10.クロエの意思

 褒賞授与式の翌朝。


「ちょっとは気持ちの整理できたかな?」

「はい……」


 ノイアは自分でもあまり信じられていない返事を、ほとんど反射的に返す。

 今朝はクロエに誘われて、彼女の私室で二人きりのお茶会となっていた。

 ノイアは静かにお茶に口を付ける。茶葉の香りが彼女の心を落ち着かせてくれるが、ここ最近の心の動揺を消し去ってくれるほどではない。

 ローズの隠し子疑惑から二日。あまり時間を置けたとは言えない微妙な時間。

 だが、ノイア自身も話し合いの必要性は感じていたのだ。


「君も頭では理解できると思うんだけど、ローズの過去はあくまで過去でしかない。私たちにとって大事なのは今と未来だ」

「はい」

「そして疑惑が事実であれ、嘘であれ、あるいは誤解であれ、私たちの大事なものは特に変わりはない」

「そう……ですね」

「それにちょっとはローズの言うことを信じてあげなよ。結構へこんでたよ?」

「う……、すいません。頭では分かっているつもりなんですけど」


 ノイアもしっかりしているようでまだ十六歳。世間的には小娘と言われるような年齢だ。人生経験が足りないところがある。

 クロエとの会話でそれを自覚したか、少し肩の力が抜けたようだった。

 ノイアはお茶を一口飲んで、意識的にはぁと息を吐く。少し心が軽くなったような気がした。

 クロエはその様子に微笑んで、予定通り個人的な決断をノイアに相談することにする。


「あと、実はノイアに言わなければならないことがあるんだ」

「……」


 この上まだ何かあるのかと、思わず身構えてしまうノイア。


「ああ、そんなに身構えなくても良いよ。いや、正確には身構えなくても良くなるようにする。そのつもりだから安心してくれ」

「え……と? それは一体?」


 クロエの視線がすこし下がっている。

 何かを諦めたような、あるいは吹っ切れたような、そんな微妙な雰囲気。ノイアはそれに安心よりもむしろ不安を感じてしまう。


「私が実はエルフの王族だという話は覚えてる?」

「はい、エルフの王族は多いからと誤魔化してましたね」

「はは、誤魔化してたのはバレてたか」


 実のところエルフの現女王エーリカは、エルフ族初の王であり、そのため当然ながら直系の王族は彼女の数名の子孫のみに限られる。傍系王族として唯一認められているのが、女王の妹として名声のあったエリザベートであり、これは例外的な扱いである。

 これを知っていれば、クロエの立場を推測するのはたやすい。


「私の本名はエクロリージェ・プランタジネット。現女王エーリカ・プランタジネットの末娘だ。

 人族にはエーリカ女王国などと呼ばれている、エルフ諸部族の統一政権、その未だ国号すら定められていない国の、王位を継ぐ者とされていたのが私だ」


 思わず息をのむノイア。

 半ば予想して覚悟はしていても、本人から聞く事実というのは、また違った衝撃があるのだということをノイアは知った。

 だが、ノイアはその内容よりも、その言葉尻に引っかかりを覚える。

 『継ぐ者とされていた』という表現。


「……過去形?」

「うん。今回の件で決めたんだ。王位継承権は放棄する」



―――――



「ふぅ、やれやれ」


 ローズは昨日に引き続き買い物&荷物持ちに駆り出され、今ようやく解放されたところだった。

 無口なリナであるが、あれで意外と感情豊かであり、二日も買い物や食事に付き合うと、多少は通じ合えた手応えを感じていた。

 実の子じゃないならそんな努力は必要ないのじゃないか? などと言う疑問はローズには通じない。巻き込まれたリナに感情移入しているからだ。何とかしてやりたいという感情が先に立ち、自分への疑惑は後回し気味だった。

 それはそれとして今この時、開放感からいささか油断していたのは否定できなかった。

 慣れない買い物(女性陣主導)で精神的に疲労していたのもあるだろう。

 一応家主に報告しておくかと、何も考えずにクロエの執務室の扉を開き、その場の異様な雰囲気に固まってしまう。

 そこにいるのはクロエとノイアだけだった。

 その両名ともが無言。黙々と書類仕事をしている。

 だが静かなのは表面上だけで、今にも爆発しそうな緊張感が二人の間に漂ってるのは、傍目にも明らかだった。


(一体何が?)


 一瞬、本能的に逃げ出しそうになったところで、流石にそれはダメだろうと踏みとどまるローズ。

 逃げられないならばと、意を決して火中の栗を積極的に拾いに行く。


「どうしたんだ二人とも。喧嘩でもしたのか? って、あ……」


 出来るだけ明るく尋ねてみるが、よく考えるまでもなく、もし喧嘩ならば十中八九自分が原因である。だとすればこの尋ね方はよろしくない。大変よろしくない。

 失敗を悟ったローズの背中に、冷や汗がぶわっと噴き出す。


「……ローズさんはクロエさんが次期女王だということ、ご存じでしたか?」


 幸いにというか、ローズのその一瞬の硬直には気づかれず、ノイアの意外に冷静な声がかけられる。

 自分が原因というのはどうやら杞憂だったらしいとほっとするローズ。九死に一生の気分だった。

 冷静になったところで改めてノイアの問いについて考える。

 それは先日エリザベートに指摘されたことにより気付かされた事実だ。どうやらノイアもクロエから伝えられたらしい。


「ああ、つい先日知った。恥ずかしながらエリザベートに言われるまで、気づきもしなかったよ」

「では……クロエさんが王位継承権を放棄しようとしていることは?」

「は……?」


 頭の中の想定問答から、明後日の方向に大外れするノイアの言葉。それに反応できず間抜けな声を上げてしまう。


「継承権を放棄?」


 クロエが王位継承者候補ということも消化できていないのに、その上さらに爆弾が落ちてきたことにローズは混乱する。


「なぜ?」


 まともな言葉が出てこないが、それで言いたいことは十分伝わる。クロエに向けたその表情が、ローズの言葉にならない言葉を雄弁に語っていた。


「だって、女王の配偶者が重婚は流石にないだろう?」


 対して、クロエの回答は端的であった。


「いや、だからといって……」


 エルフにとって、あるいはクロエ個人にとって、王位の価値がどのようなものであるか、ローズは知る由もない。だが普通に考えて、非常に価値のある地位のはずだ。

 ローズ個人としてはそのような重責を受けるのは勘弁してほしいと思わなくもないが、それはローズの個人的感想に過ぎない。大抵の者はむしろ喜ぶだろう。

 それを放棄?


「大体、私が女王なんて柄じゃなかったのさ。兄上、姉上の方がよほどふさわしい。偶々、エルフに末子相続なんていう古びた習慣があったせいで、第一候補に祭り上げられただけで。むしろせいせいするね」


 飄々とした語り口で肩を竦める。

 だがそれが逆にローズに違和感を覚えさせる。


「それは本心か?」

「……本心だよ」


 その表情が言葉を裏切っていた。

 クロエにとって王位がどのような意味を持つのか、ローズには想像するしかできないが、軽々と放棄したいものではない事は、その表情から明らかだった。


「確かにクロエは少し素直過ぎて、動揺がすぐ顔に出るし、腹芸もできないし、意外とおっちょこちょいだし、書類仕事もさぼることばかり考えているし、あまり王に向いているとは思えないが、それとクロエ自身の希望とは別の話だろう」

「いや、言いたい放題言ってくれるね、君……」


 はぁー、と深いため息をつきながら、背もたれに体を預けて、ずりずりとだらしなくずり下がる。肘掛けに二の腕をひっかけてそれ以上ずり下がるのを止めて、その体勢のまま天井を見上げる。クロエのその目に今何が映っているのか、傍目からは窺い知ることはできない。

 そこに今まで黙っていたノイアが声をかける。


「ほら、クロエさん。ローズさんだってあっさり見抜いたでしょう?」

「……本当に私は本心を隠すのが下手なんだねぇ」


 降参とばかりに、その体勢のまま小さく両手を上げる。


「はぁ、つまり二人揃って反対ってことか。でもそれがどういうことか分かって言ってる?」


 いくらかは想像がつく。

 だが具体的に何が起きるか、あるいはその実現可能性など、朧げにしか想像がつかない。庶民には王族の立場など想像の埒外だ。ローズとノイアは困って顔を見合わせる。


「いいかい? 僅か一代、歴史が浅いってもんじゃないエーリカの王家といえど、年数だけなら三百五十年。王家が望むと望まないとに係わらず、無駄に権威として有難がる者は多い。そういった者達が次期女王の配偶者が重婚だなんて認めるわけがないだろう? となれば彼らがどんな行動をとるか」

「……」

「考えるまでもない。彼らが余計と考えるノイアの排除。もしくはローズ本人の排除だ。排除の方法は……まぁ色々あるだろうけど、ろくなことにならないのは確実だ」


 排除と言われて表情が硬くなる二人。


「婚約の破棄も私自身が望まない限り難しい。エルフは個人主義だからね。本人が望んでいる契約に外部から口出しするのは法的にも慣習的にも不可能に近い。そうなると強硬策か搦め手からくるか……。どちらにせよ危険なことには変わりはない。ならば何が最適か」


 クロエが音を立てて勢いよく立ち上がる。


「私はローズとの婚約を破棄するつもりもないし、ノイアを裏切るつもりもない。ならば継承権の放棄が最適だろう?」

「だがそれは、クロエが何かを諦めるということなんだろう?」


 苦い顔をするクロエ。

 クロエのことだ。権力や王位そのものに執着するような性格はしていない。

 ならば、クロエが本当に諦めようとしているものは、王位を継ぐに至る何か、もしくは継いだ後に王位を通じて実現する何かだろう。


「それは一体なんだ?」

「それは……、西の……」


 聞こえるか聞こえないかで小さく呟きかけ、すぐに口を閉ざしてしまう。そして少し寂しそうに苦笑いを浮かべる。


「いや、しようもない子供じみた我儘だよ。だから君たちが気にするようなことじゃないんだ」


 そう言って執務室を出て行こうとする。


「クロエ!」

「いいかい。継承権は放棄する。これは私の意思だ。君たちにも口は出させない」


 一度だけ振り返り、それだけ言い残すと今度こそ部屋を出て行く。

 二人にはそれを止めることが出来なかった。



―――――



 残されたローズもノイアも無言だった。

 クロエの懸念も理解できる。庶民である自分たちがそれに対抗できないであろうことも。だが、だからといってクロエが自分たちのために王位と胸に秘めたなにかを諦めるというのは許容し難い。


「なんだか、隠し子疑惑どころじゃなくなっちゃいましたね」

「え!? あれ? そ、そうなるのか?」


 今一瞬、別の事に気を取られていたローズが動揺した返事を返す。

 別の事――すなわち、クロエの話から、例の「白紙を前提に」の撤回が自ずと確定的になったことである。継承権放棄はともかくとして、不謹慎ながらそれで少し舞い上がってしまっていたのだ。

 少し後ろめたくなったローズが「コホン」「ンンッ!」などと言っているのを、ノイアが少し生暖かい目で見守る。ローズの複雑な表情から、なんとなく察っするところがあったようだ。

 ただし、「ちゃんと後日自分の口で言ってくださいね」とは小声で言い添えながら。


「デスヨネ……」

「それはともかく、クロエさんの件は一体どうすれば? 正直私たちの手に余る気がして……」

「ん」


 動揺を抑えたローズは少し考える。

 そして思い至る。あてがない事もないと。


「けど、昨日の今日でって言われそうだな……」

「え?」

「エリザベートに相談するしかない」

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