27.月の欠片
「リナ!」
ローズは真っ先に駆け寄ってリナを助け起こす。
反応はなく完全に気を失っていた。
そのあまりの軽さに驚きながら、ちらりと傍らに倒れ伏すドナートに目をやる。迫りくる濁流が引き起こす地響きと轟音にも拘らず、彼が目を覚ます様子はない。
(すまない……!)
ローズの身体強化ならば、リナごとドナートを抱えることも可能ではあろう。だが、凄まじい勢いで水が迫る中、彼を抱えていては到底川岸まで間に合わない。サロモンや衛士達については言わずもがなだ。
(リナだけでも……! しかし間に合うのか?)
川岸までの距離。自身の目算を信じる限りでは、ぎりぎりと言ったところだ。
視線を向けたところで、その川岸に見知った人影を見つける。
「ローズ!」
轟音の中でも良く通る、そのクロエの声に勇気づけられ、ローズは走りを加速させる。幸い川底であったはずの地面は、なぜかよく乾いており足場の不安はない。
と、ローズの左右を、光る台に乗せられた何かが後ろから勢いよく追い抜いていく。
「!?」
一瞬、驚きのあまり立ち止まりそうになるが、すぐにその正体に気づいてそれらを追いかけるように走る。
「うおおおお!」
足元に迫った濁流を寸でのところで躱して飛び上がると、滑り込むように川岸に着地する。無論リナを取り落とさないように抱きしめながら。
「はぁはぁ、……間に合ったか」
飛んでくる飛沫に気づいて川を振り返ると、上流と下流、双方から押し寄せた濁流がぶつかり合い、激しく渦を巻いているのが見えた。巻き込まれていたら危ないところだ。
ホッとして立ち上がったところで、不意打ち気味にローズに抱きついて来た者がいた。
「よかった!」
確かめるまでもなくクロエだ。リナを抱き上げたままのローズに勢いよく抱きついて、歓喜の声を上げる。
ローズはバランスを崩しかけながらも、慌ててリナを抱え直すようにしながら、クロエを抱きとめる。その勢いに驚きながら。見間違いでなければ目じりに涙も浮かんでいる。もっともこの雨では雨水との区別はできないが……と思ったところで気づく。
「雨が」
雨が止んでいた。
先ほどまで円筒形に区切られていた空間を中心に、星空が魔法のごとく急速に広がっていくのが見える。それと同時に月がその淡い光で周囲を照らしていく。
そこでローズはふと思い出す。先ほど川底で自分を追い抜いて行ったモノの事を。
周囲を見渡すと、地面にそれらが乱暴に転がされていた。
ドナート、サロモン、名も知らぬ四人の衛士たちだ。
「クロエ、助けてくれたんだな。ありがとう」
「ああ、まぁ一応ね。手段があるのに見捨てることもないからね」
クロエが名残惜し気にローズから離れる。感情に任せて抱きついてしまったことで、少し照れくさそうにしながら。
やけに感情的になっているクロエのことを少し不思議に思っていると、二人の近くにエリザベートとウルスラが歩み寄ってくる。
ウルスラが腑に落ちないという顔をしていた。
「なにか?」
ウルスラはそれには直接答えず、ローズの腕の中のリナをじっと見つめる。
「……気を失っていますね。その娘のことは……、ここで立ち話で済ませられることではありません。後ほどとしましょう」
ウルスラはクロエに向き直る。
「ところで、細かいことが気になる性分なのですが、今【リフレクトシールド】で人を運びました?」
「ん? そうだね」
ローズを追い越していった光る台。それはクロエの仕業だった。
精霊教会の六人が生きているのは、クロエが【水晶宮殿】の【リフレクトシールド】で運んだ結果なのだ。
「あの魔法は人を弾き飛ばすことはできても、運ぶことなど出来ないはず。理屈の上では、全身骨折を覚悟すれば弾き飛ばしを繰り返して運べないこともないですが……。そうではありませんよね」
「そんなことしたら死んじゃうでしょ……」
人を運ぶ。それは普通の【リフレクトシールド】で出来ることではない。ウルスラの抱いた疑問はそれだった。
「術を一旦解除してね、シールドが消滅する寸前に再掌握するんだ。そうして機能低下した状態を維持し続ければ、過剰に跳ね飛ばすことなく人や物を運ぶことも出来るんだよ。多少の打撲や服の痛みはあるだろうけどね」
クロエがなんでもないように、自分がやったことを説明する。
だが、ウルスラは何を言われているか分からないという顔で首を傾げる。
「術を解除したらすぐに消滅してしまうでしょう?」
「完全に消滅するまで一瞬間があるんだよ。そこを素早くタイミングよく再掌握するのさ」
「再掌握とは」
「言葉のままだね。解除して制御を放棄した術が分解する前に、再び制御下に置くだけだよ」
「……ほぼ一瞬で消滅するのに?」
「うん。タイミングの問題だから、コツを掴めばそんなに難しくないよ。人や物を壊さずに載せられる、丁度良い感じで再掌握するのはちょっとコツがいるけどね。あと、油断すると接触ですぐ消えちゃうから、消えないよう、強くなり過ぎないよう、良い感じに魔力を補充し続ける必要がある。これはちょっと神経を使うかな」
「……」
言っていることは分かる。理屈的には可能である事も分かる。
だがそれらの一つ一つが実行するのは非常に困難な事ばかりだ。それらを全て通しで成功させるなど、不可能であると断言できる。いくらか魔術に自信のあるウルスラだからこそ。
だがクロエはその不可能事をやったと言っているのだ。六つ同時に。
頭を抱え始めたウルスラの肩を、エリザベートがポンと叩く。
「懐かしいでしょ、この感じ。異才が意味の分からないことを、何でもないようにやって見せて、私たちは呆れて頭を振ってばかり」
「あなたも大概でしたよ、サーリェ」
「エーリカやロランと比べたら、私なんかはまだ凡人の範疇でしょ」
「……」
自覚のない天才の弁に首を振りつつウルスラは独り言ちる。
「ああ、確かに懐かしい感じですね」
―――――
街に戻ると一行は精霊教会の宿泊施設に滞在することになった。
リナと精霊教会を引き離すため、他の宿を使うことも検討されたが、同じ街の中では余り意味はないと考えられ、それより精霊教会側の反発を抑える方を重視したものだ。無論ローズ達はリナに付き添うという条件付きだが。
当初サロモンの反応が心配されたが、彼は目を覚ますと半ば自失しており、リナのことについての話し合いをあっさりと了承。一行の滞在も認めた。
「……」
ベッドで眠るリナをその脇に座って見つめるローズ。少しうなされている様にも見える。
背中まで伸びた深紅の髪は、手早く三つ編みにして肩の前に垂らす。ローズは自身の髪の扱いもあって、もはや手慣れたものだった。
「意外というか、サロモン氏はさっきまでの頑なな態度が嘘のようだったな」
「当然でしょう。只人があの場に居て、ただで済むはずがありません。しばらくは精神療養が必要でしょうね」
ローズの独白にウルスラが答える。
だが、いまいち実感が起きない。ローズもあの場に居た。ショックはショックなのだが、サロモンの受けたものとは質が違うものだ。
そしてその原因を――あのリナの姿の理由を――はっきりさせる必要性があった。
「リナに何が起きたのか、教えてもらえるか」
「良いでしょう」
ひとつ頷き、ウルスラは川岸でクロエ達に伝えたことを、今一度ローズに伝える。
リナこそは『人の天敵【嵐精】カーチェルニー』であることを。
そして、それが半ば以上目覚めかけているであろうことを。
ウルスラが話し終えた時、ローズの顔は蒼白になっていた。
「ちょっとまてくれ、背格好からして最近孵化した天龍のはずだと言っていなかったか?」
「言いましたね」
「カーチェルニーが現れたのは四百年ほど前だ。当てはまらないだろう」
「そのはずでした」
ウルスラはそのローズの疑問に首を振る。
「ですが、天龍が天龍を見間違うことはあり得ないのです。この深紅の髪はカーチェルニーでしかありえません。今までいかなる方法で擬態していたのか、それは分かりません。ですが今それは重要ではないでしょう」
ウルスラが薄目を開けてローズの腰の剣に視線を向ける。
その言わんとすることを悟り、ローズが唇を嚙む。
剣の柄に手を当てて、強く握りこむ。
「……リナはこの剣を『月の欠片』と呼んでいた。『悍ましい』とも」
「『月の欠片』とは一種の古語です。サーリェが名付けるところの『天龍因子』。この世界の強者、特に人の天敵と呼ばれるモノの多くが色濃く受け継ぐ因子です。そして言うまでもなく、天龍を構成する因子でもあります」
「……」
ローズはウルスラに言葉に嫌な予感を覚える。
「その剣――ヘカテーの由来。名も無き大古竜を墜としたという伝説が事実なのか否か、今では知る由もありません。ですがおそらくはそれは事実なのでしょう。なぜならその剣の刀身は天龍そのものなのですから」
「天龍そのもの……」
ローズは思い返す。時折、天龍達やその関係者から出てくる奇妙な言葉。フラムやウルスラは今は『人族』であり、かつて精霊教の開祖は『精霊の子』なる人ならざる力を持つ存在となり、リナ=かつてのカーチェルニーは『精霊』あるいは『自然現象そのもの』と化した。
ならば、そのように自らの『在り方』を変えることが出来るのならば――
「つまり……」
「カーチェルニーがその剣を見て悍ましいと言ったのも頷けます。その剣はまさに、一人の天龍が天を墜とすため、その身を変えた武器なのですから。……自らの生命と存在そのものを代償として」
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