34.記憶の旅――ミストラル戦記2

 半島統一の仕上げとして、残った一国クスラ王国との決戦に大半の兵力を投入していたアストラ王国は、当初その蜂起に適切に対応できなかった。

 戦費調達のための重税で不満がたまっていた所に、ワイバーン退治などで著名な冒険者ゼノ――ゼノンが旧エルディアナ王国の王族という身分を明らかにして蜂起したのだ。その勢力はたちまちのうちにアストラの対応能力を超えてしまった。

 エルディアナの旧王都で圧政の象徴であった総督が血祭りにあげられ、アストラ-エルディアナの旧国境の要衝エギオが陥落すると、その混乱は最高潮に達する。

 次々とゼノンに合流する反乱勢力。だがその勢力は旧エルディアナの三分の一に留まり、残りの地域の向背は流動的だった。

 当時、立ち上がったばかりのエルディアナ再興軍は急造かつ寄せ集めで、国家体制に至ってはほとんど中身のない綱渡り状態というのが実態だった。とは言え民衆の支持は絶大であり、それを覆すのはもはや容易ではない事も確かだった。

 その状況に呼応して、クスラ軍が反転攻勢をしかけ、占領地を一部奪還する。

 反乱勢力に後方を遮断されたアストラの遠征軍は大損害を出しつつも、戦線を整理し一定の地歩を堅守し、本国との連絡回復を模索する。とはいえじり貧なのはあきらかであり、アストラ側の大幅な譲歩は避けられないものと見られていた。

 状況は膠着しつつも、この二十年間アストラによる統一へと進んでいたミストラル半島は、再び三国鼎立状態へと回帰していく。


 ――そのように見えた。




「どういうことだっ!?」


 その報を受けてゼノンが思わず大声を出す。

 足元を固めるため早急に即位を宣言すべく、準備や交渉のため忙しく立ち回っている矢先の凶報だった。

 アストラ王が先ごろ病死した正妃に代えて、エルディアナの旧王族を正妃に迎えた。

 最初にその情報が流れてきたときには、窮地に立ったアストラの悪あがきの融和策。その程度にしか受け取っていなかった。

 だが、今その旧王族の名が明らかになったことで、それがエルディアナ再興軍の足元を崩しかねない、致命の一手であることが明らかになったのだ。


「間違いありません。アストラは新たな正妃の名を発表しました。カサンドラ・エルディアナと……」

「母上……」


 反乱地域の片田舎にて、密かに匿われているはずの旧エルディアナの王女、ゼノンの母親の名だった。


「まだご本人と決まったわけではありません」


 その指摘にゼノンの顔に生気が戻る。


「……そうか、騙りか。至急母上の安否を確認しろ! ああ、所在を間諜に悟られないように慎重にな」

「アストラで新正妃の民衆へのお披露目が行われるとのことです。偽物とは存しますが、一応顔を知る者を潜入させて確認させては?」

「そうだな、それが良い。母上本人を知る者、亡国前にそれなりの地位にあった者が良い。誰かいるか?」

「モラリス殿が適任かと。亡国前は王宮で侍従を務めておりカサンドラさまとの面識もあります」

「モラリス殿か。子供の頃苦しい時期に支援を頂いたことを覚えている。

 よし、呼んでくれ。私が直接頼んだ方が良いだろう」




「目立たぬよう少数で守っていたことが徒になったか」


 ゼノンが確認を命じていたカサンドラが匿われている場所は、護衛の者も含めてもぬけの殻となっていた。

 こうなれば、攫われた可能性が高いだろう。


「しかし、荒事の形跡は見られず……」

「……何が言いたい?」


 言葉の続きを半ば予想しながらも、ゼノンは問わずにはいられない。


「我々の中に裏切り者がいる可能性が」


 それは居るだろう。

 そう思いつつもゼノンはそれを口に出せず苦い顔をする。

 何しろ急ごしらえの勢力だ。アストラが間諜をまぎれさせようとすれば、いくらでもその余地はあった。

 だが、ゼノンはそれを承知でも疑うような発言をするわけにはいかない。下手な発言をすれば、ただでさえ混乱している陣営内の疑心暗鬼を助長しかねない。

 本来、その辺りの信用調査は信頼できる者が集った人々に対して、ある程度のフィルタリングを掛けるべきであり、実際今も調査中だったのだが、それを行う人材も時間もあまりにも不足していた。


「私は皆を信頼している。迂闊に疑うべきではない」


 現時点でゼノンが出来ることは、表面上だけでも集った人々に対する信頼を示すことだけだった。それがどれほど空虚な言葉だったとしても。


「モラリス殿が戻られました」

「!」


 すぐさまモラリスを呼びつけて報告を聞く。

 カサンドラが攫われたことが確定している以上、あまり聞きたくない報告ではあるが、だとしても事実確認はせざるを得ない。


「間違いございません。カサンドラ様でございます」

「……そうか」


 動揺を表に出すのは悪手であるが、ゼノンはため息を禁じ得ない。

 人質を取られたということもさることながら、カサンドラがまるで協力者のごとく扱われている以上、民衆の疑念はゼノンへ向かう。

 まだカサンドラがゼノンの母親であることは、そこまで広まってはいないが、アストラの意図を考えれば時間の問題だと言えた。


「ただ……、アストラ王からの発表はそれだけではなく……」

「……あまり聞きたくないな」

「殿下……」

「いや、冗談だ。聞かせてもらおうか」


 モラリス自身もあまり口にしたくないのか、いささか躊躇った後にそれを口にする。


「アストラ王は、殿下を反乱収束の功により、エルディアナ公爵に封ずると。

 併せて、殿下が王の実子であると公表しました」


 言葉の意味に理解が追い付かなかったゼノンは、しばらく絶句して瞬きを繰り返す。


「……………………は?」


 かろうじて吐き出された言葉は意味をなさなかった。




 ゼノン達の居る宮殿内部にまで、外の喧騒が伝わってくる。状況はひっ迫していた。


「暴徒が宮殿に押し寄せています。警備の兵たちが押し留めてはいますが……」

「暴徒ではない、民衆だ。彼らの支持なくして独立はならない。武器の使用も禁ずる」

「しかし、このままでは!」


 ゼノンの表情が苦渋に満ちる。


「アストラ側の工作による扇動でしょうか?」

「当然そうだろう。だがなぜこんな実情とかけ離れたデマに扇動されるのか。あまりにもあからさまな離間工作ではないか」

「それに早すぎる。向こうの仕掛けから群衆の蜂起までほとんど間がなかった。この種の世論操作には入念な下準備が必要なはずだ。アストラにそのような時間があったか?」


 側近たちが混乱しながらも状況の整理を試みているが、もはやここに至っては議論には何の力もない。

 行動に出るべきだとゼノンが一歩出る。


「私が出よう」

「いけません!」

「今殿下が顔を出しても、火に油を注ぐだけです!」

「しかし……」


 側近の言うことにも一理ある。ゼノンが民衆に呼びかけてその場が収まるかは賭けの領域だ。それも失敗すればすべてが終わる類の。

 迷いがゼノンの歩みを止める。


「ゼノン……」


 その時、自分に掛けられた思わぬ声にゼノンが驚く。


「カーチェ」


 ゼノンの蜂起以降、カーチェルニーは彼や側近たちに意見を差し込むことなく、静かに彼らの戦いを見守るだけだった。

 エルディアナには、女性は出しゃばるべきではないというような保守的な文化はない。だが、権力者の私的なパートナーと見做されている者が、むやみに政治に口を出すのもあまり好ましくないという考えもあった。ゆえにカーチェルニーのその態度は側近たちに好意的にとらえられていた。

 そのカーチェルニーの、ゼノンを見つめる目が揺れている。

 常に快活であったその顔に不安の影が落ちていることに、冒険者時代からの仲間たちが思わず目を伏せる。


「大丈夫だ。気が立っているのは一部の民衆だけだ。すぐに落ち着くさ。心配はいらない」

「違うの。私が……、私の……」

「?」


 黙り込んだカーチェルニーの顔を心配そうに覗き込むゼノンだったが。カーチェルニーは苦しげに俯くと、それきり黙り込んでしまった。

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