25.渡河
教会からの追加の漕ぎ手はまだ到着していなかったが、サロモンは船着き場の人員に金を渡して、船の用意を先にさせることにした。
普段は陸上に保管されている渡し舟を下ろして、桟橋に繋ぐのだ。
「本気ですか!?」
風雨の中、船着き場の臨時の責任者が改めてサロモンの正気を確認するように叫ぶ。
増水した川辺へと繋がる小さな入り江状の船着き場に渡し舟を下ろすが、舫い綱で桟橋に繋がれた船は、激しい水の動きで既に大きく揺れ動いている。
川の流れを直接受けないよう工夫されたこの船着き場ですらこれなのだ。川の本流に出るのは自殺行為にしか思えない。
「責任はとれませんし、船の補償金もまかりませんよ!」
「構いません」
サロモンは平然と答え、建物の庇の下で雨を避ける。無論リナを守る様に。
衛士達は川の様子に不安を隠せないでいるが、子供ながらに泰然自若としたリナをちらりと見て、その不安を押し殺す。
とそこに船着き場の入り口の方がにわかに騒がしくなる。
「……何事ですか」
衛士の一人が様子を見るために向かうと、鉢合わせるように教会へ向かったはずの交渉役が姿を現す。
「サロモン閣下! 例のエーリカの民どもがこちらへ向かっています!」
彼は教会へ戻った後、ローズ達が教会の近くで言い合いをしているのを偶然発見し、急ぎ船着き場に戻ったのだ。
これまでに二度教会と往復して道に慣れていたのが、ローズ達との到着の時間差として表れていた。
交渉役のその言葉にサロモンは眉を顰める。
「止むをえません。衛士達よ、本来のあなた方の役儀ではありませんが、しばし漕ぎ手を務め、精霊の子の道を切り開くのです」
「は、しかし四人では……」
「今は議論の時ではありません」
サロモンがリナを促して船へ向かい、それに止むを得ず従う衛士達。
渡し舟は漕ぎ手も含めて二十人も乗れば満員となるような小舟だ。漕ぎ手が四人でもなんとかなる程度の大きさではある。もっとも漕ぎ手が普段から船を扱っている者で、かつ川面が穏やかであればの話だが。
「どうなっても知りませんよ!」
船着き場の責任者がサロモンに促され、止むを得ず舫い綱を解いていると、倉庫の角から人影が飛び出してくる。
「……!」
――――
時間はしばし遡る。
ローズ達が船着き場区画に駆けこむと、その目の前には雨のせいもあり人影ひとつない倉庫街が広がっていた。
直前までは船下ろし作業を行っていた船員たちも居たのだが、雨を避けてさっさと待機場所に引き上げてしまっていたのだ。
そのため、ローズ達は自力でサロモン一行を探さねばならないのだが、河川輸送の荷役場でもあるこの船着き場区画は、それ相応の広さがある。さらには地理に不案内で時間もないとなれば、分散して探すべきというのが自然な結論となる。
「二手に分かれよう」
「ドナート殿とわたくしは、別れた方が良いでしょう」
ウルスラが言う。
エルフに隔意がある可能性のある精霊教会が相手だ。一行の人族(及びその姿をしている者)を分ける意味と、何等か交渉することになった場合に、精霊教会側の人間であるドナート、もしくは帝国の公的地位を持つウルスラ、いずれかが居た方が良いという判断である。
「ドナート殿、私と!」
ローズがそれだけを言って駆け出す。
「承知!」
身体強化で加速するローズに悠々追いつき、むしろ追い抜く勢いのドナートを見送って、残りの三人、クロエ、エリザベート、ウルスラは別方向に急ぐ。
「はぁ、仕方ないわね」
「サーリェ、貴方はもうちょっと他人の事を気にした方が良いですよ」
あまり乗り気でないエリザベートに、ウルスラが苦言を呈する。
「……ふん」
何か言い返そうとして途中でやめるエリザベート。
「口ではそんなんだけど、一応手は貸してくれるからね、ベスは」
「あなたは……、はぁ、まぁそういう事にしてあげるわ」
そう言ってローズとは別方向に駆け出したクロエを追うエリザベート。
―――――
ローズが倉庫の角を見るように駆け抜けると、開けた視界に一気に情報が流れ込んでくる。
川辺に設けられた桟橋と荷役場の広い空き地。
作業のために掲げられたいくつものランタン。
荒れた川面に接している桟橋には、今にも舫いを解かれようとしている小舟。
その上に載っている数名の男女。
精霊教会の司教と、衛士達。そして、見たことのない白い装束に身を包んだ、赤茶色の髪の少女。
「!? リナ!?」
髪色の違いから別人のように見えたが、その顔は間違いなくリナだ。
そのリナの乗った小舟が、今しも川へと乗り出そうとしている。
「馬鹿な真似は止せ!」
しかし、その静止の声はサロモンの強硬な反応を引き出しただけだった。
「綱を切りなさい!」
「!?」
その声に反応した衛士が、まだ解かれていない舫い綱に腰の剣を叩きつける。船べりと剣に挟まれた綱はあっさりと断ち切られ、渡し舟が動き始める。
残りの衛士達が、迷いを断ち切る様に櫂で桟橋を押して、船を流れに任せようとする。
ローズは走り込みながらも、一瞬躊躇を抱いてしまう。あのような小舟に勢い良く飛び乗って良いのだろうかと。
しかし――
「お先に!」
隣を走っていたドナートは躊躇することなく、荒れた川面を越えて小舟に飛び込む。
「うわぁ!」
「……!!」
衛士の一人を押し倒しつつ船上に危なげなく飛び降りたドナートは、一瞬遅れて飛んだローズの手を取って、バランスを取りながらその着地を補助する。
(一体何者だこの司祭は……)
そんな疑問を抱くローズだが、今はそんな事を考えている場合ではない。
「おのれドナート! 精霊の御意思に逆らうとは!」
「お待ちください、サロモン閣下」
激高するサロモンとは対照的に、ドナートは雨に打たれながらも冷静だった。
「私はリナ様とローズ殿の間に、今一度お話の場を設ける為だけに参っただけです」
「世迷言を! ここまで執拗に追いかけてきておきながら、話し合うだけだと!? それで済ませるなど信じる方がどうかしている!」
「いや、この天候で船を出すような無茶な真似をする方にも問題があるのでは」
ドナートの素のツッコミも、激昂しているサロモンには通じない。
「衛士達よ! この裏切り者を斬り捨てるのです!」
その言葉に双方緊張が走る。むしろ命じられた衛士達の方が動揺している。
サロモンとリナの前に立ち、ドナートやローズに対して立ちふさがる形となっている三人の衛士達。腰から剣を抜いたものの、ドナートのような教会の司祭に刃を向けるのはやはり躊躇われるのか、互いに顔を見合わせている。
その様子にドナートは両手を広げ、あえて無防備に一歩前に出る。
「衛士達よ。あなた方の武器は信徒を守るためのもの。そして精霊の御意思を叶えるためのもの。今その御意思はリナ様の元にある」
「耳を貸してはなりません!」
板挟みとなった衛士達は剣を振るうことも、引くことも出来ず、動揺するばかりだった。
そこにドナートが、あえて衛士の剣の刃を首で受けるような形で歩を進める。
「お下がりください!」
「……」
それでもドナートは歩みを止めず、良く研がれた刃が薄く当たった首筋には、赤い血が小さな玉となって流れる。それもすぐに雨と混じって洗い流されるが、一筋の赤い傷口がはっきりと首に残る。
「ローズ殿が望むのはお話だけでございます。なぜそこまで拒まれるのですか?」
「裏切り者の言葉が信じられると思って……!?」
そこまで口にしたところで、サロモンは背中に庇ったリナの様子がおかしいのに気づく。
「うう……」
「リナ様!?」
「リナ!」
顔を伏せ、膝をついて震えている。尋常な様子ではない。
「貴様、リナに何をした!」
「リナ様を追い詰めているのは、お前たちの方であろう!」
「ならば、なぜリナの髪色が変わっているんだ!」
「!?」
サロモンが目を見張って、リナを見つめ直す。
「何を言っている。リナ様はもとより赤髪……?」
言いながら自分の言葉に疑問を抱いたサロモンは、眉根を寄せる。
「赤……? いや、あの時見たのは黒髪……」
初めてリナを見たときの黒、先ほどまでの茶、そして今目の当たりにしている赤。
それも普通の赤髪ではない。
血の如き、
ぬめらかな、
人ならざる、深紅。
「……ああ?」
自身の思考が上滑りを始めることに戸惑うサロモン。掴み取ろうとすればするほどに、頭が疼き始める。
「髪の色……いや、そんなものはどうでも良い……リナ様……!」
頭痛に顔を顰めながら、気遣う様に伏せられた顔を覗き込む。
と、唐突にリナが顔を上げる。
「あなたが、裏切った……?」
深紅の瞳。
その口調と瞳に込められた、素朴な問いと、尋常でない――憎悪。
何の脈絡もなく自分に向けられた、その巨大な憎悪の視線にサロモンが絶句していると、思わぬところから声がかけられる。
「誰も裏切ってなどいない!」
異常な空気を察したローズの声だった。
あるいはリナが天龍であることを知っていたが故の、ほとんど直感による叫びだった。
理由は知らない。ただ、このままではまずいと感じたのだ。
「……誰も?」
「そうだ! その人も、私も、皆リナのことを思っているだけだ!」
「……」
瞳の光の強さが少し和らぐ。
「……! はぁ、はぁ、はぁ……」
思わず呼吸を止めていたサロモンが、思い出したように荒い息をつき、その場にへたり込む。
「一体何が……!?」
サロモン同様に異様な空気を感じて固まっていたドナートが、独白するように呟いたその時だった。
「あぶない!」
突然に渡し舟が流木に乗り上げ、その舳先が跳ね上げられる。
人の力では到底抗えない衝撃に、ほとんどの者が立っていられず、あるいは船底に倒れ伏し、あるいは船べりを掴んで体を支える。とても他人を気にする余裕などない。ただ一人を除いて。
「リナ!」
かろうじて座り込む形で体勢を維持したローズが、真っ先に安否を確認したのは当然リナだった。
しかし、ローズが目にしたのは、ふわりと勢いよく跳ね上げられたリナが、舳先を越えて向こう側へ落ちていく光景だった。
「うおおお!!」
不安定な船底を蹴って舳先へ走り抜け、リナの手を掴もうと手を伸ばす。
だが二人の間には、到底届きようのない距離が開いていた。例えローズが身を投げ出しても届きようのないほどの距離が。
「リナァ!!!」
リナは頭から荒れた川面へと落ち、荒れた波に遮られ、瞬時にローズの視界から消えた。
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