24.急行

「サロモン閣下!」

「……?」


 サロモン達が急ぎ旅装を整え、出発しようとするまさにそのタイミングで現れた聖職者。

 彼が雨に濡れた旅装そのままに教会を訪れたことに不思議はない。教会は関係者や信者の宿泊所として利用されることも多いからだ。

 しかしだからといって、ろくに身だしなみも整えないままに、偶々その場にいた高位聖職者に話しかけて許されるわけではない。それはいささかならず常識に欠ける行動と言わざるを得ない。

 その行動もさることながら、それを行った人物が見知った顔であったことに気づき、サロモンは驚く。


「ドナート、なぜあなたがここに?」

「今一度、リナ様がローズ殿とお話をする場を設けていただきたく」

「……あなたは何を言っているのです」


 呆れたようにドナートを見返すサロモン。


「まさか、貴方があのエーリカの民らを案内してきたのですか?」


 裏切り行為とも言えるドナートの行動を悟って、サロモンが眉を顰める。


「閣下、お聞きください。最も尊ぶべきはリナ様の御意思」

「裏切り者の言葉を聞く必要はありません。衛士達よ、この者を捕えなさい」


 サロモンは激することもなく静かに、だが強硬に命令を発する。その言葉に驚くドナートと、戸惑う周囲の者達。

 衛士達は命じられた以上は動かざるを得ない。同僚と顔を見合わせながらもドナートに近づく。


「ドナート様、申し訳ありませんが……」

「お待ちください!」


 衛士に肩を掴まれながらも、サロモンに追いすがろうとするドナートであったが、すぐに阻止される。


「……もはや猶予はありません。すぐに発ちます」

「お待ちください! リナ様! もう一度だけローズ殿とお話を!」


 その言葉にピクリと反応するリナであったが、サロモンに促されると、振り返ることもなくその場から立ち去ってしまう。



―――――



「ですから、何度も言う様にこの天気では船は出せないと……」


 すぐに教会を発ったサロモン一行であったが、渡し舟の交渉が難航して足止めを食うことになっていた。

 金を積めばなんとかなるだろうと思われていたのだが、さらに風雨が厳しくなり船員が怖気づいたのだ。

 当初、それを値上げ交渉の駆け引きだと勘違いしたサロモン側の反応に、船員たちの態度が硬化したのもある。

 そもそも普段は橋が架かっているこの街の渡し船は、あくまで応急時用のものであり、船員も普段は別の仕事をしている。経験はあるものの、素人よりはまし程度でしかないのだ。とても荒れた川面に出る勇気はない。

 当初、教会からついてきた交渉役に話を任せていたサロモンであったが、進まない交渉に焦れてついに口を出す。


「……ならば、船だけをお借りしたい」

「は? それは……」

「無論、万一船が破損した時のために補償金も積みましょう」

「いや、漕ぎ手はどうするのです?」

「こちらで用意します」


 サロモンは唖然とする船主を強引に頷かせると、上役の口出しに困惑する交渉役に、漕ぎ手として人数を寄こすよう言い含めて教会に戻らせる。

 そして、同様に困惑する衛士達を見渡し、安心させるように微笑んで見せる。


「心配はいりません。精霊は試練を課すことはあれど、我々を見捨てることなどありえません。ましてや精霊の子をや……」


 そう言いながらリナを促すと、彼女は感情の見えない能面のような顔を衛士達に向ける。


「私は急ぎ西へ向かわねばなりません」

「それは、精霊の御心ということでしょうか?」


 衛士の一人から問われ、リナはその黒い瞳を彼に向ける。

 その冷たい瞳に衛士は思わず息をのむ。

 以前からリナを知る者ならば驚くだろう、彼女の感情がここ数日で人と思えぬほど希薄になりつつあることに。

 元より感情表現の薄いリナではあったが、それはあくまで表面上のもので、表に出さない豊かな感情があったのだ。それが今のリナは、まるで人であることをやめつつあるように思われるほどだった。


「我が心がそれを求めるゆえに」


 その言葉に込められた無形の圧力に衛士達が自ずから跪き、それを見たサロモンは満足気に頷く。

 風雨が一層強まっていることは、もはや彼らの障害にはなりえなかった。



―――――



 しばらく後、サロモンの指示が届いた教会では、困惑と喧騒に満ちたやり取りが行われていた。

 当然ながら教会に船の漕ぎ手の経験がある者などいない。漕ぎ手の人選やそもそもサロモンの正気を疑う声など、騒がしく飛び交うのは避けられなかった。


「――!」

「――!」


 ドナートは軟禁されている部屋で、外から伝わってくるそれらの喧騒を、耳と経験で培った肌感覚で感じ取っていた。


「……ふむ」


 【水晶宮殿】一行が教会を訪れ、押し問答にでもなっているのか。

 それとも――


「いえ、それにしては声に乗る緊張感が薄い。これは外への対応ではなく、内向きの動きでしょう。サロモン閣下の方でなにかあったのか」


 ドナートは直感と推論とを重ね合わせ、そして決断する。


「いずれにせよ、今ですな」


 おもむろに窓に近づき、出来るだけ音を立てないように窓を引き上げる。

 窓の開口部は少々狭いが、人が通るには十分だ。

 見下ろせば地面までは人の背の二倍ほど。

 このような不用心な部屋にドナートが軟禁されている理由は単純だ。この教会には監禁用の部屋などなかったからだ。

 そして仮にも司祭の地位に就くドナートを、倉庫のような部屋に閉じ込めるわけにもいかず、苦慮した衛士達は宿舎の二階に軟禁することにしたのだ。

 当然その部屋の窓の固定などはされていなかったが、四十前後の司祭がそこから飛び降りられるとは思われず、それで十分だと考えたのだ。

 だが衛士達の期待と裏腹に、ドナートは躊躇することなく窓から地面へと飛ぶ。


「おっとと」


 ぬかるんだ地面に一瞬足を取られるが、すぐさま立て直して転倒を回避する。

 それでもドナートとしては、それは不満足な結果だったようである。


「ふう、歳は取りたくありませんな」


 などと言いながら続けざまに、目の前の塀に飛びついて、身軽にそれを越えて教会の敷地外へ脱出を果たす。


「へ!?」


 突然目の前に降りてきたドナートに、クロエが間抜けな声を出す。


「これは間が良い」


 ドナートの唐突な登場に驚いていたクロエ達だったが、その見知った顔に警戒を解く。


「随分と身軽な司祭だね」

「拙僧も若い頃は色々無茶をしましたからな。今でもいざという時のために体を鍛え……と、立ち話をしている場合ではありませんな」


 その言葉に、クロエ達は表情を引き締める。


「サロモンとリナ様は、川を船で渡るつもりの御様子。急いで追いましょう」

「は? 増水は収まっていないんだろう? しかもこの天気じゃ……」


 実のところ【鉄腕】のベイルたちはぎりぎりの所で、可能な限りの時間稼ぎを試みていた。

 すなわちサロモン達が川を渡るつもりであることを、ローズ達に最後まで黙っていたのだ。ローズ達からすれば、正当な依頼を受けた冒険者を尋問するわけにもいかず、またその時間もなかったため、止むを得なかった面もある。

 【鉄腕】としては、それでローズ達が教会へ向かって遠回りしてくれれば儲けもの、その程度のわずかな時間稼ぎ。依頼人に対する最後の義理であった。その冒険者としての倫理観が、今回ローズ達に災いすることになった。

 そして、それを耳にしたローズは、リナをその様な危険な目に合わせる気かと驚愕する。


「馬鹿な! 正気か!?」

「サロモンは俗な割に信心深い所がありますからな。リナ様に従っておれば、増水した川程度恐れぬでしょう」


 その言葉にローズとクロエが顔を見合わせる。


「まさか、リナが精霊の子だという事だけを根拠に、遭難しないと信じている?」

「恐らくは」


 サロモンの信仰はさておき、この天候で船を出すなど客観的に見て無謀極まる。そしてそれにリナが巻き込まれようとしていることを理解し、ローズが怒りの声を上げる。


「あいつ! 保護者としての責任をなんだと思ってるんだ! リナを神頼みの博打の掛金にするつもりか!?」

「誠に面目ない」


 ドナートが沈痛な表情で俯く。同じ精霊教会の関係者として責任を感じているのだろう。

 それを見てローズの追及が鈍ったところで、わざとらしくため息が割って入る。


「はぁ、そんな話をしている場合ではないでしょう」


 そのエリザベートの呆れたような声に、ローズは我に返る。


「くっ、そうだった。急ごう!」


 そうして、一行は渡し舟用の船着き場へと急ぐ。


 だが、風雨のためか、驚愕のためか、ローズ達に気づいた教会関係者が船着き場の方向へ立ち去っていたことには、最後まで誰も気づかなかった。

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