28.宿願

「ローズ。その娘がリナなどと言う人族ではなく、人の天敵カーチェルニーであることは理解したかしら?」


 腕を組んだエリザベートが問いかける。


「そして、理由は不明だけれど、今カーチェルニーはその力の大半を封じられている。だからローズ、そしてクロエ。これはあなた達にとって大きなチャンスなのよ」

「……」


 エリザベートが言わんとすること、それは口に出すまでもない。

 ローズが苦し気に黙り込む横で、クロエが信じられないと首を振る。


「ちょっと待ってくれ、まさかリナを斬れというつもりじゃ……」


 クロエとリナの縁は薄い。むしろ婚約者であるローズを困らせる、少々困った存在という認識すらあった。

 だが、そのローズ自身が可愛がっていた娘なのだ。いや、ローズだけではない。クランメンバー達も何かにつけ世話を焼いていたのも知っている。

 それを斬れだなどとは、エリザベートの口から聞きたい言葉ではない。

 しかし――


「当然でしょう」

「!?」


 ローズが俯き、クロエは反発するようにエリザベートを睨み返す。

 その様子にエリザベートは――少し眉を動かしただけだった。


「気を失い無防備な人の天敵。大陸西部に住まう人々の四百年に渡る宿願を果たす機会が、今目の前に転がっている。容易く成し遂げられる形でね」


 もはや二人の様子など気にも掛けずに、エリザベートは続ける。


「逆に聞きましょう。今この機会を逃せばどうなるのか分かってるの?

 黄昏の海域は再び雨に沈み、西方海は不帰の海であり続ける。西大陸との連絡再開の希望も潰える。いいえ、今この場所で完全に目覚めるようなことがあれば、この帝国すら滅びかねない」


――その責任を取れるのか?


 エリザベートの眼はそう二人に問いかけていた。

 思わず視線を逸らしたクロエを見て、視線を和らげたエリザベートは微笑を浮かべて続ける。


「ローズ。あなたがその剣を一振りするだけで、それらは永久に過去のものとなる。まさに英雄の所業。誰もあなたとクロエの婚姻を反対できない。例え重婚という瑕疵があっても問題にならないほどに。

 そしてそれは、クロエの望みを叶えることにも繋がる。ならばやることは一つでしょう」


 クロエはその言葉にショックを受けたように、ふらりと半歩下がる。

 自らの希望、そして夢が、リナの死の先に存在することに気が付いたのだ。

 確かに望んでいた。カーチェルニーの打倒を。そしてその先を。

 リナという小さな犠牲でそれが成し遂げられる。

 大のために小を殺す。王となれば必然的について回る決断への覚悟。

 理屈では分かっていた。冒険者クランの運営でいくらか実感もしていた。

 だが……


「そんなの……」


 なにより嫌悪をもたらすのは――

 頭の中では理屈としてはそれを肯定している自分自身――

 と、その時クロエは、ふわりと自分の肩が抱かれたのに気づいた。

 ローズだ。


「すまない。私個人の葛藤をクロエに押し付けてしまったようだ」

「……いや、これは……」


 クロエが否定しようとするのを、ローズは静かに首を振って押し留める。そしてエリザベートを見つめ返す。


「少し時間をくれないか」

「……おそらくあまり時間はないわよ?」

「分かっている」


 エリザベートはため息を吐きながら、部屋を出て行く。

 ウルスラもそれに続こうとして、途中でローズを振り返る。


「本来ならば、私が成すべきことなのですが」

「いや、違う」


 ローズははっきりと口にする。


「私が決める」



―――――



 エリザベートは自身に割り当てられた部屋に戻るため廊下を歩く。

 その姿からは、直前までの呆れたような雰囲気は鳴りを潜めていた。


――理解し難い。理論的に考えて明白な帰結であろうに。


 先送りにしようと、迷おうと、結論は変わらない。この時間の意味が分からない。

 だが……

 歩きながらため息を吐く。


「どうも失敗したようね」


 ローズやクロエがあんな短期間で、リナにあれほど感情移入していたとは。完全に計算外だった。


「期間の問題ではない、か。分かっていた、つもりではいたけど」


 本当に理解できない。

 今現在、エリザベートの心を支配しているのは憤りではない。――困惑だ。


「まともなふりって難しいわね」


 今のエリザベートは他人の心がよく分からない。

 これは比喩的なものではない。

 会話の内容や声色から、その時の相手がどのような感情を抱いているのか、理屈で想像することはできる。

 だが、相手のその表情――顔や身振りから、その感情を読み取れない。より正確には、彼女が読み取ったつもりのものと、相手が実際に抱いている感情が一致しない。

 ある時から一致しなくなった。

 最初それに気づいた時はひどく困惑した。そして感情のままに怒りをぶつけた。なぜ皆、私を馬鹿にするのかと。何もできなかった自分がそれほど可笑しいのかと。

 その時怒りをぶつけた相手の、困惑の表情――後に当人に困惑の表情であると説明された顔――をよく覚えている。自分には相手がその時、愉快がっている様に感じられたのだ。

 しばしの混乱と懊悩を繰り返した結果、彼女は結論付けた。

 自分はあの時、あの友人たちを焼く炎の前で、心のどこかが壊れてしまったのだと。

 以来、彼女は自身の直感的な共感をすべて無視し、理屈でのみで考えるように心がけている。

 そうしなければ、人としての正常なコミュニケーションが成立しないからだ。

 結果としてしばしば冷たい人間――それは半ば以上事実ではあるが――だと思われているようだが、それは十分及第点と言えた。情緒不安定な異常者とみなされるよりは大分ましだからだ。

 ゆえに今回もローズやクロエを、理詰めで追い詰めるような真似をしてしまった。


「でも、今回は本当に他に手がない」


 自分が言ったことは間違っていない。そう確信している。

 だが、二人がリナにあれほど感情移入していることが分かれば、もう少し言い方があったのかもしれない。

 それは、二人を傷つけたかもしれないことに対する気づかい……などではなく、クロエの信頼を失う可能性に対する、理詰めの反省であった。

 いまだ彼女の心は凍ったまま。

 彼女自身それを自覚しながら。

 まっとうな人のふりを続ける滑稽さを自身で笑いながら。




 自室に入り明かりをつける。

 そこに――


「お久しぶりでございます。サーリェ様」


 ペルペトゥアの姿を見出して。

 さしものエリザベートも、絶句することになった。

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