26.急襲

「意外に抵抗するねぇ」


 レオン王国の兵士たちがクロエ――正確にはクロエの操る【水晶宮殿】と戦い続けている。

 五十人以上を戦闘不能に追いやったはずだが、まだ百人近く残っている様子がある。

 流石に数の差があるため、クロエは塀を背にしつつ、建物等によって相手方からの射界を制限する位置取りを心掛けて交戦している。


「おっと」


 屋根に登って弓と魔法での攻撃を試みようとしていた小部隊を、後衛の【リフレクトシールド】で叩きおとす。

 軍事の一般常識と異なり、高所の有利はクロエ相手にはそれほど有効ではない。魔法に高低差の影響はないのだ。

 投擲用の短剣を構えたところで狙った相手を搔っ攫われたローズが肩を竦める。


「数が多いな。代官の私兵も交じっていないか?」

「真祖の魅了があるからね。想定内かな」


 悠長に話をしていられるのは、真っ先に敵側の後衛をあらかた叩き潰したおかげでもある。

 前面に出ている盾持ちの重装歩兵は厄介ではあるが、どうとでも対処可能だ。

 後ろに隠れた弓兵が弓なりの弾道で矢を射こんできているが、それも後衛の【リフレクトシールド】難なく叩き落している。


「警戒すべきは【ロランの鎧】か」

「どこから出てくるかな」


 塀を越えてくるか、建物の窓から飛び出てくるか、その程度は想定内だ。

 後衛の【リフレクトシールド】が上空待機で備えている。

 まさか地面から飛び出てくることはないだろうと、ローズは足元を確認するが、芝が密に生えたこの場所で、罠や容易に突き破れるような浅い地下構造があるとも思えない。


「天衣無縫……」


 初代皇帝ロランの変幻自在の剣術、そして戦術。

 常識にとらわれず、定石を外しながら、その一歩上を行く。かと思えば奇策を恐れた敵を正面から打ち破る。

 敵に自らの虚像を幻視させ、隙なき所に隙を見出す。


「歴史上の偉人なら、って考えても分からないな。そもそもあの魔導人形がどこまでロランを再現しているのかもわからないし」


 エリザベート曰く、それほど出来は良くないそうだが。

 ローズが周囲を警戒しながら考えに耽っていると、キンッと甲高い音があたりに響く。


「!」


 塀の上、建物の窓、見通しの良い前後方向、地面、それらを素早く確認するが、異常は見られない。

 まさかと思って塀を見ると、円形に斬り抜かれた石壁がこちらに倒れてくるところだった。


「は……?」


 それは常識外の現象だった。

 石というものは硬度が高く、鉄を斬鉄で切り裂くようなことは不可能でないにせよかなり難しい。ましてや曲線状に斬り抜くなど、達人と呼ばれる剣士でも不可能に近い。


「まさか魔剣!?」


 そもそもこの代官邸の塀は緊急時の備えであり、相応の材質の石材で厚みを持たせたものとなっている。普通の剣でどうこうできるものではない。また、エリザベートがやったように破壊することも個人レベルでできる者は滅多にいない。

 それゆえにこそ、先ほどのエリザベートの奇襲が決まり、今クロエが攻撃方向の制限に利用していたのだ。


「しまっ……!」


 クロエ、ローズとも、刹那呆然となったことが決定的な隙となった。

 塀に開いた穴から飛び出した銀色の塊――魔導人形【ロランの鎧】が一直線にクロエへ向けて駆ける。


「……!」


 その攻防は、隙となった半秒の間を空けて始まり、次の半秒で終わった。


 まず、クロエは【水晶宮殿】最後の守り、そのうち一枚を叩きつける。


「……」


 【ロランの鎧】の上半身が人間では有り得ない異常な挙動で前に倒れ、その【リフレクトシールド】はそのぎりぎり上を通り過ぎる。


「ちっ」


 それを見たクロエが残りの二枚を手元に引き付け防御に用いようとしたところで、クロエにとって予想外の事が起きる。

 【ロランの鎧】が一枚目の【リフレクトシールド】をすれ違いざまに剣で追い打ちしたのだ。胴体と腕関節の前後がない【ロランの鎧】だからこそできる動作であるが、その結果は激烈だった。

 完全武装の兵士を吹き飛ばす【リフレクトシールド】の反発力が【ロランの鎧】を逆方向――すなわちクロエの方へ弾き飛ばし、急加速させたのだ。


「!?」


 この時、前進速度が一瞬にして倍加した【ロランの鎧】を見て、クロエは判断を誤る。急激な加速を脅威とみなし、万全を期して残り二枚の盾を縦に並べてしまったのだ。

 実のところ【ロランの鎧】の質量は人間の武装兵と大差ない。ゆえにこそ【リフレクトシールド】の反発力で急加速できたのだ。それは逆に言えば一枚でその質量を受け止めることが、十分可能ということでもある。

 つまり正解は、二枚の盾を平行に並べて防御範囲を広げるべきだった。予想外の動きを見せられたクロエが、刹那の間に【ロランの鎧】に過剰評価を与え、無意味に防御を重ねてしまった。

 そして【ロランの鎧】はその隙を見逃さない。全身の関節を駆使して重心をコントロース、半ば空中にあった自身の進路をわずかにずらして見せる。それはあたかも、上半身をねじりながら空中を泳ぐかのごとき挙動だった。

 結果として【ロランの鎧】は縦に並んだリフレクトシールドの僅か右をすり抜ける。

 そして腰だめの構えていた剣を、回避のためにずれてしまった軌道を修正するように、曲線軌道でクロエの喉元に突き込む。


「あっ……」


 もはや回避は間に合わないタイミングだった。


 ここに至るまで、クロエにはこの攻撃を防ぎきる選択肢がいくつもあった。


――最初に手拍子で叩きつけた一枚目を防御に回していれば。

――あるいは、残り二枚を防御範囲重視で平行配置にしていれば。

――そもそも、【水晶宮殿】の制御を放棄して最初から回避に専念していれば。


 刹那の間に自らの『死因』を悟ったクロエは、それを後悔する間もなく思わずぎゅっと目を閉じる。


 キンッと澄んだ音。

 傍らを通り過ぎる暴風。

 少し時間を空けて、背後から重量物が建物にぶつかったような轟音と、レンガの崩れるような音。

 そして―――なぜかまだ生きている自分。


「…………ひゅ! は……!  はぁ……はぁ……はぁ……」


 いつの間にか地面に尻もちをついて座り込んでいたクロエは、思わず止めていた呼吸を再開する。


「……生きてる?」


 目の前の地面に突き刺さった剣とその柄を握った魔導人形の手首を眺めながら、自分の体を確かめる。どうやらどこも負傷していない。

 そこにローズから声がかけられる。


「戦闘中に目を瞑るものじゃない」


 そう言いながら普段と変わらぬ様子で手を差し出す。クロエがその手を掴むと引っ張り上げられるように起こされる。


「大丈夫か?」


 まだ半ば呆然としたままのクロエの様子を心配してか、その顔を覗き込むように尋ねるローズ。


「……うん」

「なら、向こうは頼む。私は【ロランの鎧】とケリをつける」


 そう言うと背後の瓦礫の山に対峙する。

 いまいち状況を理解できていないクロエが、ふと尋ねる。


「えっと、いま、ローズが助けてくれた?」

「? 当然だろう。クロエ狙いは明らかだったからな。万一突破された場合に備えていた。……と言うかもうちょっと信頼してくれてもいいんじゃないか?」


 苦笑気味に言い置いた後数歩進み出て、瓦礫の中から立ち上がった魔導人形に対峙する。その横顔は既に目の前の敵へ向け意識を切り替えていた。


「そう……だね」


 それをぼーっと見詰めていたクロエは、ハッとして【水晶宮殿】のコントロールを再開する。


「まさか、エリザベートの言った通りになるとは……」


 少し落ち込みつつも、むしろ頬が熱くなっているのを自覚して首を振るクロエ。時と場所を考えてくれない自分の心臓に、いささか羞恥を覚える。


「こんなところで浮ついた気持に……吊り橋効果もありそうだけど……」

「ん? なにか言ったか?」

「なんでもない!」

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