22.川止め

 ヴァロリスはポーラ川に架かる橋を市内に抱える街道の街だ。

 帝国における西域への入り口の一つとされる交通の要衝であるが、サロモン一行はそこで予想外の足止めを受けていた。


「橋が?」

「はい。昨夜の増水で流されたとのことです」


 ヴァロリスの橋には特徴がある。

 低く太く、そこそこ堅牢に建設された橋脚と比較して、橋桁が簡素な木製で敢えて流されやすいように作られているのだ。時には流される前に橋桁を回収しておくことすらある。

 そのような構造をしているのには川幅だとか、乾季と雨季の水位差だとか色々理由があるのだが、ヴァロリスを通る街道が西域行きの裏道扱いというのが最大の理由だろう。要するに増水に対応した橋を建設するための予算が付かないのである。

 それでもこの時代、橋があるだけ優遇されている方なのであるが、それを当てにしてこの道を選択した者達には困った事態だった。


「季節外れの大雨により想定外の水位増があり、橋桁を回収する間もなく流されたとか」

「ふむ、ルート選定を誤りましたかな」


 もう一方の街道に架かる橋ならば流される心配はなかったのだが、各地の精霊教会を回る都合上、やむを得ず選択したルートでトラブルに遭った形だ。

 今からもう一方の街道へ向かうのは遠回りに過ぎる為、現実的とは言えない。


「確かこのような時の備えとして渡し船があるはずです。確保はしましたか?」

「それについては優先的に使えるよう交渉済みです。ですが増水が収まらない事には、船を出すのは難しいとのことです」

「雨が止むまで足止めですか」


 サロモンは教会の宿舎の窓ガラスを叩く雨を見つめる。薄暗く澱んだ空には雲の切れ間は見えず、風雨が弱まる気配は一向に見られない。


「精霊の御業ゆえ致し方なしではありますが……。

 ふむ。大精霊カーチェルニーへ晴れ乞いの祈祷でも行いますか」


 ソファーに座ってぼんやりとしていたリナが、その言葉にピクリと反応する。


「かー……ちぇる?」


 それに気づいたサロモンが嬉しそうに答える。


「気象の大精霊カーチェルニー様でございます。異教徒どもは嵐の精霊などと呼んで敵視しているようですが……。大精霊の勘気を被ったことを逆恨みして、何とも罰当たりな……」

「カーチェルニー……」


 リナがパチパチと瞬きする。

 そして何かを思い出そうとするように目を閉じる。


「リナ様、良い機会です。現在地上に顕現している大精霊についてお話し致しましょう」


 精霊教が認定する精霊は無数に存在するが、それらは自然現象、あるいは実在も定かでない概念上のものが大半である。

 それに対して、地上に実体を伴って顕現したとされる二柱が、大精霊と呼ばれる存在である。

 炎熱の大精霊ドミティウス。

 気象の大精霊カーチェルニー。

 ドミティウスはその名の通り炎を司る精霊とされる。

 その炎のイメージに反して争いを好まない落ち着いた性格であるのだが、現在は人との関わりをほとんど絶っており、最後に姿を現したのは二百年以上も昔の事である。人類に対しては友好的であり、精霊教会との関係も深いとされる。

 対してカーチェルニーは、かつて三つの小国の存在したミストラル半島を壊滅させ、三百万とも言われる犠牲者を出した荒ぶる精霊である。

 帝国はそれを『人の天敵』の第二位と認定して、その討伐を目指しているが、一度国軍を投入した討伐が惨憺たる失敗に終わると、国家事業としては二度と軍を起こすことはなかった。

 富と名声を求めた私的な討伐隊が幾度か結成されたが、それらも悉く失敗に終わり、もはや人が打倒するのは不可能とまで言われている。

 精霊教会としては、そのような暴力的な行為こそが、カーチェルニーの怒りを長引かせているのだと非難しているが、精霊教徒以外の人々には相手にされていない。


「本来、大精霊カーチェルニー様は気象の精霊なのです。ゆえに人々が真摯に祈れば、いずれその荒ぶる怒りを収め、渇きにひび割れた地には雨を、長雨に閉ざされた地には太陽を、それぞれに賜る益精として、立ち戻って下さるはずなのです。それを不信心者は……」


 サロモンの愚痴交じりの説法に、周囲の助祭や修道士が顔を見合わせて肩を竦める。




 普通の子供なら眠ってしまいそうな、長々としたサロモンの説法。にも拘わらず、リナの目はむしろ知性の光を強めていた。

 一人の助祭がそれに感心する。


(見た目は普通の少女ですが、非凡さを感じさせますね。やはり精霊の子……)


 それにしてもと、助祭は最初にリナを目にした時の印象を思い出す。そして今のリナとの差に驚く。

 最初はどこにでもいる平凡な少女に思えた。少しおとなしく、多くの人に囲まれ戸惑っていた。

 それが例の『奇跡』以来、何かが切り替わったかのように大人びて見えるようになった。


(そういえば……)


 リナの最初の印象。彼は奇妙な『ズレ』を感じていたことを思い出す。

 彼が最初に目にしたリナは、一見普通の少女のように見えた。

 しかしその目を見た時、彼はなぜか以前に見た彼の幼い姪の事を思い出した。その時の姪は、昼寝から目覚めたばかりで、夢とうつつを彷徨っているようだった。目の前のものが目に入っていないぼんやりとした瞳。その時は微笑ましいだけだった瞳。

 リナの瞳がそれと同じに見えたのだ。


(寝惚けている様には見えませんでしたが……)


 奇妙な印象。

 その後の『奇跡』の衝撃で忘れていたその印象……。

 と、助祭の意識が一瞬ぼやける。


「……?」


 一瞬の間をおいて、ふと気づく。

 つい先ほどまで、自分が何を考えていたのかを思い出せないことに。

 何かがするりと手から零れ落ちた実感がある。

 眉をひそめて思い出そうと努めるが、どうしても思い出せない。

 喉に引っかかったように漠然としたイメージだけが残り、『それ』が何だったのかを思い出せない。

 何とも言えない小さな不快さ。


(起き抜けに見ていた夢を思い出せないときのような……。まぁ忘れてしまったということは、たいしたことではないのでしょう)


 重要な事ならばその時に思い出せる。これまでもそうだったから。

 助祭は小さく首を振ってそれを忘れることにした。



―――――



 夕刻、自室として割り当てられた部屋でサロモンが休んでいると、扉がノックされる。


「誰か」

「アリストでございます」

「入りなさい」


 アリスト助祭が、護衛の冒険者――ベイルを伴って入室してきたのを見て、サロモンはわずかに眉を上げる。


「ベイル殿から報告があるとのことで」

「報告、ですか」

「はい、例の【水晶宮殿】らしき一行が街に入りました」

「ふむ? 思いの外早かったですね」


 オーディルを出立して十日目。このような短期間で追いつかれたということは、リナの養子縁組が半ば偽装であったことが、ほんの数日で相手側に発覚したということだ。そして、あちらはそれを問題視しているという事でもある。

 警戒はしていたが、ほぼ最悪の想定に近い。


「……」


 サロモンは少し考えて、アリストに指示を出す。


「このような時間ですが、すぐに出立の準備を」

「閣下、それは……」

「無論全員ではありません。少数で川を渡ります。私とリナ様、それに護衛の教会衛士を四名とします。馬車や物資は向こう側で調達します。他の者は雨が止んでから追いつくように」

「しかし」

「議論する時間はありません。危険はありますが、むしろ更なる危険を避ける為です」


 アリストが準備のため下がると、残るように言われたベイルが困った表情を依頼人に向ける。


「何があったかは聞きませんが……、正直言って俺らが正面からやりあえる相手じゃありませんぜ?」

「もちろんそこまでは求めません。ですが時間稼ぎ程度であれば、冒険者なりの搦め手があるでしょう?」

「まぁ、それくらいはやれんこともないですが……」


 そう言いながらもやはり困った顔をするベイル。サロモンに見せるため、半ばわざと作った表情であるが、残りの半分は本当に困っている。

 【水晶宮殿】相手に多少の小細工を行ったとして、雇い主の依頼であれば言い訳は効く。むしろ正当な仕事だ。

 だが、相手が相手だ。今回の件、もし依頼主の方に瑕疵がある場合、【水晶宮殿】の怒りを買って、ベイルたちの今後に差し障りが生じるということになりかねない。何等か事情なり大義名分なりを開示してもらわないと、現時点の情報では時間稼ぎ程度でも気が進まないというのが本音だった。ついでにリスク分の報酬上積みがあればなお良い。


「安心しなさい。法的な面ではこちらに理があります。ですが追ってきたということは感情面の問題か、あるいは欲が出たのか……。いずれにせよあちら側には大義名分はありません」

「なるほど」

「足止めに成功すれば、報酬の割り増しも考えましょう」


 その言葉にベイルがニコリとして頷く。


「了解しました。何とかやってみましょう」


 ここまで聞けば、もし『本当は依頼側に瑕疵があった』などとなった場合でも、十分言い訳は効く。むしろ、正当な護衛の依頼の遂行の範囲だ。さらに割り増し料金がもらえるとなれば、もはやベイルに否やはない。


「今晩一晩足止めすれば良いんですよね?」

「強引に川を渡ってしまえば、もはや追っては来れないでしょう」


 そううまくいくのだろうか? ベイルは若干疑問を持つ。

 橋が流された時の備えの渡し舟とて、数隻はあるはずだ。サロモンが金を積んで船を出させたとして、【水晶宮殿】も同じことをできるだろう。


(いや)


 その数隻を全て渡らせてしまえば良いのか。ベイルはそこに思い至る。

 しかしそもそも、この風雨で船を出させるなど、渡し賃を何倍出す気なのか。臨時の船員たちをその気にさせるには、二倍や三倍では効かないだろう。

 内心呆れならがベイルは依頼遂行のため、サロモンに断ってから部屋を辞す。


(いやはや、金持ちがやることは)


 首を振りながら、仲間たちの元へと向かうべイルだった。

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