31.意趣返し
一方のエリザベート。
ペルペトゥアが去り、ひとしきりじたばたと暴れた後も、髪が乱れるのにも構わず頭をガシガシと掻きまわしていた。
「……」
ふと我に返って手を止め、軽く手櫛で整える。無論すでに手遅れ、焼け石に水だ。
ため息を吐いた後、仕方なしに髪を解いて下ろす。今の精神状態では綺麗に元に戻せる気がしなかったからだ。
ペルペトゥアは足止めと言っていた。ならばヴェスパはローズやクロエに接触していたという事だろう。
何をするつもりなのかは知らないが、放っておくわけにもいかない。
「まぁ……、仕方ないか」
扉を開けて部屋を出ようとしたところで、廊下に立っていた人物を目にしてビクリと止まる。
「ウルスラ、なんでここに……、ってまさか」
「私の趣味とは少々異なりますが……、フラムの気持ちが少し分かった気がしました」
「覗いていたの!?」
「古典的な貫通式の鍵穴はこういう時に都合が良いですね」
「何してくれてるよのあなた! そんなことやってる暇があったらヴェスパを何とかしなさいよ!」
「私は不介入主義ですので」
「天龍の不始末はあなたが付けるんじゃなかったの?」
「それは向こうも承知の事。つまり私が動くほどの事は……ギリギリ避けるはずです」
「ギリギリね」
今回の騒動、とっくの昔にその閾値は超えているように思える。エリザベートはジト目で睨むが、相手は涼しい顔だ。
彼ら彼女らの基準は良く分からない所がある。ツッコんだ所で無駄だろう。
無駄な議論はさっさと切り上げて、ローズ達の様子を見に行くことにする。
エリザベートたちが部屋に戻ると、ローズとクロエが項垂れながらソファーに座り込んでいた。
「とりあえず無事?」
「……」
「それで? 何か言われたの?」
部屋の様子を見る限り、荒事があった様子はない。
ならば口先だけで意気消沈しているということだ。
「部屋にこの教会の司祭を名乗る男が現れて……」
ローズは苦々し気に先ほどのヴェスパとのやり取りを語る。
それを一通り聞いたエリザベートは、はぁと溜息をつく。
「なるほどね。守護者による帝国の破壊ね。【悪龍】らしい動機よね。表面的には」
「表面的?」
「そもそもあっちが火をつけてきたのよ? それを消すのを躊躇った火消しに責任があるわけがないでしょ。通るわけないないわよ、そんな理屈」
「まぁ……普通はそうだな」
それはそうなのだが、一般的な常識でヴェスパの意図を否定しても仕方がないだろう。
悪龍が常識を弁えているとは思えない。
「そもそもあなたたち、あいつの言う事をいちいち真に受けるとか、素直すぎるでしょう? そんなだから、向こうも調子に乗ってあることない事吹き込んでくるのよ」
「……」
「結局、あいつの思惑通りあなたが頭に血を登らせて、その様子を見たあいつが喜んだだけってことね。挙句、手を出せない事まで見切られて」
「そこまで言わなくても……」
「……」
抗議するように恨めし気な目を向けるクロエと、黙り込むローズ。
エリザベートは少し言い過ぎたかと一瞬舌打ちしそうな顔になり、誤魔化すようにそっぽを向く。
ウルスラはそれを見て面白そうにしながらも、話題転換の必要性を認めて発言する。
「とはいえ、このままヴェスパの思い通り行動するのも業腹ですね」
「それはまぁ……。でもだからって他に何かやり様があるとでも?」
エリザベートとしては悩むだけ無駄と考えているのだ。つまりリナ――カーチェルニーを今のうちに斬ることが唯一の選択だと。
だがウルスラの心情としては、同じ天龍であるカーチェルニーを討つのは少々しのびない。ゆえに、以前のリナの在り様に希望を見出したいという思いがあった。まがりなりにも暴走状態を抑えて人のように振舞っていたその在り様に。たとえかそれが細い希望だとしても。
「そもそも、ヴェスパはリナ――カーチェルニーをどうやって確保したのでしょうか」
「アストラルリフレッシュポーションを使ったってさ」
「……は?」
クロエの言葉に絶句するエリザベート。
「去り際に、そう言ってたけど?」
先ほどのエリザベートの言葉への不満から、ぶっきらぼうに言ったクロエだったが、エリザベートの驚き方が予想を超え、自分の方が困惑することになった。
「そんな馬鹿な。天龍が生み出した物が、天龍に効果があるわけが……」
「え、そうなの?」
「……いえ、そうとも言い切れません」
エリザベートの否定的な言葉を、ウルスラがさらに否定する。
「生み出された経緯はどうあれ、ポーションはあくまでポーション。私とて怪我でポーションを使うこともありました。どこぞの精霊の子と違って」
「そう言えばそうだったわね……」
エリザベートの困惑の理由。
それは、天龍が他の天龍に、その浸食能力で洗脳や思考操作、肉体の改変のような強い影響を及ぼすことは、ほぼ不可能だという事実に由来する。なぜならば、天龍自身が小さな世界に等しく、当然ながらそれらの浸食に対抗する力を有するためだ。
暴走気味(カーチェルニーと比べれば可愛いものだが)だった羽化直後のフラムに対し、ウルスラが軽い折檻と言葉の説得で自覚を促し、その後も監視を続けていたのはそのためである。
そしてポーション、とりわけレアと分類されるものは天龍の蛹たるダンジョンでのみで産出され、人の手で生成することはできない物である。アストラルリフレッシュポーションはその最たるものだ。
エリザベートはそれらの事実を知っているがゆえに、ダンジョン産、つまり天龍の力に等しいレアポーションは、同様に天龍には効果がないものと思い込んでいた。
人類有数の錬金術師である自分が作れないというのも、その思い込みの一因だろう。
そもそも天龍がポーションを使うシチュエーションが、ほぼ皆無であるというのが最大の理由ではあるが。
「すっかり思い込んでいたわ。レアポーションは天龍に効かないって」
「レアポーションも非レアポーションも、生み出された時点でこの世界の物です。そして、この世界に生まれることを選択した天龍は、基本的にこの世界を受け入れています。当然ながらこの世界の一部であるポーションの効果も受け入れざるを得ません。無論効果としては程度の差はあるでしょうが」
「ならば、アストラルリフレッシュポーションを飲んだ天龍は……」
エリザベートは口にこぶしを当てる。
「存在係数……、精神体と肉体が……、抵抗力……、突破可能? というか、ヴェスパもこれを利用したのか……」
ぶつぶつと呟いていたかと思うと、ついには部屋をうろうろと歩き回りながら思索にふける。
残りの三人はその止め難い様子に思わず黙り込んで見守る。
しばらくして結論が出たのか、エリザベートは動きを止め、顔を上げてウルスラにその鋭すぎる視線を投げかける。
「……なにか?」
「ウルスラ、あなたは以前カーチェルニーの状態を暴走と言ったわね。ならば暴走した理由があったということ?」
「生存者の証言などからの推測はあります。
原因の一つは彼女の物語の主人公の死でしょう。その死と共に、なんらか彼女が暴走するほどの精神的打撃があったのだろうとは推定できます。ただ、それが何かまでは……」
「つまり、死に瀕するほどの負傷といった物理的なものではなく、精神的なものが引き金?」
「恐らくは」
そこまで聞いたエリザベートは、黙って考え込む。
しばし無言。
「ならば、可能性はある……、か」
結論が出たのか、ポツリと呟いて顔を上げる。
そしてローズに向けて告げる。
「かなり荒療治。失敗すれば国が亡ぶまで行かなくとも、この街くらいは吹き飛ぶかも。それで良ければ可能性はあるわ」
「それは一体……」
『可能性』その単語の響きに、わずかな期待を滲ませてローズは問い返す。
「無論、斬るか斬らないかではなく、それ以外の選択肢よ」
「……」
その言葉に心が逸るローズであったが、落ち着いて続きを待つ。
それを見定めるようにしていたエリザベートが続ける。
「ただし、成功率は五割か……、三割か……、正確なところは算定不能。そして、さっきも言ったように失敗すれば多くの犠牲が出る。その覚悟はある? そこまでしてやる価値がある?」
問われてローズは、しばし瞑目する。
その胸に去来するのは何か。
「……」
クロエが心配そうに見つめる。
しばしの後、ローズは目を開く。
「その判断を私がしても良いのか?」
「というより貴方以外には不可能である以上、貴方に判断を委ねる他ない。斬るにせよ、なんにせよ、そもそも他の者には手段がないのだから」
「そう言えば……、そうなのか」
ひとつ頷く。
「私はそもそも守護者というものが何かも知らない。だからこれが守護者として、その代行者として、相応しいか否かを考えるつもりは、元々ない。クロエには悪いがな」
ちらりとクロエの方を見る。
クロエは苦笑を返すだけだ。どうやらローズの考えを否定するつもりはないらしい。
「そしてこの街が吹き飛ぶと言われても実感はない。ただ、手段があるならリナを取り戻したいだけだ」
「他人が巻き添えになるかもしれないのに?」
「私は善人なんかじゃない。親しい者と見知らぬ他人が天秤にかかっているならば、後ろめたく感じながら前者を取る利己主義者だ」
「リナは赤の他人なのに?」
「既に他人じゃない」
腰のヘカテーがリィと鳴く。
ヴェスパの来訪前に鳴ったときと同じ音。
でありながら、そこに込められた意味合いは、全く違うようにローズには感じられた。
(あの時はリナを斬ることを、急かせている様に感じたが……)
今はそうではない。
理由は分からない。
ただ分かるのは、それが今のローズの言葉を肯定しているものであろうという事だけだ。
「この剣も、元より正義を求めるつもりなどないという事か……」
小声で呟いたその言葉が届いたのか否か、エリザベートはローズの決断を確かめるように問いかける。
「まったく、酷い守護者代行もいたものね」
「……」
「それが貴方の決断なのね」
「ああ」
言葉にはしていないが、失敗すれば死ぬ気だ。
エリザベートにはローズの表情からその心情を読み取ることが出来ない。だがその声に込められた感情は読み取れる。
見知らぬ人々を巻き添えにするような結果になれば、被害を最小限に抑えるため命を賭すつもりなのだ。
(こちらから提案しておいてなんだけど、一体何様のつもりなのかしら)
だが……
どうも自分もどうかしているようだ。その決断を肯定しているのだから。
「らしくないな……、まぁいいわ。ならばやることは決まったわ」
「やること?」
前半の呟きを聞き逃したローズは、後半の言葉の意味を聞き返す。
そもそも『それ以外の選択肢』とは何なのか。
「あなたにはカーチェルニーを切り裂いてもらいます」
「……は?」
これまでの話は何だったのかと言いたくなるエリザベートの言葉に、ローズは思わずその正気を確かめるように眉を顰めるのだった。
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