1.仕切り直し
【水晶宮殿】クランハウスの応接室。
ソファーに並ぶローズ、クロエ、ノイアの三人はともに落ち着きなく座っている。対照的に対面に座った女性は落ち着いた風情でその様子を見つめる。
いや、正確にはほとんど瞳を瞑ったままなので見つめるとは言わないかもしれない。
エリザベート以上の長身、明らかに上流階級と思しき高品質でありながら落ち着いた服装、立ち居振る舞いも明らかに平民ではありえない。
黎明の空のような藍色の髪は編み込みにされ、瞳の色はその瞼に隠されて確認できない。
ただその瞳は目前の三人を観察するように時折薄っすらと開かれる。その瞳に見つめられると、どうにも落ち着きがなくなるのを自覚する三人だった。
落ち着かない理由は他にもある。日が落ちる前の代官邸での彼女の発言内容だ。
「それで、私たちの婚約はフラムの影響だとか言ってたけど……」
目の前の女性――ウルスラの隣に座り、不思議そうな顔をしているフラムをちらりと見ながらクロエが口火を切る。
「その前に自己紹介を。みなさま初めまして。帝室女官長ウルスラと申します」
「帝室……」
「まぁ、そのような俗世の役職はともかく、いわゆるところの天龍の一人であるとご認識いただければ、それで充分です」
「いや、帝室とか女官長より、天龍の方がよっぽど重大な気がするんだが」
天龍と言えば天地創造、そして人類四族の創造主とされる存在である。
「後代の天龍には、創世記の天龍ほどの力はありません。さほど恐れ入る必要はありませんよ。それでもある程度は現実を侵食する力はありますが」
「現実を侵食……」
その不穏な単語を聞き咎めたローズがフラムに視線を送る。
当のフラムはソファーの上でお尻と太腿の力だけで微妙にぴょんぴょんと飛び跳ねながら、首を傾げて呟いている。
「浮かない体、浮かない顔、うかうか……うぐぅ?」
落ち着きのないその頭を片手で押さえつけながら、ウルスラが言葉を継ぐ。
「真っ当な天龍は力を抑えて生活しているものですが、羽化したばかりの天龍は自分の力をコントロールできないことが多いのです。フラムの場合、力の暴走の程度は然程でもなく、せいぜい人の認識を惑わせ、異常行動をとらせる程度だったのは幸いでした」
「フラムが宙を浮いていても誰も不思議に思わない……」
「それもですが、宙に浮くこと自体もですね」
ウルスラはもはやフラムが天龍であることを隠そうともせずに話を進める。彼女の認識としてそれは隠すようなことでもないのか、それともこの三人には話しても良いという判断なのかは定かではない。
そしてそこまでウルスラの話を聞いていたノイアが、突然ハッとして手を口に当てる。
「あれっ!? そういえばフラムちゃん、宙に浮いてて……!? 天龍!? えっ!?」
ノイアの様子に微笑みながらウルスラは続ける。
「ノイアさんの反応からわかるように、その影響も概ね解消されつつあります」
「解消されたら騒ぎにならないか?」
フラムが街中で宙を浮いていたのは多くの人々に目撃されている。彼らが正気に戻ったとすれば騒ぎになりかねないとローズは懸念を口にする。
「懸念にはあたりません。大半の者は夢か見間違いとして、自分の中で辻褄を合わせるはずです」
「そうなのか?」
ローズがノイアの方を見ると、彼女は額に手をやりながら悩まし気に考え込んでいた。
「えっと、フラムちゃんの事ですよね? えーと、話を聞くに夢じゃないってことなんですよね? 自分でも不思議なんですけど、フラムさんの記憶がうすぼんやりとして……、まるで寝起きで忘れかけている夢の内容のように……」
「あまり強く考えない方が良いですよ。不整合のある記憶をとどめようとすれば強いストレスを受けます。抵抗せずに自分の中で自然に整理されるのを待つようにして下さい」
「はい……」
言われてノイアは素直に肩の力を抜いてソファーにもたれかかる。
しばらく目を瞑っていると表情から険が取れ、緊張がほぐれたように、ふっと息を吐く。
その様子にほっとしたローズだが、続くウルスラの言葉に顔を強張らせる。
「それよりも本題に入りましょう。お三方は先頃婚約を結んだとのことでしたね。しかも庶民としては異例の重婚を前提として」
「……そうだね」
「その前提となるであろう恋愛感情、それはフラムが現れてから自覚した、あるいは強化されたということはありませんか?」
首を傾げて問うウルスラにムッとしながらクロエが答える。
「そんなことはないよ」
「私もです」
「まぁ、私もだな」
「なにさ、歯切れが悪いじゃないか」
「いや、だって、改めて口にすると……」
堂々としているクロエ、ノイアと比べて、ローズは目を彷徨わせて頬を赤くしながら口をもごもごさせている。
「……君がそんなだとこっちまで恥ずかしくなるじゃないか」
つられるように赤くなるクロエとノイア。
「ふむ……」
その様子を見てウルスラは一応納得したように頷く。
「では、同性婚かつ重婚という点についても何ら問題ないと?」
「そりゃそうさ。私はローズと結婚出来れば……」
「私から提案したことですし……」
「私は押し切られたんだが……」
三者三様。断言しようとしたところで、違和感に言葉が止まる。
「……あれ?」
クロエが何かに気が付いたようにハッとして、手で口を抑える。
「いや、同性婚はともかく重婚は流石に問題が……だって私は……」
その様子にノイアがつられる様に驚いて声を上げる。
「そんな、約束を反故にするつもりですか!?」
「いや、そうじゃないんだ。ちょっと事情が……そうだ、そこを先に言わないといけなかったのに……」
「私もちょっと引っかかってたのに……あ」
ノイアはそこまで口に出して、ローズの様子に気づき、自らの失言を悟る。
そして、三人の様子を眺めていたウルスラが断ち切るように結論を述べる。
「やはり、大なり小なりフラムの力の暴走を受けているようですね。お三方の婚約は見直すことをお勧めします。ひとまず私とフラムは席を外すとしましょう」
「えぇーーー! 今良いところなのにぃ!」
声を上げて抵抗するフラムを引きずってウルスラが執務室から退出する。
残された三人のうち、ある者は頭を抱え、ある者は呆然として、それぞれ口を開くタイミングを失って沈黙が場を支配する。
しばらく後、呆然としていた一人、ローズが意を決して呟くように口を開く。
「そう……だったのか?」
顔から血の気が引いていた。それを見たクロエとノイアが息をのむ。
ローズは婚約からこれまで気恥ずかしさから婚約について困っているように振舞っていたが、それが他者の影響による泡沫の夢だったことを知り、ようやく自分の本心を自覚したのだ。
自分はなんだかんだと言いつつ、二人との婚約を喜んでいたのだと。
それが自分の手からするりと零れ落ちたことで、どこかで心がぽっきりと折れてしまったのを感じていた。
「いや、確かに少し問題はあるけど、私は解消するつもりはないよ!?」
「私も今更引くつもりはありませんから」
「……」
クロエとノイアが慌てて直前の失言を撤回するが、ローズは力なく首を振る。
「いや、やはり少し時間を置くべきだろう。重婚なんておかしなことだったんだ。
どちらにせよ婚約期間は一年取っていたことだし、それを一旦無期限に延期して、……頭が冷えたころにまた話し合おう……白紙を前提に」
「ローズ!」
「ローズさん」
力なく立ち上がってその場から歩み去るローズ。
クロエとノイアは立ち上がったものの、名前を呼んだきりでそれを引き留めることが出来なかった。
―――――
ウルスラは自分に与えられた客室までフラムを引きずって、ソファーにポンっと彼女を放り込む。
ぽてんと横になったフラムが抗議するように唸る。
「うー」
「フラム、私はあなたの監視のため当面ここに滞在することにします」
その対面のソファーに座ったウルスラはじっとフラムを見つめる。
「ぶぅ、フラムはやってない。むじつぅー」
「出来るだけ目立たないようにと考えていたのでしょう?」
「そう、目立たず騒がず。素材の味を大切に」
「ふらふらと宙を浮いていたのに?」
「う……」
「人々の認識を強制的に『フラムは目立っていない』に書き換えていたのに?」
「む……やってた……かも?」
「かもじゃありません。やっていたのです。……まぁ大事にならずほっとしました」
はぁと溜息をついて、ウルスラは背もたれに体重を預ける。
「お久しぶり?」
「そうね。そちらに時間の感覚はなかったでしょうが、私からすれば千年程ぶりですね」
「そんなに?」
「つまり大先輩です。これからは私の言うことをちゃんと聞くように」
「えぇ」
「今までやらかした天龍が何人いると……まぁそれも追々ですね」
「ふーん」
首を傾げるフラムに苦笑するウルスラ。
(皆この子ほど無害であれば、こんなに苦労しないのに……)
過去の苦い思い出が頭を過ぎる。
世界はあまりにも広すぎ、ウルスラの手が届く範囲はあまりにも狭すぎる。
この時代に中央大陸の過半を制したこの国の中枢に地位を確保し、情報面や交通手段で過去より大幅に改善した今でもなお足りない。
「我ながら損な役柄です」
「?」
「……なんでもありません」
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