6.君の名は?

『見損ないましたローズさん』


 違うんだノイア! 本当に身に覚えがないんだ!


『ははは、昔の女の事なんて気にしない。と言いたいところだけど、流石に子供はね』


 クロエ! 信じてくれ……


『あなたにクロエは相応しくないようね』


 エリザベート……


『……気持ち悪い』


 ユキ……!



―――――



「……」


 それが夢であることに気付き、ローズの思考がゆっくりと覚醒していく。

 酷い夢だったが、一度夢であることを自覚すると意外と動揺は少なかった。

 目を瞑ったまま、大きく深呼吸をする。そのまま目を開くと、そこは自室のベッドの上だった。

 上半身を起こすと夕焼けに照らされた向かいの建物からの照り返しが、ローズの顔を薄っすらと赤く染める。眠り込んでいた時間はそれほど長くはなかったようだ。

 精神的に力尽きて頭からベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまったらしい。

 夕暮れ時ではあるが部屋の中はまだ明るく、日が沈むまでは時間があるようだ。

 直前の悪夢を振り払うように頭を振って呟く。


「我ながら被害妄想がすごいな。そこまでは言われてなかったのに……」


 体を反転して、今度は俯せでベッドに倒れ込む。

 右腕を顔の横に置いて照り返しが目に入るのを防ぐが、ここで再び眠ってしまうのも拙いと、眠りの誘惑を振り払い、勢いをつけて体を起こす。


「はぁ……」


 深いため息が出る。


「何が白紙を前提にだよ」


 結局自分はクロエやノイアとの婚約の継続、そして婚姻を望んでいた。それも重婚に対する拒否感を霞ませるほど強くだ。今回の件でそれをはっきりと自覚してしまった。

 天龍の――フラムの力の暴走の影響だったと知り、ショックを受けておきながら、結局それでも……、なんて都合の良い。


「ユキに軽蔑されても仕方がないなぁ……」


 そこでふと、頭に引っかかるものがあった。


「あっ! あの子はどうしてる!?」


 自分の子だという、しかし全く身に覚えのない少女。ローズの主観としては赤の他人だ。

 だが彼女には何の咎もない。今回の件が嘘にせよ、何かのすれ違いの結果にせよ、あの子は巻き込まれただけなのだ。

 今どうしているのか、探すためすぐに部屋を出る。

 応接室での話し合いの前に、ラウンジでフラム達に預けていたが……


「そういえば、まだ名前も聞いていなかったな」


 そんな基本的な所も抑えずにいたとは、冷静なつもりでもやはりパニックになっていたらしい。

 とりあえず一階へ向かうため階段を降りる。

 進行方向、ラウンジから喧騒が聞こえてくる。

 恐る恐る覗き込むと、クランメンバーやアベルたちの輪の中で、例の少女とフラムが向かい合っていた。


「この、あやとりマイスター、フラムに挑むとは、恐れ知らずの子供。愉快」


 そう言いながら、フラムは自分の両手の間に張ったあやとりの糸を少女に向ける。


「だが、心して、かかってくるがよい。私はあのリトルマリーに、十連勝した女、なのだから」

「……」


 無言のままそれに応えるように糸をとる少女。

 そこから幾度か二人の間を糸が行き来して、ついにはフラムの手の中で糸がほどける。


「ぐわぁ、この私が、負けた? ばかな……」


 フラムが間延びしたセリフを吐きながら頭を抱えてもだえる。

 大分打ち解けているようだった。

 ラウンジの入り口でその光景を眺めていると、いつの間にかユリウスが隣に立っていた。


「ユキ姉さんは部屋から出てきませんね」

「そうか」

「あの人、潔癖症のきらいがありますから、婚前交渉の時点でアウトなんでしょう」


 どうやら普段ユリウスは、同い年の叔母を『ユキ姉さん』と呼んでいるようだった。

 ユキのことも気になるが、今はそれよりローズとして反論すべきことがあった。


「いや、そんな覚えはないから」

「避妊していたのに出来たって話もよく聞きますよ。よくよく聞くと方法がちゃんとした避妊になっていなかった、ってことも良くあるらしいです」

「だから! 避妊とかそういう以前だ!」


 若干顔を赤くして否定を重ねる。


「でも、全く心当たりがないってわけでもないでしょう? ……あれ? そういえばさっき何か言ってましたね」

「ないんだ」

「え?」

「…………全く一切心当たりがない。私の認識としては物理的にあり得ない」

「……」


 ようやくローズの言わんとすることを悟ったユリウスが、ばつが悪そうに視線を逸らす。


「あー、それは何と言えばいいか……、なるほど。困りましたねそれは。うーん」


 ようやくローズが否定する理由を理解したユリウスが、悩むように顎に手をやる。


「そもそもそのAさん、Bさんと言うのは誰なんだ」

「それは言えませんよ」

「なぜ?」


 即座に情報開示を拒否するユリウスに、ローズはその意図を尋ねる。


「こう言っては何ですが、叔父、じゃなくて叔母さんと僕とは手紙でのやり取りこそ長いものの、直接会って話したのは過去一度きり。僕は叔母さんの為人を把握しているとは言い難いです」

「確かにそうだな」

「万が一にも叔母さんが、AさんやBさんの周囲に、報復や嫌がらせをするような人物だったとしたら? 僕個人としては大丈夫だろうとは思ってはいますが、子供や女性の安全が掛かっていますからね。念を入れざるを得ません」

「言いたいことは分かるが、そんな相手に子供を預けようとしてるじゃないか」

「まさにそれですよ。その辺りを見極めるためにも、叔母さんに会いに来たわけです」

「ふむ」


 成程と思うローズ。ユリウスの言うことにも一理ある。

 ただ、ローズ側の言い分が正しかった場合や、あるいはローズが子供を預けるに値しない者だと判断した場合どうするつもりだったのか。そこが良く分からない。まさか、Aさんとやらに子供を返すわけにもいくまい。

 ただ、なんでも卒なくこなし、一族でも前例のない騎士任官にまで、あっさりこぎつけたユリウスである。何か考えがあるのだろう。


「Aさんの言うことが本当だと判断した理由は?」

「すみませんがそこも今は伏せさせていただきます。ただ、僕と叔母さんの間でしか通じない事、他人が知らないはずの事はそれなりにあるでしょう?」

「確かにあるな」


 かつてのローズは、ユリウスが将来継ぐべき実家――ウェルズ家の行く末や、家族のことなどについて、冒険者ギルド経由の手紙でよく相談に乗っていた。直接顔を合わせたことのない奇妙な叔父・甥の関係ではあったが、それなりに信頼される相談者だったと自負している。なにしろユリウスが騎士を目指したのも、ロイズの勧めによるものなのだ。

 そしてウェルズ家でもそのことを知る者は他にいない。ゆえに、例えばだがそのあたりの事をAさんの口から伝えられたならば、ユリウスとしては十分信じるに値するだろう。


「ですので申し訳ないのですが、しばらく私の方でどちらの証言が正しいのか調査させてください」

「それはいいが、しかしあの子の年齢から考えて、下手をすると十年くらい前の話を掘り返すことになるんじゃないか?」


 有名人ならともかく、一般人の十年前の動向を調べるなど、そんなに簡単なことではない。


「その辺りは少し考えがあります」


 その考えとやらに少し興味が出たローズであったが、どうせ教えてくれないだろうと聞くのはやめる。

 そこでもう一つ聞くべきことがあったことを思い出す。


「ところであの子の名前は?」


 その反応にユリウスが意味深な笑みを浮かべる。

 なんだか罠にはまってるような気分になりながら、ローズはユリウスの答えを待つ。


「あの子の名前は、リナです。ひょっとしたらリナ・ウェルズかも」

「結局信用してないのか……」


 どうやらユリウスの中では、可能性は未だ五分五分として扱われているようだった。




―――――


(追記)

最初の悪夢の下りに、ローズの独白を追加しました。

少々わかりにくかった様で申し訳ないです。

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