏壇の前で手を合わせる
朱鷺のマンション、居間
ビールの空き缶が散らかっている、泣き疲れたような顔の朱鷺
思い通りに演技できない自分に苛立ち、そんな自分に疲れ切っているのだ
ゆっくり立ち上がり、 冷蔵庫からビールを取り出し、
立ったままビールを開けて、一気に飲み干し、
ビールの空き缶を部屋の隅に投げて、
『ロミオとジュリエット』の台本を抱きしめ、
ベッドに倒れこむが、
目を閉じると、心配するムネオ先生の顔が浮かぶ
そして、あの電車の不思議な出来事が、朱鷺の頭の中で、駆け巡る
朱鷺は、背を丸めたまま、泣きながら、眠ってしまう
夜空に、上弦の月が輝いている
朱鷺のベッド脇、
青年は、威儀の者の正装で、心配そうに朱鷺の寝顔をのぞきこむ
朱鷺の頬に流れる涙を、青年は指先で優しく拭き、自分の頬でぬぐう
、、、すると、、、
涙で濡れた青年の頬から、エメラルドグリーンのガラス片状の物が剝がれ落ち、
愁いを帯びた美しい青年の頬に、漆黒の穴が開く
「、、、朱鷺、、、心が枯れている、、、」
エメラルドグリーンのガラス片を拾い、頬に開いた漆黒の穴に押し当てる
すると、ガラス片は頬に溶け込み、青年はすぐに元通りの柔らかな顔に戻る
青年はゆっくり立ち上がると、優雅に袖を巻き上げ、身支度を整えて、
部屋中の散らかったビール缶や、コンビニ弁当のゴミを片づけていく
高速で掃除していく、、、乱れた本棚も整頓していく、、、
その中の一冊、『2012・ロミオとジュリエット』 のプログラムに、
強く、惹きつけられ見入ってしまう
やがてすべてを終え、ごみ袋の口を縛り、部屋を見回して満足そうにうなずく
ふたたび、ゆっくり身支度を整え、朱鷺の眠るベッドのそばへ行き
金木犀の小枝を、朱鷺の手に握らせ、
その柔らかな朱鷺の両手を優しく包み込み、
青年は目を閉じて、ゆっくり祈りの言葉をつぶやく
、、、朱鷺の心の傷を治すため、、、
青年は、朱鷺の両手を優しく包み込み、ゆっくり祈りの言葉をつぶやく
しばらくすると、青年は忽然と消えてしまう
輝いていた上弦の月が、西の空に消えていく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます