3.尻ぬぐいの人
「このまま終わる気がしないと言ったが、こう来たかぁ」
「なにか?」
「いえ、なんでもありません、こちらの事です」
ワルターはオーディル代官のコーズ伯爵に独り言を聞かれ、慌てて誤魔化す。
「仮にではありますが、こちらが命令書となります」
「確かに」
代官所の通信施設へ帝都から送られてきた伝文を受け取る。当然、印、署名などないため仮のものではあるが、厳重に管理された施設で受信したものであり、正規の命令書として扱われる。正式なものはいずれ早馬で送られてくるだろう。
先日の時点でワルターはオーディルで何が起きていたのかを把握していなかったが、今まさにその全容調査の責任者に任じられてしまったということだ。
そして、代官から騒動の概要を聞いて目を剥くことになる。
「レオン王国の使節団と、代官所が真祖に乗っ取られ、冒険者クラン【水晶宮殿】と交戦に至ったと」
正直意味が分からなかった。
出てくる単語、組織それぞれがどう繋がるのかさっぱり見えてこない。
昨日戦闘後の片づけを手伝っていたときに、色々聞いておくべきだったと後悔する。
(まぁいい。どうせ聞き取りを行うことになるのだ)
幸い先日微妙な空気になったカインとはそれほど接触する機会はないだろう。彼女はクランの有力メンバーではあるが、運営幹部というわけではない。
ワルターの正面に座る代官、コーズ伯爵が深いため息をつきながら説明を補足する。
「弊職も被害者側であると同時に、管理責任を問われる立場でもあります。偶然とはいえこの街に滞在中のワルター団長殿が、調査の責任者に適任ということですね」
その顔色は暗い。
それもそうだろう。貴族家当主として実権を次代に譲り、最後の奉公としてこの街に赴任したのだ。来年には任期満了で勇退というところでこの失態である。
高齢になり、もはや求めるものは名誉のみというところで、その名誉に傷がつくことが確定したのだ。ワルターとしても同情を禁じ得ない。
「ところで、【水晶宮殿】のクランマスターとサブマスターについて、重要伝達事項があるとのことですが」
ワルターが受け取った命令書には奇妙な注意事項が記載されていた。
内容については機密のため伝文には記載されず、内容を知るコーズ伯爵から直接口頭で伝達を受けるようにと指示されていた。
「その件ですが、むしろそれが今回の事件の原因という可能性もあります。現時点では予断の域を出ませんが」
「ふむ、それは?」
「これは代々のオーディル代官に伝えられる機密事項で、任期中のとり扱い注意、任期後も他言無用を厳命されているものです。
まず、冒険者クラン【水晶宮殿】のクランマスター、通称クロエ殿ですが」
「通称?」
その言い回しに違和感を覚える。普通、冒険者の名前を通称などと表現することはない。二つ名ならともかく。
「彼女の本名はエクロリージェ・プランタジネット。エルフ女王エーリカ陛下の末娘です。つまり次期エルフ王の候補の一人です」
「……」
いきなり特大の厄介事を明らかにされたワルターは、早くも帰りたくなってきていた。
「この情報が取り扱い注意である理由は言うまでもないと思いますが」
「そうですね……」
「次にサブマスターのエリザベート殿ですが……」
コーズ伯爵の勿体ぶった物言いは、明らかにクロエの正体以上の厄介事を予感させるものだった。この街への道中で聞いた情報が頭をちらりと過ぎる。
「まさか」
「この方は世間的には本名より愛称の方が有名ですな。女王エーリカ陛下の妹君、エリザベート・プランタジネット、『硝子瓶の聖女』サーリェ様その人です」
「……」
帝国の建国伝説において、ロラン大帝の仲間の一人として有名な聖女サーリェ。その本名があまり有名でないのは理由がある。
彼女の人気が高すぎて、一時期エリザベートと名付けられたエルフや人族の女子が激増したためだ。
結果として巷間はもちろん、史書においても彼女をその他大勢の『エリザベート』と区別するため、愛称である『サーリェ』と記すことが一般的になったのだ。
無論その本名がエリザベートであることは、少し調べれば分かることであるが、庶民は一々そんな事を調べることはないし、そもそも調べる手段も限られる。
ちなみに貴族としての教育を受けているワルターは知る側である。
「私の知る限り、聖女サーリェは行方不明だったはずですが、実はこの街で本名で活動していたということですか?」
「はい、知っての通りエリザベートという名の女性エルフは数が多いですし、容姿もイメージからかけ離れておりますからな」
「イメージ?」
ぼさぼさ頭の瓶底眼鏡で引っ込み思案で声が小さい。それが世間におけるサーリェのイメージである。
「一度お会いになればわかりますよ」
―――――
翌日、約束を取り付けたうえで訪問した【水晶宮殿】クランハウスにて、ワルターが通された場所は応接室でも執務室でもなく、エリザベートの錬金工房だった。
部屋の中央を占める無骨な木製のテーブル上に、半ば分解された魔導人形が横たえられ、ワルターの他には魔導人形を熱心にチェックするエルフ女性がおり、それとなぜか女官長ウルスラが同席していた。
「それで、代官邸での出来事について聞きたいと?」
エルフ女性――エリザベートは魔導人形から目と手を離すことなく、ワルターに訪問理由を尋ねる。
ワルターの挨拶を無視して、いきなり本題を尋ねる様は傲岸不遜と言うべきであるが、彼女の正体を知るワルターとしては特に不満はない。種族も地位も名声も、あまりにも差がありすぎた。
エリザベートは髪型こそいつも通りの編み込みだが、髪飾りの類は付けていない。顔には眼鏡をかけ、服装は色気のない、ただし動きやすそうな作業着である。結果として、いつもの自信に満ち溢れた美女の雰囲気は大分薄れている。
その様子は、どちらかというとワルターの抱く『聖女サーリェ』のイメージの延長線上にあるものだった。代官コーズ伯爵の会えば分かるという言葉は何だったのか。ワルターは首を傾げる。
ちなみにウルスラは部屋の隅で特に何をするでもなく、椅子に座って目を瞑っている。
「その前にサーリェ、その眼鏡は?」
この場では一応部外者であるはずのウルスラが質問の口火を切る。
こちらもワルターとしては口を挟めない相手であり、特に咎めることもしない。
「いつもは眼内眼鏡をつけてるけど、矯正視力の問題で細かい作業はこっちの方が良いのよ」
「眼鏡を掛けなくなっていましたから、視力が改善したのかと思っていましたが……、ん? 今、眼内眼鏡と言いましたか?」
エリザベートの発した単語の意味を理解したウルスラが、少し驚いたように疑問を口にする。
「言っておくけど、眼球の中に眼鏡を入れてるわけではなく、瞳の部分にかぶせて使う、薄いレンズ状の魔道具の事よ」
「瞳に……直接?」
「そう」
「……」
顔を上げて指で目に何かを入れるエリザベートの仕草に、それを想像したウルスラが軽く動揺を見せる。珍しいものを見たとワルターはそちらの方に驚く。
「そんなことをして目は大丈夫なのですか?」
「眼球保護用の薬液とセットで使用するのよ。定期的な洗浄が必要だけれど、慣れれば快適よ」
「ちょっと……、理解しがたいですね……」
「子供の柔軟な発想は案外馬鹿にできないものよね」
それはかつて子供の頃のペルペトゥアから提案されたものの発展形なのだが、子供の思い付きを実際に検討して、モノにしてしまうエリザベートも大概柔軟であろう。
「相変わらず突飛な……。外見や振る舞いが変わっても根っこのところは……。すみません、話の腰を折りましたね。どうぞ」
ウルスラが軽く頭を抱えつつ、ワルターに場を譲る。
この女性が本当にサーリェなのかというワルターの疑問は、ウルスラの質問によって解消された。ひょっとするとそのために割り込んだ質問をしたのかもしれない。
「はい、お聞きしたいのは代官邸で真祖を討伐したとのことですが、【水晶宮殿】と交戦に至った経緯をお聞きしたいのです。それと真祖の死体はどこに消えたのか」
「……」
エリザベートが手を止めて難しい顔をする。
「真祖の名はペルペトゥア。かつてエステル紛争で行方不明になったはずのレオン王国の王族、その一人よ」
「エステル紛争……エリザベート様が巻き込まれたという?」
「そう。百五十年前の意趣返しと言うところかしらね」
魔導人形に視線を下ろして作業を再開しながら答える。
「それと討伐したわけではないわ」
「それでは未だ脅威は去っていないと?」
「それは大丈夫。まぁ、次にあの子が現れるときは人類の危機でしょうから、もはや考える必要もないわ」
「それは一体……」
「あの子が今どこに居るのか、聞かない方が良いわよ?」
困った顔をするワルターにウルスラが補足する。
「その点については私からも保証します。報告書には当面の脅威は去ったとだけ記載してください」
「はぁ」
ワルターも昨日のうちにレオン王国や代官所の人員への聞き取り、尋問でおぼろげながら事件の概要を把握していたが、首謀者が行方不明かつ追及不可という結果に消化不良を感じる。
そのため、今目の前で気になっていたことを追加で確認する。
「その魔導人形も証拠品ですので勝手に持ち出されては困るのですが……」
「これは元々私のよ」
「真祖が用いたものと聞いていますが?」
「エステル紛争で奪われたまま行方不明になっていたの。私もペチュアが持って行ったのだと思っていたのだけど……」
分解した人形の隙間に挟まっていた一枚の紙片を取り出す。
二つ折りにされた紙片を開くと、エリザベートは嫌な顔になる。
「どうやら違ったみたいね。あいつ、いつの間に……」
「あいつ?」
ワルターにも見えるように紙片を机に置く。
『しばらく借りてたけど、電池切れしそうなんで返すよ。Vより』
覗き込んで文面を確認したワルターだが、それだけでは分かり様がない文章だった。
「電池切れ……? Vとは?」
「あー、これも同じ。聞かないで」
ウルスラの方に視線を向けるが、ゆっくり首を振るだけだった。
どうやら今回の件は報告書に文章力(創造力、隠蔽力とも言う)が要求されそうであった。
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