32.精神核

「……人を狂人みたいに見ないでもらえるかしら?」

「いや、流石にそこまでは思ってないぞ」

「そう……」


 軽く首を傾げて続ける。


「まぁいいわ。その前に一つ注意を。これが成功したからといって、リナが戻ってくるわけではない」

「……どういうことだ?」


 それでは意味がない。ローズの顔に不満が現れる。


「前提から説明しましょう。まずは現在のカーチェルニーの状態」


 一拍考えて続ける。


「アストラルリフレッシュポーションを飲んだカーチェルニーは、肉体と精神体を再構築中。しかし、只人とは存在の規模が異なる天龍の事、その工程には数か月、あるいは一年以上掛かる。

 その間カーチェルニーは、言わば無防備かつ無垢な赤子のような存在となる。……例えるなら焼く前のクッキー生地。

 おそらくヴェスパはこれに実在の人族の人格をコピーした型を当て嵌め、一個の人型を作り出した。それが『リナ』。ここまでは良い?」


 唐突なクッキー生地に引っかかりを覚えた者もいたが、懸命にも首を傾げるだけで沈黙を守る。


「ところで肉体と精神体、そして精神核、それぞれが具体的になんであるかは分かるかしら?

 ……勿体ぶっても仕方がないから答えを言うと、肉体はそのまま、説明不要。物理的な性質や機能と定義しても良いでしょう。

 次に精神体。これは誤解を恐れずに言えば心、その性質や機能。言い切ってしまうには少々単純化しすぎだけれど。

 ちなみにローズ、貴方もあの時、一部心を創りかえられているのよ。少し心が幼くなったと感じているなら、それが原因」

「……」


 ローズは想像だにしなかった事実に驚くが、幾分腑に落ちるところもあった。クロエに抱きつかれて気絶した件や、預金の話で泣き出してしまった件だ。

 体の形に引きずられているというより、新生した心に引きずられていたのが正解だったのだ。


「そして精神核。これは魂というべき個の中心概念であると同時に、記憶や経験を保持する。そしてこの魂に宿った記憶と経験こそが、人格や自意識と言って過言ではない」

「そうなのか? 人格なんかはどちらかというと機能的なものに感じるが……」

「人の人格など、経験次第でいかようにも変わるでしょう。そして強烈な体験を得たとき、心を通して衝撃を受け止めるのは当然自意識。

 まぁ、心や人格の定義、その性質や機能をどう分類するのかには議論もあるから、異論も多いでしょうけどね」


 今一納得のいかないローズであるが、エリザベートの次の言葉には頷かざるを得なかった。


「なんにせよ、例の事件で貴方の人格が大きく変わったり記憶が欠損していない以上、それらが主に精神核側にあるのには異論はないでしょう?」

「まぁ、そうだな」


 ローズ自身の実体験がある以上、それについては否定できない。


「続けるわね。現在のカーチェルニーの精神核は、再生成途上の精神体という未熟なクッキー生地に包まれ、実質的に封印された状態。動かすべき手足がないのだから当然ね。

 でもこのまま放置すれば、いずれクッキーも焼けて元通り。再び暴走天龍として暴れ出すは必定」

「……」


 クロエが「クッキー引っ張るなぁ」と小声で呟くのが聞こえる。


「ゆえに今のうちに精神核に処置を行ってしまえば良い」

「処置?」

「彼女のトラウマとなっている記憶を破壊する」

「……」


 言葉の意味は分かるが、何を言っているのかが分からない。


「無論壊すと言っても剣で切る様に単純にはいかないわ。精神核には形などなく、一種の概念というべきものだから」

「概念……」


 記憶を、概念を切る、破壊するとは一体いかなる意味なのか。だがエリザベートがそこまで言うのだから何等かの方法があるのだろう。そこは信頼するしかない。

 それよりも確認すべきことがある。


「リナはどうなるんだ」

「一つ訂正を。リナとはあくまで型でしかない。だから、あなたが数日一緒に過ごしたのはその型を嵌められた、リナとして振舞うカーチェルニー自身。たとえ本来の精神核とは切り離され、仮初の記憶を植え付けられた状態だったとしてもね。そこは認めなさい」

「……」

「である以上、精神体が再生してカーチェルニーが復活するにせよ、処置がうまくいって別の何かが生まれるにせよ、現在一時的に取っている型は過去のものとなる。ただ……」


 エリザベートは詰まらなそうにつぶやく。


「何らかの痕跡は残るでしょう。それは個の歴史。記憶となることは確かなのだから」


 俯いていたローズが顔を上げる。

 その反応を予想してかエリザベートはため息を吐く。


「勘違いして欲しくないのは、それはあくまで個を形作る欠片に過ぎないという事。あなたも三歳の頃の自分など覚えてなどいないでしょう。でもそれは確実に今のあなたの一部でもある。リナもそうなるのでしょう。そこまでにしか成り得ない。

 あなたの望み、それが全て叶うことはない。ほんの欠片のみ。それが望み得る全て。それで満足しなさい。

 あなたがやるべきことの第一はカーチェルニーの暴走要因を取り除くこと。

 あとはあなた次第。なにしろ今からあなたがやるべきことは、クッキー生地どころか、調理台を切り刻むようなものなのだから」


 一方、部屋の隅で一連の話を黙って聞いていたウルスラ。

 顎に手を当てて、小さくため息を吐く。


「少々誘導されている気がしないでもないですが、果たしてどうなる事か」


 その呟きは誰にも届かなかった。



―――――



「ヘカテーの真価は相手の精神核を貫くその性質……らしいわ」

「らしい?」

「エーリカが言うことを信じれば、ということよ。これは要するに精神核へのアクセス手段。いかに強大な肉体を持とうと、いかに強大な精神を持とうと、精神核まで行きつけば、その規模の差は意味をなさず全ての個は対等。……のはず」

「おい……」

「まぁ、聞きなさい」

「?」

「かつてエーリカが吸血鬼の真祖と対峙した時の事よ。あの人は真祖を斬ることすらなく、その肩に刀身を当てただけで滅ぼした」

「首を斬り落とすこともなく?」

「心臓を貫くこともなくね」

「……」

「エーリカがそのとき一体何をしたのかはよく分からない。あとで聞いても感覚的な事しか言わないし……、あるいはその感覚的な事こそが真実なのかもしれないけれど」

「なんて言っていたんだ」

「『気概も野心も欲望すら半端な似非龍など、斬るまでもない』とか『あやつには己が蟻にすぎぬことを思い知らせただけよ。我とは存在の格が違うのだと』とか」

「参考にならんな」

「他人に何かを教える事が致命的に下手糞な人だったからね。ロランとは波長が合ってたけれど」


 リナ――カーチェルニーが眠る寝台を挟んで、その左右に立つローズとエリザベート。

 いかなる作用によるものか、その中央、リナの上に浮かぶ細剣ヘカテー。


「一つだけ言えることは、カーチェルニーの精神核を貫くことで、あなたはカーチェルニーと対決することになるでしょう。三つの国を滅ぼした天災とね」


 元より覚悟の上。ローズに動揺はない。


「精神核というステージは対等だとしても、存在の格の強大さは言わずもがな。普通に考えれば勝ち目はない。けれど、この剣はかつて名も無き大古竜を墜とした剣。何らかの手助けがあるはず。……と信じたい所ね」

「おい……」

「手を出しなさい」


 ローズの手がヘカテーの鍔に触れる。


「私ができるのはここまで。【開通】」


 閃光が全てを包み込む。

 だが違う、これは実際に目にしているものではない。ローズは瞬時にそれに気が付く。

 それはローズ自身の心象風景。


「……!!」


 純白の世界で言葉が聞こえた。

 『見せて』と。

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