29.佳人再来
エリザベートにとっては、つい最近思わぬ再会を遂げ、そして不本意に別れた人物。ペルペトゥア。
黒髪を後ろでまとめ、薄く色の付いた眼鏡を掛けたその女性が、静かに部屋の中央に立っている。そして体の前には軽く抱えるほどの壺を両手で保持している。
部屋の主を見つめるその黒い瞳には、なぜか諦観が混じる。
エリザベートは初めにその姿を見た時。
その思わぬ闖入者自身の事よりも――
彼女が持っているその壺よりも――
――彼女のその服装の事が先に気になってしまった。
「……ペチュア、貴方なぜ使用人の格好などしているの?」
黒を基調としたワンピースに、真白いエプロンとヘッドドレス。それはどこからどう見てもメイド服である。
ペルペトゥアは紛うことなき王族であり、そのような姿をすることはあり得ない。……はずであった。
「主の命にて……」
「ああ、ヴェスパの……」
つまりは嫌がらせ、からかいの類。
恥じらうペルペトゥアに対して、エリザベートはなぜか動揺する自分を自覚する。
「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありません」
「見苦しくなんて、むしろ良く似合ってるわよ」
「……そうですね。私など使用人の姿がお似合いですね……」
仮にも王族であったペルペトゥアからすれば、使用人の服装が似合うなどと言われても、ほとんど侮辱に等しい。それに気づいてエリザベートは慌てて訂正する。
「あ、そうではなくて、単純に可愛らしいというか」
「……」
「可愛らしさという点では、子供の頃の方が似合ってたかもしれないけれど、今の背恰好でもそれはそれで凛々しさとか……、って何言ってるのかしら私」
「……」
「あー、要するに、貶しているわけではないの。ちょっと驚いたというか。うん、私としてはそういうのもありかなって……。ごめん、気にしないで」
「……」
エリザベートは、彼女が何か言うたびにどんどん俯いてしまうペルペトゥアの頭頂部を見て、途方に暮れてしまう。
「あー、多分ヴェスパの使いか何かよね?」
「は、はい」
顔を上げたペルペトゥアの頬が赤く染まっているのを見て、エリザベートはどきりとしてしまう。
それには気づかず、ペルペトゥアは用件を述べる。
「我が主においては此度の件、少々予想外の成り行きに思うところがあるとのことで『少し手助けしてあげようか?』とのことです」
「自分で火をつけておきながら何を言っているの、あいつは」
「……あいつ…………」
その言葉の気安さに憮然とするペルペトゥアであったが、使命を果たすべく表情を改める。
「サーリェ様、これを」
そう言いながら、抱えていた壺を差し出す。
エリザベートはその壺を眺める。
メイド服の次に気になっていたものではある。
多少価値がありそうではあるが、見た限りではごく普通の壺だ。つまりは中身が問題なのだろう。
サイズ的に片手では手に余るそれを、両手で受け取ったエリザベートは、その予想外の軽さに面食らう。まるで空っぽのように思われたのだ。
「なに? これ」
中身を覗こうとしたところで、ペルペトゥアがそれを遮るように声を出す。
「失礼致します」
視線を上げたエリザベートに対し、ペルペトゥアはごく自然な動作で、壺を持ったその両手首を掴む。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……なに?」
無言で対峙してしばらく、エリザベートがその意図を尋ねる。
「足止め、でございます」
「!?」
エリザベートの手から壺が零れ落ちる。ペルペトゥアはそれを足で器用に受け止めて、割れないように床に下ろす。雑に扱われた壺であったが、毛足の長い絨毯がそれを受け止める。
同時に慌てたエリザベートが両手を引くが、ビクともしない。
ペルペトゥアは仮にも真祖である。例えエリザベートが熟練の戦士であり、身体強化に優れているとはいえ、膂力で対抗できる相手ではない。
もはやエリザベートはこの場から動くことはできないことが確定した。少なくとも力では解決できない。
「主曰く、『サーリェは意外とうっかりさんだから、引っかかる可能性は高いよ』とのことでしたが、まさか本当に……」
「あなたね! 折角ゆっくり話せたと思ったら、こういうことする!?」
「申し訳ありません。主の命ですので」
「くっ、そういう奴だったわね」
またも憮然とするペルペトゥアの態度に引っかかりを覚えながら、エリザベートは打開策について検討する。
すぐにいくつか思い付く。同時に相手も当然それは考慮済みであろうということも。
ゆえに、とりあえずは牽制を試みる。
「手が使えなくても使える魔法はあるわよ」
「はい。その時は……」
そこまで言って、ペルペトゥアが頬を染めて顔を軽く背ける。
想定外の反応だった。
エリザベートは眉を顰める。
「その時は、なによ?」
「その……く……」
「く?」
意を決して続きを口にするペルペトゥア。
「自分の口で、サーリェ様の口を、……塞げと」
「……」
なんという事を命じるのか! 瞬時に赤面したエリザベートは内心でヴェスパに罵声を浴びせる。
それがヴェスパの命令であることには疑いはない。
だとすれば、エリザベートが何らか詠唱を開始した途端、ペルペトゥアは強制的にそれを実行することになる。
真祖とその因子提供者である天龍の上下関係は絶対なのだ。
「そ、そう」
それだけ言うとエリザベートとペルペトゥアとは逆方向に顔を背ける。
「……」
「……」
「……」
「……」
気まずい空気の中、お互いにお互いの唇を意識する。
(私ってそっちの気は無かったはずなんだけど……)
エリザベートは一瞬。ほんの一瞬、実際に詠唱しようとしたらどうなるか、想像してしまう。
その気配を察したペルペトゥアがビクンと反応する。
正面から見つめあう二人。
「……」
「……」
牽制しあうようにお互い視線でやり取りし……
そして再び顔を背ける。
「うう……いっそ殺して……」
ペルペトゥアが泣きそうな声で呟く。
それを聞いたエリザベートは、憮然としてつい口走ってしまう。
「そんなに嫌なの?」
そうではないことを半ば確信しながら。
「ち、違うのです!」
慌てたように、懸命の否定が返される。
その様子に、どうにも嗜虐心が刺激されたエリザベートは、騙されたうっぷん晴らしに敢えてペルペトゥアに顔を近づけながら、追い詰めるような物言いをする。
「何が違うの? 死ぬほど嫌ってことでなければ、どういう事なの?」
「それは……」
「さあ、なぜあなたは、『いっそ殺して』ほしい程……追い詰められているの?」
その理由が頭を過ぎるペルペトゥア。
尊敬の対象であり、敬愛の対象。
いくらかあった憎しみは理由を失い時の果てに消え果て、今はただ幼き日から続く思慕の念のみが残る。
それがヴェスパの命令により、極端な形で意識され……
その唇に視線が向きそうになり、慌てて逸らす。
その様子を面白そうに眺めるエリザベートと、それを弱々しくも恨めし気に睨み返すペルペトゥア。
これではどっちが罠に嵌めたのか分からない。
「……サーリェ様は思っていたよりも意地悪なのですね」
「あなたが素直な態度でいたなら、私も素直に応じるかもよ?」
「……」
ペルペトゥアの不満気な顔が、幼き日の彼女の面影と重なる。
そのせいか、唐突になんだか悪いことをしている気分になってしまうエリザベート。
「……ごめんなさい。ちょっと興が乗ってしまって、やり過ぎたかも」
「いいえ、元はと言えばこちらが悪いので……」
そのまま両者無言で顔を逸らしたまま、しばし時を過ごす。
しばらく後、ペルペトゥアはおもむろに両手を離すと、足元の壺を拾って闇に溶けるように姿を消す。
その一瞬、見えたヴェスパのにやけた横顔にイラっとしつつも、無言で見送る。
どさりと勢いよく椅子に座りこむ。
肘掛けを苛立たしげにとんとんと指で叩き、それが不意に止まる。
一瞬後、思いっきり頭を抱えて叫ぶ。
「ああああ、何やってるの私は!」
叫びながら、ペルペトゥアとのやり取りを思い返して赤面する。
「あんなの私のキャラじゃないでしょ!」
じたばたとその場で悶える。
「そっちの気は無いって言いながら、完全に弄ぶ側だったじゃない! 女の敵! ジゴロ! ヒモ? あれ? 女の場合なんていうのかしら……」
いささか偏見じみたことを口走りながら、荒い呼吸を整える。
「あの子はあの子で、真祖として感情は摩耗しきったんじゃなかったの? ものすごく多感じゃない」
そこまで口にして、ふと気づく。
ペルペトゥアが自身に向ける敬意や好意。エリザベートがそう感じたものは、ペルペトゥアの表情に見出したものと一致していたのではないかと。
「……」
呆然とするエリザベートだったが、それをもう一度確かめようにも既に相手が立ち去っていることに、もう一度呆然としてしまう。
「ペチュア……」
その呟きは部屋の中で消え、どこにも届かなかった。
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