8.精霊教会
「まずは着替え。次に靴でしょ? あとアクセサリー類に小物類に鞄にお財布。化粧品はまだ早いけど基礎的なものだけでも。あとは……」
「おやつ」
「それはちが……ま、いっか、追加で」
「いえーい」
「やりましたー!」
互いの両手をぱちりと打ち合わせるフラムとリトルマリー。
ユキ、リトルマリー、フラムの生み出した長大な買い物リストに、なぜか食べ物までが追加される。
それは、一時的に預かっている子供の身の回りを整えるという名目には、客観的に見て到底収まるものではない。
「まぁいいけど」
その財源たるローズであるが、本人はそこまで金銭に執着はないし、リナのためであればと気にはしていなかった。自分の子供ではないと確信しているにもかかわらずだ。
あいも変わらず子供には甘いローズであったが、その一切異議を唱えない態度や、ユキのきつい態度に対する甘さが、逆にユキの不信を深めているという事実には、気づいてもいなかった。
その後、午前中一杯を財布兼荷物持ちとして、姦しい四人(ただし当のリナは寡黙である)の後をついて歩いたローズは、その生粋の女性陣のバイタリティ溢れる買い物行に、ついていくだけで消耗しきっていた。
「なぜ、一つを選ぶのに四店舗を三往復するんだ……」
長らく男として暮らしていたローズには全く理解できない世界である。
「そろそろ昼食にしましょうか。午後はクランハウスに戻らないと。続きは明日にしましょう」
「まだあるのか」
「ついてこなくてもいいんですよ?」
「……」
クールで押しの弱いイメージだったユキの、その遠慮のない(ただし冷たい)言葉と態度に、距離が縮まってる気がするローズ。
勿論気のせいである。客観的に見てむしろ遠くなっている。
その目の前で、何気なく横を向いたリナが目を見開いて足を止める。
「どうした?」
「……教会」
そこには精霊教会のこじんまりとした建物が建っていた。
玄関にシンボルを掲げているだけで、見た目は普通の民家と大差ない。それは実際、民家を改装したものだった。
「教会が気になるのか?」
こくりと頷くリナに横目に見ながら、ユキはローズに小声で尋ねる。
「母親は精霊教徒だったんですか?」
「いや、知らないが」
「……」
ものすごい目で睨まれてローズが慄く。
「リナちゃん、興味あるなら入ってみよう」
その隙にユキはリナを連れて、さっさと教会に入っていく。
「あ……」
弁明する間もなく、開け放たれた入り口に入っていく二人を成す術なく見送るローズ。
「はぁ、信用って難しいな……」
時間を置くと言っても、これではこちらの精神が持たないと死んだ目になるローズだった。
教会に入ると、すぐに礼拝堂のような長椅子の並んだ広めの部屋があり、そこに数名の信者が熱心に祈っているのが見られた。教会関係者らしき者の姿は見えない。
「司祭とか神官みたいな人が居ないのは普通なのかしら?」
「うーん、精霊教の教会に入ったのは初めてだからなぁ」
そう言えばとローズは思い出す。精霊教会は人族至上主義で、エルフである現在の自分はこの場にそぐわなくなっていることを。
もっとも教会組織の上層部はともかく、下町の教会はあまり種族差別は表に出さないことが多い。本場の西部地域ならまだしも、今の帝国の大半ではそれが賢明ではないことを理解しているのだ。そうでなくとも一般信者は差別意識が薄いか、全くない事が多いというのもある。
そのようなことを考えつつ、ローズは普段目にしない教会の内部を興味津々で眺める。ユキとリトルマリーも同様だ。なお、フラムは若干眠たげであまり興味なさそうだった。
そしてリナ。
「……」
彼女は無言のまま、質素ながらも精一杯に飾りたてられた祭壇の水晶球――聖体と呼ばれる精霊の形代――を熱心に見つめている。
それは形なき精霊を現すものとされるが、信者以外から見ればただの水晶球だ。
リナに自覚があるかは分からないが、やはり信者としての意識があるように思われた。
「とすれば母親が信者だったのかな」
素直に考えればそうだろう。
ひょっとするとユリウスの調査も、この辺りから辿ることを考えているのかもしれない。
と、その時。
「ぎゃー!!」
礼拝堂の右側、開け放たれた扉から聞こえた子供の叫び声に、思わずローズ達は身構える。
「なに!?」
ユキがリナを庇いながら素早く周囲を確認する。
そして戸惑いの表情を浮かべる。周囲の信者がその叫び声に反応すらせず、祈り続けていたからだ。
そもそも思い返してみれば、先の叫び声自体も切迫したものではなく、むしろ幼い子供が叱られたときのような印象があった。
「ああ、そうか」
そこでローズは精霊教会の一般的な活動の一つを思い出した。
「子供の怪我を治療しているんだろう」
「治療……、あ、そういえば精霊教会って軽い怪我なら、少額のお布施で治療してくれるって聞いたことありますね」
「本当に軽い怪我だけな。ぶっちゃけて言えば治癒術の練習台だ」
「またそんな……」
ユキがローズの物言いを咎める。周囲に信者がいる場で言うようなことではない。
その時、右の叫び声が聞こえてきた小部屋から司祭らしき礼服を纏った壮年の男性が顔を出す。
「はは、実際それは事実ですな」
よく見ると所々繕っている年季の入った装束を着た司祭は、ローズの言葉を咎めるでもなく柔和な笑みを浮かべている。
「おや? エーリカの民が教会にいらっしゃるとは珍しい」
エーリカの民とは、精霊教会が呼ぶところのエルフの事である。
「あ、不躾な事を言って申し訳ありません」
「いやいや、別に隠すようなことではありません。信者の方々もそれを承知で治療を依頼して下さっている。それが明日の治癒術師を育てることになることを、理解して頂いているのですよ」
司祭はエルフであるローズを気にするでもなく、鷹揚な笑みを浮かべて対応する。その内心は知る由もないが、エルフへの差別意識は表面上見られない。ただ、ローズにはそれが彼個人の本心でもあるとも感じられた。
司祭はローズ達を小部屋に招き入れる。
どうやら治療風景は公開されているようで、小部屋の中で堂々と行われている。
つい先ほど叫び声をあげていたと思われる男の子の膝を、若い修道士がブラシでごしごし擦っている。
「くぅー、痛ぅー……!」
唸りながらもそれを我慢する男の子。
「痛そう……」
「砂や小石が傷口に入ったままでは、化膿したり、痛みが残ったりしますからな。今は痛くとも後々のためにはこれが最良なのです。おー、頑張って我慢したな。えらいぞ」
司祭が頭を撫でると、男の子は照れたように笑う。
相応の立場であるはずなのに、随分と信者との距離が近い。そのことにローズとユキは好印象を覚える。
そうこうするうちに治療は次の段階に移ったようだ。
傷口を清潔な水で洗い流し、修道士が両手をかざして傷口に治癒術を施す。
修道士の額に汗がにじむが、傷口の治癒はなかなか進まない。
実際のところ治癒魔術の本質とは神の奇跡などではなく物体操作であり、人体の魔術抵抗力を押し退けて強引かつ適切にそれを修復するものなのだ。必然的に高度の熟練を要することになる。
それと比べると誰でも使えるヒールポーションの破格さが際立つ。
「皮膚の修復は治癒術の基本にして真髄でもあります。そして人体の構造と仕組みを理解し、知識と経験を重ねて十余年。そうしてようやく、神の御業のそのほんの裾野に触れることが出来るのです」
「神、ですか」
精霊教会の教えでは、世界を創造したのは天龍ではなく神であり、神は精霊を遣わして人々に試練と恩恵をもたらすとされる。
神を敬いつつも、神に直接祈ることや、助けを請うたり言葉を賜ろうとすることは不敬とされ、地上の代行存在である精霊を祭るのだ。
また、ダンジョンは神の試練であり、ドロップアイテムは神の恩恵とされる。実際ポーションなどには神の御業と思いたくなるほどの効果があるのは確かだ。その水準に至る修行を通じて精霊の、そして神の力の一端に触れるというのが精霊教会の治癒術師の目標の一つなのである。
ならばポーションを作る錬金術はどうなのだと思わなくもないが、その辺りは彼らなりの色々な理屈があるらしい。
ただ、ローズとしてはダンジョン産のポーションの奇跡のような効果を、自己実現の目標とすることは理解できなくもない。何しろローズはつい最近その効果を身を持って体験したのだから。
チラリとそれをもたらした張本人らしき存在を横目で見る。
「う?」
それに気づいたフラムが首を傾げる。
(狙ったわけではないんだろうが……)
羽化前の天龍の意識は曖昧であり、夢の中にいるようなものだという。
ローズにアストラルリフレッシュポーションをもたらしたのも意識したものではなく、ただの偶然であろうというのが女官長ウルスラの見解であった。
(若干疑わしくは感じる。フラムだし)
その後、ローズは教会を立ち去る前に幾ばくかの喜捨を行うことにした。
今後リナが礼拝に訪れるかもしれないと考えてのことであるが、ひょっとしたらリナの母親の情報が得られるかもしれない、という打算もあってのことだ。
その打算がユキにばれずに済んだのは、実に幸いなことだった。
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