23.時間稼ぎ

 その日の夕刻、ローズ一行はヴァロリスに到着する。

 日が沈むまでいくらか猶予があるはずであるが、厚い雲としとしとと降り続ける雨により視界は随分と暗い。


「それでは拙僧は教会を確認してまいります」

「こちらは適当に宿を確保しておくよ。連絡は例によって冒険者ギルド経由で」


 ドナートとは一旦別れ、今夜の宿を確保すべく宿泊施設の集中する区画へ向かう。


「しかし参ったね。橋が流されてるなんて」

「向こうが先に渡っていたら万事休すか」


 その辺りが不明なためやきもきするが、今更じたばたしても結果は変わらない。そう自分に言い聞かせる。

 それに、まだ川を渡っていなければここで追いつけたことになる。状況は一方的に否定的要素だけというわけではない。

 ゆえに一行の一致する気持ちとして、いまは全身濡れ鼠となって疲労した体を何とかしたかった。何しろここ数日ずっと雨の中を移動していたのだ。マント状の雨具を用いているとはいえ、雨に打たれ続けでは覆い切れない顔や手足、首元が濡れそぼった状態になるのは避けられない。


「しかし、もしこの街の教会に逗留しているとすれば、ドナート殿が顔を出すとひと悶着になるんじゃないか?」

「そこはうまく言ってくれることを期待するしかないね。もし、一~二時間経ってもギルドに来ないようであれば、こちらから動いた方が良いかもしれない」


 雨の日の夕刻とあって、人通りも少なくなっている街路を馬を牽いて進む。ここ数日の雨の中で馬に無理をさせていたため、少しでも無駄な負担を減らしたい。

 当の馬達の方は存外元気そうではあるのだが。




「おい、あれは精霊教会の坊主じゃないか?」

「ん? どういうことだ?」


 パーティーの斥候役であるザインの指差す方を見て、ベイルが眉を顰める。

 そこは丁度【水晶宮殿】一行からドナートが分かれ、教会へ向かっている場面だった。

 【水晶宮殿】一行の動向を確認して、足止めのタイミングを見計らっていた所で、少々想定外の事態に出くわした形だった。


「理由は分からんが、協力者がいるってことか」

「どうする?」

「……」


 一瞬ドナートの方を足止めすれば時間を稼げるかとも考えたが、ドナートが戻ってこなければ、当然【水晶宮殿】の方も動き出すだろう。あまり良い策とは言えない。


「どうにもできんな。坊主の方は無視する。あっちで何とかしてもらうしかない。こちらは予定通り足止めを行うぞ」


 宿屋区画に一旦走って戻って残りのパーティーと合流。何食わぬ顔をして街路を歩き始める。

 そして想定通りのタイミングで【水晶宮殿】一行と鉢合わせる。そしてわざとらしくない程度に驚いて見せる。


「お? あんたらひょっとして……【水晶宮殿】か?」

「ん? それが何か?」


 すれ違おうとしていたクロエが顔を向ける。

 クロエも一応は冒険者であり、他の冒険者に声を掛けられたくらいでは嫌そうな顔にはならないが、それでも訝しげな顔にはなる。

 相手は男四人組の冒険者。こちらは女性ばかり。となれば、街中でそう滅多なことは起きないと思いつつも多少の警戒はするのが普通だ。


「B級パーティーの【鉄腕】だ。俺はリーダーのベイル」

「……【水晶宮殿】クランマスターのクロエだ。知っているかもしれないが」

「やっぱり! こんなとこで会えるなんてついてるぜ! 水も滴る良い女……ってかマジで美人揃いだな」

「すまないが用事がないなら行っていいか? さっさと宿を取りたい」

「いや、すまん。邪魔する気はなかったんだが……。ああ、ところで昨晩ここの橋が流されたのは知ってるか?」

「聞いてる」

「そちらがこのまま引き返すのか、通行再開まで待つつもりなのかは知らないが、良かったら情報交換しないか? こっちは橋の向こうから来たんだ」

「ふむ?」


 正直なところ気は乗らなかった。冒険者同士の情報交換などはよくあることではあるが、それを口実に異性の冒険者とお近づきになろうとする不埒者は多いのだ。

 特に【水晶宮殿】はターゲットにされ易い。


「悪いが……」

「まぁまぁ、何を警戒してるか想像はつくけど、聞いておいた方が良いと思うぜ? なんか知らないが、揉めてるんだろ?」

「……!」


 クロエの目が鋭くなる。

 ローズとしてはそんな分かり易い反応をするもんじゃないと思いつつも、とりあえずはクロエに任せて静観する。


「先に宿を取ってきなよ。この先に丁度良い酒場がある」



―――――



 ヴァロリスの精霊教会では慌しく出発の準備が行われていた。

 そこに入ってきた司祭服の男が、サロモン一行の助祭の一人に話しかける。


「随分と慌しいようですが」

「ん? そちらは?」

「当教会を預かるヴェルヌーブです」


 その言葉に驚いた助祭は、慌ててヴェルヌーブをサロモンの元へ案内する。


「サロモン閣下。当教会を預かるヴェルヌーブです。所用で出ておりまして、ご挨拶が遅れ申し訳ありません」


 その挨拶を受けたサロモンは、はてと内心首を傾げる。

 昼に到着した時点で、この教会の責任者である司祭と挨拶を交わしたはずだった。

 何か勘違いをしていた? そんなことがあり得るだろうか? 司祭の名は……


(……うん?)


 ふと気づく。今一瞬思考が空転していた。旅の疲れだろうか。

 気を取り直して目の前の問題に集中する。おそらく疲れで聞き違いをして、勘違いしてしまっていたのだろう。ならば礼を失してはいけない。


「これはご丁寧に、オーディル司教座のサロモンです」


 随分と若いと思いつつ、サロモンはその枯れ葉色の髪の司祭と表面上はにこやかに社交辞令を交わす。


「それでこれは一体何事です?」

「挨拶したばかりで申し訳ないが、私を含めた一部の者は今夜ここを発たねばならないのですよ」

「それはまた急に……、しかし日も暮れて雨も降っていますが?」

「少々込み入った事情がありましてな。とりあえず身一つで川を越えるつもりです」

「まさか船で向こう岸へ!? 増水はまだ収まっていませんよ!?」


 ヴェルヌーブは殊更驚いて考え直すように言うが、サロモンは笑って落ち着くようにというだけでそれを取り合わない。


「なに、心配はいりません。精霊の御加護を確信しておりますゆえ」


 その言葉に眉を顰めつつ、ヴェルヌーブが呟く。


「あまり無茶はしてほしくないんだが。ただでさえ予定からズレ過ぎなのに」

「は?」


 その呟きを聞き逃したサロモンは聞き返す。


「いえ、そこまで仰るのであれば。閣下の旅路に精霊の御加護のあらんことを」


 そう言ってヴェルヌーブはサロモンの前を辞す。

 そして雨宿り代わりに、本来存在しないはずの自室へと向かう。


「あの時拾い上げたのもこんな天気だったか。もし川に投げ出されるようなことがあれば……、まぁそれも運命かな」



―――――



「それで、どこから聞いた? 『揉めてる』と」

「まぁまぁ、そんな急がなくても。先ずは一杯乾杯と行こうぜ」


 宿を確保して、身だしなみを一旦整え、待ち合わせの酒場で【鉄腕】の四人と合流する。

 酒場の半個室席、防音は完全ではないが、元々騒がしい酒場の中だ。声をひそめれば周囲に話が聞かれる心配もない。

 ドナートには冒険者ギルドの掲示板を使って、連絡が取れるようにしているため、戻ってくれば合流するだろう。


「かんぱーい!」

「乾杯……何に?」

「なんでもいいじゃねぇか!」

「我々の前途に!」

「はぁ」


 男性陣のテンションと比べて、女性陣のテンションは平坦極まりない。

 もっともこのような状況に慣れているのか、男性陣はまったく気にしていないようだが。


「それで?」

「ああ? 『揉めてる』って話?」

「そうだ」

「せっかちだなぁ……。まぁいいや、いや川向うですれ違った毛色の違う一行、その護衛の冒険者とちょっと話をしたんだよ」

「毛色?」

「ああ、なんて言ったっけ? 神様とかなんとか」

「精霊教?」

「そう! それだ! その冒険者が……」


 まだ飲み始めでほとんど酔いも回っていないにもかかわらず、随分と酔っ払いみたいなテンションである。

 クロエが務めて冷静に対応しているが、苛立っているのがまるわかりだ。

 そして、男たちの様子に違和感を感じたローズはエリザベートに話しかける。


「なぁ、なんか怪しくないか?」

「男性冒険者が、私たちのような女性冒険者を誘えば、怪しくないわけがないでしょう。あなたも女性として気を付けた方が良いわよ」

「そういうものか?」


 その間にもクロエが情報を引き出そうと、【鉄腕】のリーダーであるベイルに話しかける。


「ならその精霊教会一行は既に川の向こうだと?」

「ん? そうだな」

「いつすれ違った?」

「ん? いつだっけ? 一昨日?」

「何時ごろ?」

「そんなのどうでも良いじゃん。飲もうぜ!」


 しかし、よくよく見るとテンション高く喋っているのは一人だけで、残りの三人は場を盛り上げようと合いの手を入れたり、笑顔で飲み食いしてみたりしているのだが、女性陣に話しかけてくる様子がない。むしろ若干腰が引けている気がしないでもない。


「やっぱりなんかおかしくないか?」

「そう?」

「……」


 エリザベートは興味なさげに不機嫌な顔で料理を平らげながら、酒を流し込むように飲んでいる。傍目から見て異常なペース。完全にざるである。


「……あー、君、そんなペースで飲んで大丈夫?」


 【鉄腕】のメンバーの若い金髪の男が恐る恐ると言った感じでエリザベートに話しかける。


「エルフが酒に酔うはずがないでしょう」

「え」

「多少、気分は良くはなるけれどね。まぁエルフの酒呑みはそんなに多くないから知らないでしょうけど。例え樽で飲んでも酔う者などいないわ」

「そ、そうなんだ」


 鋭く睨み返されて、冷や汗をかく金髪に同情するローズ。

 しかし、それはそれとしてやはりおかしい。


「ちょっと聞きたいんだが」

「ああ、なに?」


 金髪が、ほっとした笑顔でローズに答える。ローズの方が若く見えるため、エリザベートと話をするよりましに思えたのだろう。


「なんで時間稼ぎをしている」

「……!?」


 ローズのその言葉に、金髪の笑顔が固まる。

 場を沈黙が支配する。

 唖然としたベイルが、頭痛がしそうな顔で頭を抱える。


「お前らなぁ……」

「だって、全員美人過ぎて、一周回って逆に怖いよ……【水晶宮殿】だし」

「かぁー! 玉なしかよ!」

「いや、【水晶宮殿】相手に武勇伝とかで盛り上げるのも無理だし」

「酔い潰すのも無理っぽいしなぁ」

「どんだけ飲むんだ、この人……」


 揉め始めた【鉄腕】を冷たい目で見るクロエがぼそりと呟く。


「茶番は終わりだな」


 苦々しげな顔でベイルが俯く。


「精霊教会の一行はこの街にいるんだな?」

「……」

「まぁ居場所は明らかで探すまでもない。こちらから出向くとしよう。そろそろドナート司祭も戻ってくるだろうし」


 【鉄腕】メンバーが顔を突き合わせて小声で相談を始める。


「おい、どうすんだ、全然時間稼げてないぞ」

「そもそも一晩飲み明かすって無理があったんじゃね」

「お前らな、クライアントの要望を無駄に教えてんじゃねぇよ。向こうに聞こえてるぞ」

「あ……」


 はぁと溜息をついたベイルが首を振りつつクロエを振り返る。そして、緊張を滲ませた声で問う。


「一応聞きたい。手荒な真似をするつもりがあれば……」


 流石に護衛依頼を受けている身でそれを見過ごすのは許されない。敵わないとしても止める努力をする義務がある。

 緊張する【鉄腕】パーティーをよそに、クロエは微笑ましいものを見る視線をベイルに向ける。


「無駄に策を弄するより、そちらの方が好ましいぞ。

 ……それはともかく、こちらはあくまで話し合いのつもりだ。腕力に訴えるつもりはない。もっとも向こう次第な所はあるがな。信用できないならついてくればいいさ」

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