12.リナ

「なんだか次から次へと問題が起こるなぁ」


 ローズは自室で出かける準備をしながら、ここ最近の自分を取り巻く、怒涛のような諸問題に思いを巡らす。


 まず、重婚白紙問題。フラムの影響と言われたローズが、動揺のあまりに口走ってしまったことだが、クロエとノイアの意思が揺らがなかったおかげで、無事元の鞘に収まりそうではある。


(有難いことだな。ただ、ちゃんと自分でけじめをつけないとだが)


 次に、ローズ隠し子問題。ローズ的には完全に冤罪である。

 今度はノイアが激しく動揺したが、クロエが意外と冷静に対応して、ノイアも冷静さを取り戻しつつある。

 現在進行中ではあるが、冤罪である以上、自ずと収まるところに収まるであろう、というのがローズの認識である。


(まぁ、何らやましい所はないし……、大丈夫だよね?)


 それより、ローズとしては巻き込まれたリナの行く末の方が心配である。放り出す真似はしたくないのだ。


 そして、クロエの王位継承権放棄問題。

 これはどうやら、現実としての何かよりもクロエの心の方の問題で、長いスパンで考えなければならない事の様だった。

 今すぐに激しく噴き出すような問題でもないが、逆に何かの拍子に綺麗に解決することでもなさそうである。長く燻ることになりそうで、なかなかに悩ましい。

 ただ、一発解決の方法がないでもない。エリザベートの提示した方策。非現実的な方法。


(『人の天敵』を斬れとか、野菜じゃないんだぞ……)


 人の天敵。

 人でなしな行動や発言をする者を『悪龍』呼ばわりしたり、不可能事を差して『大古竜を墜とすようなもの』と表現するなど、世間一般的には『人の天敵』とは現実の存在というよりも、おとぎ話や概念上の存在という認識の方が強い。

 斬ろうにも、そもそも遭遇することすら不可能に近いのだ。


(いや、エリザベートは最近遭遇してたのか)


 だが、明確に歴史上の偉人の一人であるエリザベートならともかく、一般人を自任するローズにはそんな機会はないだろう。あったとしても荷が勝ちすぎる。

 無論クロエのためならば、万が一の機会を活かすことに否やはないが。


「流石にこれは、万一に備えていても取り越し苦労に終わりそうだな。そもそも何を備えればいいのやら」


 踵まで届く長髪を綺麗に纏めて、特注の服の背中に備えられた専用収納場所に納める。そして最後に腰に細剣を佩いて完成である。

 出かける準備(?)が完了したところで思索を打ち切って、ローズは自室を出た。



―――――



 神頼み、天龍頼みをしたくなったというわけではないが、その日ローズはリナを連れて件の精霊教会を訪問することにした。

 とは言え、それだけのためにリナを連れ出すのもどうなのかと思い、午前中は街を散策することにする。……という名目で甘味処に連れて行って得点稼ぎをもくろんでいるのだが。

 ちなみに、ユキとノイアは冒険者ギルドに所要。リトルマリーとフラムはめずらしく同行拒否。結果ローズとリナの二人きりである。


(あからさま、なんだよなぁ)


 明らかに親子(?)二人きりの時間を持たせようと、画策したものだろう。

 それでもそれに素直に乗ってしまうローズだった。縁ができた子供の世話を焼いてしまいたくなるのだ。

 なお、このようにリナを相手に得点稼ぎをする様が、ユキの疑念をさらに深めている事にはやはり気づいていない。

 迷子になっても困るのでリナとしっかり手を繋いで、ローズとっておきの甘味処【ローズ・カフェ】へと意気揚々と歩いて出発する。

 が、しばらく歩いた所ではたと気づく。


(しまった……、こういうのは辻馬車を使うものか?)


 慣れないことをしたせいか、行動を始めてから自分の考えの不備に気づいてしまった。

 焦りに冷や汗をかきつつ周りを見渡すが、そう都合よく辻馬車は走っていない。

 諦めてリナの歩幅に合わせて歩いていると、そのリナの視線が横に吸い寄せられていくのに気づく。


「ん? どうした?」

「……」


 リナの視線の先には串焼き肉の屋台。団扇で扇がれた煙とともに、肉と脂の焼ける良い匂いが、こちらへと流れてくる。

 リナはそれを涎を垂らしそうなほどガン見しているのだ。

 あんまり女の子っぽくないチョイスだなぁと思いつつ、ローズは言わずもがなな問いを発する。


「串焼き肉が食べたいのか?」


 こくこくと頷く。無口なリナだが、意思表示は意外とはっきりしている。肯定のときは、はっきり一度頷くのだ。

 そして今回はその頷きが連続して二度。この反応を見るのはローズも初めてだった。相当に屋台が気になるらしい。

 しかし、そこでローズは少し疑問に思う。昨日一昨日の買い物の時も、ここは通ったはずだが……


「あ、そうか。昨日までは『買い物』だから我慢してたのか?」

「うん」


 こくりと頷く。

 ただでさえお客様扱いされて、遠慮しがちだったのだ。目的が『買い物』の時に串焼き肉を食べたいなどと言い出し辛かったのだろう。

 二日もお預けを食って、相当に食べたい欲が充填されてしまったらしい。


「それじゃ買うか」


 ローズの言葉で、一瞬にして期待に満ち溢れた顔になるリナ。ぱぁという効果音が聞こえてきそうなほどだ。


(子供や孫にいろいろ買い与える年寄りの気持ちが分かったかも)


 そんなに枯れていないと思いつつも、買い与えたい欲を抑えずに開放してみる。


「一本でいいか? 【ローズ・カフェ】が控えてるし……」


 一瞬でしょんぼりしてしまうリナ。


「あ、二本?」


 ちょっと上向く。


「三……」


 もう少しだけ上向く。


「五……!」


 ぱぁと再び効果音。

 ダメな大人になってしまいそうな予感に苛まれるローズだった。




 結局、色んな屋台を梯子して、各種食べ物を買い与えることになった。

 既にリナも満腹の様だ。


「けぷ」

「……【ローズ・カフェ】はまた今度にするか」


 微妙に首を傾げるリナ。否定というよりは同意の感情表現の様だ。

 然程残念には思っていないが、当初の予定を台無しにして申し訳ないという感情が、その中途半端な仕草に表れていた。

 しかし、ここでローズは反省する。女の子には甘味という先入観に凝り固まっていたことに。

 どうやらリナは甘味より肉や揚げ物が好みの様なのだ。次があれば、この経験を活かすべきだろう。

 そうこうしながら、少し運動がてらに歩いて次の目的地である精霊教会を目指す。



―――――



 精霊教会で、先ごろ知己となった司祭に相談する。


「ははぁ、なるほど。それで、あの子――リナの父親を捜したいと」


 ユリウスだけに任せるのもどうかと思い、細い縁を辿っての相談だ。あまり期待はできないが。

 ちなみに自分が父親であるかもと疑われていることについては伏せている。保身ではなく単純に説明困難だからだ。


「父親は不明として、母親の名は何と?」

「それが……」


 知ってるはずのユリウスが不在のため、口籠ってしまう。せめて名前くらいは聞いておくべきだったと後悔するが後の祭りだ。

 それを誤解したのか、司祭はちらりとリナの方を見てから、分かっていると頷く。


「まぁそういうこともありましょう。非才の身ですがお力になりましょう。……と言っても信者の方々に、心当たりを尋ねることくらいしかできませんが」

「とんでもない。それで充分ありがたいです」

「ふむ。それともう一つ、提案させて頂いてよろしいですかな?」

「提案?」

「例えばですが、彼女の里親。あるいは奉公先探しです」

「それは……」

「無論、既に当てがおありなのであればそれで良いのですが、こういうものは早めに探しておいたほうがよろしいかと。厳しいことを言うようですが、子供は成長を待ってはくれません。可愛がるだけでなく、いずれ自分自身で身を立てられるようにしてやらねばなりません。そこに至る道を整えるのは大人の役割です」


 実年齢ではそれほど差はないはずの司祭の含蓄溢れる言葉に、己を顧みて思わず赤面してしまうローズ。


「ああ、お若い方に説教じみたことを言ってしまいましたな。いかんいかん、年を取るとどうもね。はっはっは」

「はは」


 相手の羞恥を見て取った途端、自らを年寄り扱いしてその自虐をもって笑いに転換。しかもエルフであるローズの実年齢にはあえて触れずにだ。

 人生経験の差を痛感してますます恐縮するローズだが、それを態度に出し過ぎるとさらに相手に気を使わせてしまう。この辺りで話を切り上げるのが頃合いだろう。


「あ、これは些少ですが」

「これはこれは。では遠慮なく。お心遣い感謝いたしますぞ」

「それでは先ほどの件、よろしくお願いします。リナ!」


 礼拝堂の椅子に座って熱心に祈り、というか神体の水晶を見つめていたリナを呼ぶ。

 それに気づいてとてとてと近寄ってきたリナが、自分からローズの手を取る。

 それにちょっと感動しつつ、ローズはそのまま教会から出ようとする。


「夕食までちょっと時間があるな。ちょっと摘まめるものを買って帰るか」

「肉串」

「まだ食うのか?」

「コロッケでもいい」

「夕飯食えなくなるぞ」


 リナの主張に少し打ち解けてきたかなと、笑みを浮かべるローズ。

 そんな話をしながら教会を出ようとしたところ、玄関に差し掛かったところで周囲の様子が少しおかしいことに気づく。


「ん?」


 他に出口もないためそのまま出るが、どうも信者たちが道端に避けて頭を下げ、何かを待っている様子だった。


「ひょっとして、タイミングが悪かったか?」


 急いで出口を空けて、同じ様に脇に寄る。

 信者でもないので同じように振舞う必要もないのだが、だからと言って傍若無人に振舞って反感を買うリスクを冒す必要もない。

 ローズはしばらく信者に紛れてやり過ごすことにした。



―――――



 ローズとリナが道の脇の信者の列に紛れ込んですぐ、数名程度の質素な装いの一行が道の向こうから現れた。

 よく見れば一番身形の良いものは、装束の意匠からしてこの教会の司祭より明らかに上位の者と見られた。

 それは彼らが言うところの司教区巡回というもので、その司教区の最高位者である司教が区内の支部教会の様子を自らの目で確認するという名目で行われるものだ。穿った見方をするのであれば、司教の顔見せ人気取りの信者向けイベントとも言える。

 都市としては相当な規模であるオーディルの司教ですら、数名の供を連れて徒歩で回っているというところが、現在の精霊教会の帝国での地位を示していた。

 信者向けに清貧を示すポーズを含んでいるとしてもだ。


(かつては地方都市の巡回ですら、馬車、牛車を連ねて百人以上を引き連れたといいますが……)


 司教サロモンは教会の栄枯盛衰を思い内心密かに慨嘆する。

 生まれた時代が悪かったのか、この時代にこの道を選んだ自分が悪かったのか。それなりに信仰心はありながらも、俗な出世欲、権力欲も持ち合わせているサロモンとしては、今は書物の中だけとなった過去の栄光を思わずにはいられない。


(あの時代であれば、沿道に信者が溢れるように跪いていたのでしょうかね。……少なくともあのように子供が走り回るなどなかったでしょう)


 司教の隊列の脇を気にせず走り回る子供を見つめるサロモン。その自嘲の笑みを勘違いした幾人かの信者が、それを好意的にとらえて彼への好感度を上げた事も、彼が知れば皮肉なことと感じたことだろう。

 と、子供が盛大に躓いてサロモンの前に倒れ込む。

 まさか足蹴にするわけにもいかず、信者たちの前でもあり仕方なく抱き起す。


「おっと、大丈夫かね」

「びゃー!!!」


 幼い子供の甲高い泣き声に一瞬顔を顰めかけ、慌てて笑顔を取り繕う。

 子供の右膝は土と血にまみれて酷いありさまだ。だが所詮は転んでできた怪我だ。見た目ほど傷は深くない。まさに精霊教会の治癒術師が練習台として欲する程度の怪我と言える。


「若いころを思い出すな」


 ぽつりとつぶやくサロモン。

 彼もかつては治癒術の道で神に仕えんと修行に励んだものだが、彼にはどうも才能と言うものがなかった。

 泣く泣く教会としては裏方の道を選び直し、それが却って彼の適正に合致して、文筆方面から資金運用、人事、部門間の利害調整と政治方向へ進んで頭角を現し、予想外の立身出世を遂げる結果となっていた。


(人生何が幸いするか分からんものだ)


 かつての同期が司祭を務める貧相な支部教会を見上げると、その前に当の同期の姿を見つける。

 笑みを浮かべたサロモンが、その同期に子供の治療を押し付けるべく声を上げようとした、その時のことだった。


「だいじょうぶ?」

「リナ!」


 いつの間にか子供に近づいていた少女が子供の膝に少し触れたあと、サロモンから子供を奪う様にその場に立たせる。


「もういたくない?」

「ふえ?」


 子供が驚いたように、膝を触ると途端にその顔が笑みを形作る。


「膝、もう痛くないよ!」

「うん」

「お姉ちゃん、ありがと! あ、ありがとうございました!」

「あ、ああ……」


 少女と、そして慌てて振り返ってサロモンにも礼を言った子供は、来た時と同じ速さで走って去っていく。活発ながら礼儀正しい子である。

 それを呆然と見送るサロモン。


(瞬時に治癒……? 泥にまみれた傷口をそのままに?)


 それは治癒術の常識を無視した現象だった。ヒールポーションを用いた治療でも、ハイヒールならともかく、低級のノーマルでは傷口の洗浄は必須だというのに!

 ハッと気が付いて周囲を見渡すが、人々の目に驚きはない。今起きたことに気付いたのはサロモン一人だけのようだった。


「なんだ、驚いて泣いてただけか」

「うん」


 そんなわけがない!

 少女の保護者らしき黒髪のエルフの呟きに、そう叫びそうになったサロモンは、寸でのところでそれに耐えた。

 そして出来るだけ平静を装って、少女と黒髪のエルフを見つめる。

 彼女らは何者なのか?


「あ、失礼しました」


 エルフが何かを悟ったように、慌てて少女――リナを連れ慌ててその場を去ろうとする。


「あ」


 サロモンは思考が千々に乱れ、普段はよく回るその口が引き留めの口実すら紡げない。そのまま立ち去る二人を呆然と見送ってしまう。


「司教様、如何いたしましたか」


 かつて同期であった支部教会の司祭――ドナートが、様子のおかしいサロモンに近づいて声をかける。


「彼女たちは?」

「はい? ローズ殿とリナですか?」


 どうやら、まだ糸は切れていないようだった。


「これも精霊のお導きか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る