33.記憶の旅――ミストラル戦記1
「ゼノ。あなたを王にしてあげる」
冒険者として糊口を凌いでいたゼノにおかしな女が話しかけてきたのは、買取所で成果物を買い叩かれた直後の事だった。
「……」
肩まで伸びたの真っ赤な髪、少し日に焼けた健康的な肌。人目をひく二十前後の美女であるが、不思議と周囲の注目は浴びていない。
その容姿はゼノの好みであるが、そんなことよりも先に掛けられた言葉の煩わしさが勝り、思わず舌打ちが出る。
ゼノは無言でその脇を通り抜けようとする。変に騒ぎを起こせば、この国では鼻つまみ者の冒険者などすぐに牢獄行きだ。ただでさえ、最近近隣のダンジョンが攻略されて消滅したおかげで、冒険者の実入りは減少し、税金まで上がっていたのだ。女に手を上げる趣味はないゼノでも、思わず手を握りこんでしまう程度は仕方がないだろう。
だがその女はゼノの配慮など知らぬとばかりに、スッと横に動いてその行く手を遮る。
「邪魔だ」
「なによ、あなた王になりたくないの?」
「何を馬鹿なことを」
「エルディアナの再興」
それを聞いてゼノの顔色が変わる。
慌てて腕を伸ばして女の肩を抱く。
「久しぶりだなー! 元気だったか!」
棒読み気味ながら、親し気に女に話しかけるゼノの額に青筋が立つ。
ゼノの怒気などどこ吹く風で女がニヤリ笑う。
「初めましてだけどね」
「黙れ!」
一転声を潜め、それでも語気強く女を問い詰める。
「なんなんだよお前は! こんな往来で何言ってくれてるんだ!?」
「大丈夫大丈夫、誰も聞いてないわよ」
「俺が大丈夫じゃねぇよ!」
女の言葉はゼノには劇薬に過ぎたのだ。
あらゆる意味で。
ピーク時間から外れた酒場に場所を変えて改めて女を問い詰める。
「お前もエルディアナの旧臣の関係者か? とっくに死に絶えたと思っていたが」
「違うよー」
「いい加減諦めろよ。いくら俺が王族の血を引いていても、二十年も前に滅びた国だ。誰もついてこねぇよ」
「違うって言ってるのに。でもそうね、言葉使いも立ち居振る舞いも、王者というには不適格。本当に王家の血筋なの?」
「……エルディアナが滅んだ時、俺は何歳だったと思ってんだよ」
はぁと深くため息をつく。
誤魔化しをやめて自身が王族であることを認めたのは、むしろ本音で語って現実を指摘した方が、相手も諦めるだろうという計算のものだったのが、既に少し後悔し始めていた。
目の前の女の目に宿る興味が、むしろますます強くなっていたからだ。
「うん、でもその方が良いかもね。貴種流離譚のハードモードって感じで」
「……話聞いてる?」
一瞬、楽しげに語るその笑顔に見とれ、気を取り直して呆れたように問う。
だが女はそれには答えず、代わりにゼノをさらに困惑させる言葉を告げる。
「私はカーチェルニー。あなたを王に導く者よ」
楽し気なその言葉をゼノはなぜか否定する気になれず、そんな自分自身に眉を顰めて頭を抱えるのだった。
「なーにが王に導くだよ!」
「いえーい! 走れ走れぇ!」
ミストラル半島の最高峰、アゼス山の山中はワイバーンの巣として有名だった。
カーチェルニーとの出会いから二年後、有力冒険者パーティーのリーダーとして実績を積んでいたゼノは、さらなる名声を得るべく、増えすぎて民衆の脅威となっていたその強力な魔物の群れの討伐を目標に定める。
パーティーメンバーは全てゼノの野心、というよりカーチェルニーの扇動に乗った信頼できる者だけで固められていた。
知力、体力ともに将来のゼノの側近としてふさわしいと厳選――カーチェルニーの独断と偏見によって――された、選りすぐりの猛者たちだ。
それがワイバーンの群れに追い立てられ逃げまどっていた。
「うおおおおおおお!」
「あははははははは!」
「笑ってんじゃねぇ!」
逃げながら器用に爆笑しているカーチェルニーにゼノがツッコミながら、岩場の隙間に二人そろって滑り込む。
「はぁ、はぁ、はぁ……、なんで全力疾走しながら笑えるんだよ。どうなってんだお前の肺は」
「鍛え方が違うの」
「そういう問題か?」
「そういう問題だ、よっと」
カーチェルニーは隙間に隠していた、使い捨て魔導具である投げ槍を取り上げると、振りかぶってそれを全力でワイバーンへと投げつける。
閃光のごとく天へと駆け上がった投げ槍が、先頭のワイバーンに突き刺さり、その瞬間ワイバーンの頭ごと爆散する。
「今っ!」
各所に隠していたバリスタや、遠隔攻撃用魔導具を取り出したメンバーが、彼らを追いかけるために低空に降りていたワイバーンを次々と打ち据える。
「……俺も一応撃っておくか」
ゼノが苦手な弓でワイバーンを狙うが、山なりに飛んだ矢は案の定狙いから大きく外れ、かすりもしなかった。
「えーと、メインの囮役で十分役立ってたからね?」
「……」
「アストラの圧政で旧エルディアナ民の我慢は限界だ。エルディアナ再興を求める暴動や反乱も頻発している。今のところ小さなものだがな」
「民衆も二十年も経っちゃうと、過去を美化して昔はよかったってなるのよね。エルディアナの治世も大概だったのに」
「……真実はともかく、旗頭を立てれば自ずと人々はその元に集まる。その下地は整ったと言える」
「クスラからも早急に立つことを求められています。地の利を活かして抵抗はしているようですが、兵力差は如何ともし難い様で」
「自業自得と言いたいところだが今は協力者だ。あちらとすれば、アストラの後方をかく乱できれば儲けもの程度なんだろうが、こちらはそれで終わらせるつもりはない」
「では」
ゼノが自分に集まる幹部たちの視線を順に見返す。
希望、不安、興奮、後悔……、そこに含まれるものは肯定的なものだけではない。
だが今更止まれない。
二十年以上心の中で燻っていたもの。
三年前、カーチェルニーと出会った時には燃え尽きかけていたもの。
そこで辛うじて息を吹き返した熾火。
今まさにそれが燃え上がろうとしている。
「エルディアナの旗を立てる。
俺の……いや、私の名――ゼノン・エルディアナとその存在を国民に知らしめる時が来たということだ」
「いよいよだね」
自宅兼、冒険者クラン本部兼、将来のエルディアナ再興軍本拠として確保した屋敷。そのバルコニーの手すりに寄りかかり星空を見上げていたゼノンにカーチェルニーが声をかける。
その優し気な微笑みに、気恥ずかし気に笑みを返し、ゼノンは大きく息を吐く。
「ああ、ようやく始まるな。
思えばお前と最初に出会ったときは、なんだコイツはと思ったものだったが……あの言葉が本当になるとはな」
「気が早すぎるよ。まだ王にはなっていないじゃない」
「そうだな。だがここまで来たら、成功するか失敗するか、結果がどちらに転ぶかは天龍のみぞ知るだ。ならば成功前提で王になったつもりでいた方が得ってもんさ」
「……なに、らしくないじゃん? 天任せとか」
「祈りたい気分なのさ」
ミストラルの地に広まった精霊教には、元あった天龍教の要素が入り混じる。ゆえに人々はごく自然に天龍を崇め、祈る。
「祈っていいよ。……私が聞くから」
「ふふ、なんだよお前、天龍にでもなった気でいるのか?」
「……そうかもね」
「ああ、そうだな。お前は俺の天龍だ」
信仰の対象として。
あるいは希望の象徴として。
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