19.告解
錬金工房でロランの鎧の動作検証を行っていたエリザベート。
その結果に満足の笑みを浮かべ、独り言ちる。
「それにしても昔の私って天才ね。今も天才だけれど。というかここまで凝りに凝った仕組みを……我ながら頭おかしいわね」
「何を今更」
工房の作業テーブル上で、自分で入れた紅茶に口を付けてウルスラが呟く。
「なによ、分かった風なこと言って」
「自分で言ったんでしょうに。最近は自重しているようですが、昔はやり過ぎ凝り過ぎお金かけ過ぎで、良く自分の首を絞めていたでしょう」
「……」
ウルスラの指摘に心当たりのあったエリザベートが、ついと目を逸らしたところでドアがノックされる。
「誰?」
「ローズだ。緊急事態だ」
「緊急事態?」
面倒事の予感に一瞬無視を考えたエリザベートだったが、流石にどうかと思いなおして入室を許可する。
「入りなさい。鍵は開いてるわ」
ローズはユリウスの認識異常、リナが偽物であったこと、ペルペトゥアらしき者が接触していたこと、それらを一通り説明する。
それを聞いていたエリザベートとウルスラが苦虫を噛み潰したような表情で顔を見合わせる。
「それは……間違いなく」
「あいつね」
二人の間で通じるものがあるようだがローズには何か分からない。
「あいつとは?」
「……」
エリザベートはローズの腰を指差す。
「悪龍ヴェスパ。『文明の黄昏に終幕を引く者』あるいは『国崩し』。掛け値なしの『人の天敵』の第一位。ローズ、あなたのその剣で斬るべきモノの筆頭よ」
「は……」
悪龍といえば、人の世において何か悪いことがあれば『悪龍の仕業』と言ったり、人でなしの所業は『悪龍の様だ』と言う様に、悪の象徴というべき概念である。
そう、概念だ。
一般的には実在するものとして語られることはほとんどない。当然ローズもこれまでその存在を意識した事はほとんどない。
「でも意図が見えないわね」
「リナという子供を入れ替えて何の意味が?」
「ペトラって名乗り、明らかに私への当て付けよね……」
それが、エリザベートとウルスラの間では、当然に存在するものとして語られている。その事実にローズは愕然とする。
「ちょっと待て、悪龍というものは実在するものなのか?」
「当たり前でしょう。ヴェスパって名前だって広く知られているでしょう? そもそも『人の天敵』とされるものに架空の存在はないわ」
「いや、そう、なのか……?」
これまで持っていた常識をひっくり返されてローズは狼狽える。
そしてそこで、目の前にいる常識外の存在に思い至る。
「悪龍ヴェスパとは、……まさか天龍?」
その言葉にウルスラが目を開いてニコリと微笑む。
「その通りです。ただまぁ、巷間に語られる悪龍の所業の大半は、創作か言いがかりではありますね。いくらかは事実もありますが」
ローズが天龍の存在を知ったときは、事前にフラムを知っていたおかげで、それほどショックを受けることはなかった。個人的にそれどころではなかったというのもあるが。
しかし、今回の悪龍については何の前置きもなく提示されたせいか、混乱が容易には収まらない。
呆然としているローズをみて、エリザベートが苛立たし気に言う。
「混乱するのも分かるけど、それどころではないのじゃない?」
そう言われてローズはハッとする。
「そうだ、リナ……になぜそんなことを?」
実はリナではなかった少女。だが今はリナとしか呼びようがない少女。本当の名前で呼ぶことができない、できなかったというその事実に、ローズの胸が苦しくなる。
そのリナが、別の見知らぬ孤児と入れ替えられて、ローズの子供という疑いのみを掛けられて引き合わされた。そこに何の意味があるのか。
悪龍の仕業としても、その意図が全く見えてこない。
ローズの縋るような視線を受けてもエリザベートは肩を竦めるだけだった。
「とりあえず、一度確認した方が良いわその子。見て何か分かるとも思えないけれどね」
「難しいのでは? 小耳にはさみましたが、既にゼフィリカへ発ったとか」
「ああ、三日前に。養子入りしてすぐにだ」
「なにそれ、忙しないわね」
エリザベートはリナにはさして興味がなかったため、今までほとんど気にしていなかったのであるが、それゆえか却ってその出立の忙しなさに引っかかりを覚える。
だが、それだけではやはり情報が足らなすぎる。
「養子縁組の手続等はどうしたのです?」
「ユリウスがそのペトラから受け取った書類があって、それで進めた」
「高度な偽造か、それとも本物だったのか、今回はやけに用意周到ですね」
「認識を誤魔化しても、大体書類や物証から齟齬が出るのにね」
ゼフィリカへ発った一団を追いかけるべきだろうか。半ばそう決断しかけていたローズだったが、追いつけたとして何と言えばいいのか。リナの素性が怪しいとなれば、折角決まった養子縁組をふいにしかねないのだ。
リナ自身に責任はないと信じたいローズは躊躇ってしまう。
そこに再びノックの音が響く。
「ローズはそこに居る?」
ベルの声だ。
「ああ居るぞ。何か用か?」
ドアを開けて顔を出すと、ベルが少し困り気にしていた。
「今度はドナートって人が、ローズと話がしたいって。リナの件で」
「リナの件?」
タイミングの良すぎる話題に、ローズは思わず部屋の中の二人と顔を見合わせる。
どうにも悪い予感しかしないため、単独で話を聞くのは避け、メンバーを揃えて対応する。
ローズ、クロエ、ノイア、エリザベート、そしてウルスラだ。
「それで話というのは?」
ドナートはたっぷり数呼吸分ほど躊躇った後、口を開く。
「本題の前に、異教の方々にもお分かりになるよう前提を説明させてください。まず、精霊教会が治癒術師を重視する理由をご存じでしょうか?」
「たしか、最初に精霊の子と称する聖女が、人のケガや病気を癒す奇跡で人々の信仰を集め、教会の基礎を築いたとか。ゆえに癒しの奇跡の再現を重視していると」
「その通りです。開祖とされる精霊の子は欠損した四肢すら瞬時に再生し、火事で全身が焼けただれた少女を傷ひとつない元の姿に戻してみせたとされます。精霊の子に出来ないことは、死者の蘇生、加齢を原因とする疾患や先天性の病気の治癒くらいだったとか。吸血鬼症すら癒したという話もあります」
「俄かには信じがたいね。ダンジョン産のレアポーションなら似たようなことが出来るけど、それでも瞬時とはいかない」
「まさに奇跡と言えましょう」
ドナートの表情は、誇らしげでありながらどこか苦し気なものだった。
俯き加減のドナートは絞り出すように話を続ける。
「リナ様は精霊の子として認定されました」
「……は?」
その唐突な言葉に口をあんぐり開けるローズ。なんだか今日は驚いてばかりだなぁと思いつつ。
「申し訳ありません。教会としてリナ様の身柄の確保を優先とするため、騙し討ちのような形となってしまい……」
「いや、ちょっと待ってくれ! 意味が分からないんだが?」
「実は司教サロモンが養子を提案したのは、リナ様が精霊の子であると確信していたがためだったのです。……数日前、それを証明するようにリナ様はフォークを手に突き刺した少年の傷を癒しました。それも瞬時に血の痕すらなく」
「な……」
「それ以前にも、転んだ子供の膝を治したことがあったようです」
「あのときか」
サロモンの足元で転んだ子供を、リナが助け起こした時のことを思い出す。
子供に怪我はなかったようだが、まさかリナが治癒させていたとは。
「私にはリナ様が本当に精霊の子であるのかは分かりません。あるいは真偽がいかにせよ、精霊の子として将来の不安なく生きられることは、孤児としての将来よりも幸せな事なのかもしれません。
ただ、それをあなた方に伝えず、騙し討ちのように連れ去ったのは正しい事だったのか……。いえ、この告白も私の自己満足に過ぎないことは自覚しているのですが、それでも……」
素朴な倫理観と信仰の狭間で、ドナートは苦渋の表情を浮かべる。
俄かに降り出した雨が、応接室の窓を叩き始めていた。
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