11.昨日の今日

「あなた、昨日の今日で私に頼るの?」


 エリザベートのその呆れたような第一声に、やっぱり言われたと内心項垂れてしまうローズ。

 しかしそれよりもと、この場に存在する『想定外』へ意識と声を向ける。


「あの、女官長殿」

「ウルスラと、お呼びください」

「あ、いやしかし」

「ウルスラ、と」

「……では、ウルスラ殿。少々身内の込み入った話をしなければいけないので、出来れば席を外して頂きたいのですが……」


 エリザベートの工房の隅、最初から待ち構えていたかのように座っていた『想定外』ことウルスラ。

 明確に部外者である彼女にクロエの継承権関連の話を聞かせるのは憚られる。それゆえのローズの言葉であるが、当のウルスラは涼しい顔でそれを受け流す。

 一方、エリザベートは我関せずと魔導人形の修復作業を続けている。

 両人に無視されるような形となり、いたたまれない気持ちになったローズであるが、今一度気力を振り起して口を開く。


「あの……」

「お気遣いなく。ここで見聞きしたことは一切口外しないと誓いましょう」

「え、えーと?」


 困惑するローズが助けを求めてエリザベートにちらちらと視線を送る。流石のエリザベートも口出しが必要かとため息をつく。


「その女には何を言っても無駄よ。居ないものとして扱いなさい」

「はあ」


 そもそもウルスラがこの街に残っているのは、フラムへの天龍としての常識教育のためのはずだ。にもかかわらず、二人が一緒に何かをしている様子はない。相変わらず自由なフラムと、やはり自由なウルスラが別々に行動しているだけだ。

 変わったことといえばフラムが宙に浮かなくなったこと、周囲がフラムと普通にコミュニケーションをとれるようになったことくらいだろうか。それらも重大な変化ではあるのだが。

 彼女ら天龍の行動に対して深く突っ込んでも、まともな答えは返ってこないのだろう。ローズはあきらめて、エリザベートへの相談を再開する。


「昨日の今日で、と言われると返す言葉もないんだが、心の問題じゃ済まないようなんだ」

「……? なんのこと?」


 流石にエリザベートもその言葉には訝し気に顔を上げる。

 普段とは似ても似つかない、機能的な作業着と眼鏡姿。見事な金髪のつやとその髪型だけがいつも通りだが、邪魔になる髪飾りやイヤリングなどは外した素の状態が、ローズの眼には新鮮に映る。

 その眼鏡の奥で眉が不機嫌そうに顰められている。


「クロエは王位継承権を放棄するつもりだぞ?」

「……」


 それを聞いたエリザベートは珍しく唖然とした表情になり、空いてる左手で頭を抱える。


「あの……バカ!」


 ようやくまともにローズとノイアに対応する気になったのか、腕を組んで二人に向き合う。


「それで?」

「実は……」


 つい先ほどのクロエとの会話内容を伝える。

 聞き終えると、エリザベートは行儀悪く舌打ちをする。


「はぁ、何考えてるのやら。大体、王配が重婚しているくらいで騒ぐ者などいるわけ……いや少しはいるか。ともかくそんな大層なことにはならないわよ。多分」

「多分って……」


 右手に持ったねじ回しをローズに突きつける。よく見るとそれはねじ回しではなく、金属製の円柱状の棒だった。ただし、その平坦な先端には精緻な魔法陣が組み込まれ、淡く輝いている。ローズにはそれが何をする道具なのか想像もつかない。


「あなたが守る方でしょ? 少なくともあなたはそのつもりだったはず。守られてどうするのよ」

「いや、そうなんだが」


 そのねじ回し(?)で頭をかいたエリザベートが、手近な椅子に座ってローズ、ノイアに向き直る。


「……良いでしょう。少しクロエのバックボーンと言うものを語ってあげましょう」



―――――



 成人前のクロエは純真で素直な良家のお嬢様然とした少女であったという。女王たる母親を尊敬し、兄姉を敬い、民を大切にし、臣下には寛容であった。

 容姿、才能に恵まれ、若くして王族の責任、高貴なる者の義務の何たるかを心得、人格にも申し分なく、少し素直過ぎるところがあるものの、いずれ理想的な君主となる資質を垣間見せていた。


 それが、どこから歯車がずれたのか。

 一つには兄姉がいわゆる天才と称される存在であったのが理由なのかもしれない。あるいは、その辺りで余計な事を吹き込んだ者がいた可能性も否定はできない。

 原因はともかく、いつしかクロエは自らの将来に疑問を抱くようになった。偶々末子に生まれた自分が王位を継承する? 姉兄の方がよほど優れることを、その身をもって既に証明しているのに?


 単純に努力で王に相応しくあろうとするのであれば、それらはむしろさらなる努力の原動力となりえただろう。

 だがクロエの場合には問題があった。

 目の当たりにしている当代女王という理想があまりにも高すぎ、また兄姉を愛し、敬い過ぎていたのだ。

 王たるに相応しくあろうとすれば、かの女王に追いつき、兄姉を越えなければならない。

 だがその理想に追いつくことなどできるのだろうか? 敬愛する兄姉を超えることなど許されることなのか?

 そもそも超えると言っても一体何で? 人格? 知識? 武力? 実績? 人望?

 まだ若いクロエは答えのない問いにはまり込み、一種のノイローゼとなる。


 その様子を哀れんだ女王エーリカは自分自身の経験に鑑みて、世界を見て来いとクロエをほぼ唯一の隣国である帝国に送り出す。

 それが女王の狙い通りだったのかは不明であるが、クロエは王家の支援を謝絶して、冒険者として自活することで、自らの力を試し始める。


 偶々その頃にクロエと再会したエリザベートは、クロエから話を聞いて正直頭を抱えた。

 外の世界を見るのは良いだろう。力を試すのも良いだろう。だが本来の目的を考えれば、冒険者稼業など本質的に王位と何の関係もないではないか。

 エーリカは、姉王は何を考えている!?

 いや、あの人の事だから、あまり深く考えてない気が……。

 ゆえに若干の軌道修正を加えて、クラン結成による組織運営、人材運用を提案して……紆余曲折の果てに現在に至る。

 エリザベートのみるところ、現在のクロエは一種のモラトリアム期間だった。



―――――



「どうせエーリカが王位を退くのは百年以上は先になるのだから、今はゆっくりしていても構わない。惑っていること自体が、まだ早すぎるという証明でもある。ま、それにしても最近は緩みすぎとは思っていたけど」


 黙ってエリザベートの話を聞いていたノイアが、そっと手を上げる。


「なに?」

「あの、百年以上先になるんですか?」


 その疑問の声にエリザベートが再度ねじ回し(?)で頭をかく。


「だって、エーリカはまだ六百歳……? 七百には届いてなかったはず。兎に角それくらいよ。まだまだ全然現役で行けるわ。下手すると三百年先って可能性も」

「あの、それ私はもう絶対に生きてないですよね」

「……」

「……クロエの懸念が的外れなのは理解した?」


 ローズとノイアが顔を見合わせる。


「まぁ、クロエにとって王位は重い。だから重婚のような小さな傷が気になるのかもしれないわね。けど事実としてそんなの気にするエルフはほとんどいないわ。気にしすぎ。

 とはいえ、とはいえよ? クロエの悩みはあなたたちの悩みでもある。婚姻というのはそういうことよ。この際だからクロエの惑いを解消してやりなさいな」

「解消といってもなぁ」

「簡単よ」


 そんな簡単ではないだろうと、疑わし気な目をエリザベートに向けるローズ。


「クロエが諦めようとしているものについては何となく想像がつくけど、これは今は放っておいて良いわ。人の力でどうなるものでもないし。

 ゆえに別の方法で実績を積み上げれば良い。具体的な実績をね」

「実績?」

「例えばエルフ族全体、あるいはエーリカ女王個人に対する貢献。もっと広く人類世界に対する功績を上げる。でも良いわ」

「なんかやけに話が大きくないか?」

「何言ってるの。あなたにはそれを手っ取り早く実現する手段を渡したでしょうに」


 ねじ回し(?)をびしっとローズの腰の細剣に向ける。


「まさにそれの使い道でしょうに。あなたが人の天敵の一つ二つも斬れば全て解決よ。丁度最近、二体ほど取り逃がしたけれど……。

 それはともかく、人の天敵そのものでなくとも、それらに近づく何らかの成果を上げるだけでも大した功績となる。そして配偶者の功績はそれを見出したクロエの功績に等しい。達成期限はざっと百年ね。

 首尾よく成功すれば、そのような英雄豪傑相手には、もはや誰も異論を差し挟めなくなるというオマケも付くし。完璧な解決ね」

「……」


 うんうんと頷くエリザベートに、そんな無茶なと、内心でだけ不平をこぼしたローズだった。




 そして――


「重婚の継続……。お三方の決断は、ある意味フラムの存在を上回りましたか。良きことです。しかし……」


 少し憂い顔になったウルスラが、閉じていた瞳を薄っすら開く。


「相変わらず、あの子に方策を考えさせると大味になりすぎるというか、明後日の方を向くというか……、かといって傍観者たる私が口を挟むのは……、ふぅ……」


 部屋の隅で小声でつぶやいて、遠い目でため息をつくウルスラに気づく者はいなかった。

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