3章

プロローグ

 その戦いは三日三晩に及んでいた。

 既に嵐は去り、雨足は小雨まで緩み、遠く雲の隙間から幾本かの陽光が地上に差し込み始めていた。


「はっはは、流石にここまでだね。僕もちょっと疲れたよ」


 草一つ生えない荒野。水溜りがあちこちに浮くその地に立つ男が一人。そして倒れ伏す人影が一つ。

 その、うつぶせに倒れた深紅の髪の女が僅かに顔を上げて、目の前に立つ敵を睨みつける。

 その眼光に知性は見られず、ただ憎しみのみを湛えて敵を射抜く。

 両の手を地面に突いて起き上がろうと藻掻くが、すでに体力、ダメージ共に限界を超えて起き上がることすらままならない。


「ガアアアアアアァァァァァァ!!!!!」


 それでも頭を上げ髪を振り乱し、屈せぬとばかりに叫び声をあげる。


「すっかり人外だね君、あー怖い怖い。

 最初に使ったサーリェの薬が無ければ僕でも危なかったかもね。流石は眼鏡ちゃんってところかな。

 そして、さらにダメ押しだ」


 いつの間にか男の傍らに立っていた老執事が、懐から一つのポーション瓶を取り出し、男――ヴェスパの差し出した手に乗せる。

 オーディルに表れた時とは異なり、さっぱりと髪を整え髭を剃ったヴェスパは、笑みを浮かべながら赤髪の女を踏みつけると、その口にポーションを無理やり突っ込む。


「むぐぅぐ!?」


 抵抗むなしくその薬液を飲み込まされた赤髪の女は、途端それまでの抵抗が嘘だったかのように脱力する。その目は完全に眠ってはいないものの、すでに夢うつつのようだ。


「これでよし。計算では猶予は一年ほどかな」


 頷くヴェスパ。

 薄い色眼鏡をかけたメイド姿のペルペトゥアがそれに近づき、空になったポーション瓶を受け取って代わりにタオルを差し出す。


「ご主人様、お着替えは如何いたしますか」


 ヴェスパは雨に濡れた髪を渡されたタオルで拭きながら、言われて初めて気づいたように自分の格好を見下ろす。

 戦闘でぼろぼろになった彼の衣服は、既にほとんどその用を成しておらず、襤褸切れと大差ない状態になっていた。


「ここで着替えようにも服がないし、戻ってから着替えて……」

「こちらにご用意してございます」

「……」


 どこから取り出したものか、腕にかけた乾いた男物のシャツとパンツを示す。


「ペチュアはさす……」

「申し訳ありませんが、ご主人様に愛称で呼ばれる謂れはございません」

「えぇ、仮にも僕は親なんだけど。酷くない?」

「酷いのはそちらでございます。仮にも王族であるわたくしに使用人の服装をさせるなど、ひどい辱めではありませんか」

「だって、君は一応僕の侍女? 秘書? 的な? それらしい格好をしてもらった方が良いかなって」

「これは侍女の服装ではなくメイドの服装です」

「そうなの? 違いが良く分からないんだけど?

 それより、ご主人様とか他人行儀に呼ばないで、お父様と呼んでもらってもいいんだよ?」

「お断りさせていただきます。ご主人様は父親ではございませんし、生物学上の父にも良い思い出は……あ、その意味でお父様(イラッ)と呼ばせて頂いても?」

「それはやめて……、というか君、本当に感情摩滅してるの?」


 ため息をついて首を振るヴェスパは、気を失った赤髪の女を抱きかかえる。

 その様子を見てペルペトゥアが呟く。


「人の天敵、嵐の精霊カーチェルニー……」

「哀れな娘だよ。今は眠って無害だけどね」

「彼女を如何する気で?」

「そうだな……例えば帝都に放り出してみればどうなるかな」

「……」


 帝都人口は七十万余。その周辺地域を合わせれば幾百万か。

 そこに人の天敵たる彼女を放てばどうなるか。かつて三つの小国が存在したこの島を無人の荒野に変えた彼女が、そこで目覚めればどれほどの犠牲が発生するか。想像するまでもないだろう。

 文明の終わりの時、人心を惑わせ災厄をもたらし、死と絶望を振りまくとされる悪龍――人の天敵の第一位たるモノの所業に相応しいとも言え、同時にらしくないともいえる。


「まぁ、僕的にはもっと楽しいことを考えているんだけどね」


 顔を顰めるペルペトゥアに向けて片目を瞑って見せるヴェスパだった。

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