25.呪い

 エリザベートが代官邸の暗い廊下を一人歩む。その行く手を阻むものは奇妙なほどに皆無だ。


「罠……かしら?」


 考えてみれば、ここまであっさり奇襲を許したこと自体が怪しい。

 ローズ達にはああ言ったものの、相応の迎撃を受けることを覚悟しての先制攻撃だったのだ。だとしても押し通せる自信があってのことではあったのであるが。

 それが迎撃どころかほとんど成す術なくクロエに押しまくられ、挙句邸内に侵入したエリザベートを迎え撃つ人影すら皆無なのだ。罠を疑ってしかるべき状況である。

 エリザベートは数秒立ち止まって考え、すぐに歩みを再開する。ここまできて引き返す選択はなかった。


 実のところ、この邸内の無防備さはペルペトゥアのミスだった。『各々最適な行動をとれ』と命じた結果、各指揮官は個別に元々想定されていた『敵との交戦』について最適な行動を(当初の想定状況とは異なるが)とり、元々想定されていない『邸内の防衛』という任務を、実行するものが居なくなってしまったのだ。

 全体の指揮を統括し、俯瞰できる者が居ればこの不備に気付けたであろうが、ルアール子爵が帰還しなかった結果、その立場に立つ者が居なくなってしまった。にもかかわらず、それに代わるものを指名しなかったことが今問題となっているのだ。

 通常の軍事組織ならば、速やかに指揮権の継承が行われたのであろうが、真祖の魅了の影響下にあった彼らはそれを行わなかった。魅了のデメリット――自己判断能力の低下がもろに露呈した形だ。

 この統括者の不在は、これまでペルペトゥアがレオン王国内で指示していた、内政、外交といった分野であればさほど問題にはならなかったものだ。だが、こと陸戦、それも今まさに戦闘を行っている状況では致命的とすら言えた。

 専門家に任せるというペルペトゥアの“常識的”な判断が、またもや裏目に出ていた。


 そんなこととは露も知らないエリザベートは首を傾げながらも、真祖に特有な異常な魔力源を追って、その扉にたどり着く。

 抵抗もなく開いた扉の先には、佳人が一人きりで椅子に座り、淹れたばかりの紅茶を手に取ろうとしていた。

 その佳人――ペルペトゥアは驚くこともなく、だが少し意外そうな顔をする。


「あなたは……? ああ、お久しぶりです、サーリェさま。随分と……御変わりになられましたね」

「何年経ってると思っているの。あなただって色々変わっているでしょ」

「それもそうですね」


 百五十年ぶりの再会。それも互いに命のやり取りをしようとしている者同士のやり取りとは思えぬ会話だった。仮に事情を知る第三者がここにいたとすれば、言葉の軽さに目を剝いたことだろう。

 だが二人にはそれで良かった。再会に感慨を抱くにはあまりにも……、あまりにも時が経ち過ぎていたのだから。

 見知った者同士の気軽さか、あるいは別の何かなのか、ペルペトゥアは来客を気にすることなく紅茶の香りを楽しみ続け、一方エリザベートは了承も得ずに彼女の真向いの席に座る。


「申し訳ありませんが立て込んでおりまして、おもてなしはできそうもありません」

「構わないわ」


 ペルペトゥアは音もたてずにカップを戻すと、客人と話をするべく姿勢を正す。


「やはりあなたが血を飲んだのね」

「はい。兄上様から頂きました」

「セリオか。とことん恩を仇で返す一族ね」


 セリオとはラウルの跡を継いで王位についた彼の長男だ。

 百五十年前の紛争ではエリザベートによって殺される寸前で助命され、王位の継承を認められていた。


「その節はご迷惑をおかけしました。サーリェさまの報復のおかげで、王国は取り潰しを免れました」


 あの時ラウル王のやったことは、レオン王国の取り潰しもあり得るほどの暴挙だった。エリザベートによる王宮の破壊、王族の大量殺害が無ければ実際そうなっただろう。

 当時の帝国政府は取り潰しを検討しつつも、最上級諸侯であるレオン王国が消滅することにより発生する諸々の面倒を懸念していた。エリザベートによる報復によって制裁が事実上成されたことは、王国存続の良い口実になったのだ。


「私が意図したものではなかったけれどね」

「そうなのですか?」


 疑問を呈しつつも、さして興味はなさそうな表情のペルペトゥア。

 それを気にすることなくエリザベートは一呼吸おいて話題を変える。


「レオン王国の内政・外交は百年ほど前から奇妙な一貫性を持つようになったわね。歴代の王の資質はあまり褒められたものではなかったのに」

「はい。私が相談役を務めさせて頂いていますので」

「相談役ね」


 エリザベートは長年レオン王国について集めた情報から、その歴代王の背後に隠然たる力を行使する、絶対権力者の存在を読み取っていた。それは“相談役”などととても呼べないほど強力なものだ。

 奇妙なことに政府関係者たちは決してその正体を口にせず、噂すら流れなかった。その様な権力者が居れば、必ず発生するはずの対抗勢力も存在せず、権力闘争自体がほとんど起きない。それはいささか信じがたい事だった。

 ゆえにエリザベートは、それに一つの仮説を立てていた。奪われて行方知れずとなっていた彼女の所蔵品の一つ『天龍の血』により、真祖となった者こそがその絶対権力者であろうと。

 その答えが今目の前にいた。


「幸いにも真祖には魅了という力がありましたので、皆とても協力的でした」

「……」


 だがペルペトゥアが長年権力を振るってきたこと、それは目的ではなく手段であるはずだ。

 レオン王国の統治や権力の保持、そしてその安定が彼女の目的であるならば、彼女自らがこの場に現れる理由が無いのだ。むしろ絶対に表に出るべきではないのだから。


「あなたの目的は、私への復讐かしら?」

「復讐……」


 奇妙なほど感情を感じさせない呟き。


「サーリェさまはご存じですか? 吸血鬼症は時間の経過に従い自我を消失させますが、その感染源たる真祖自身も、時間と共に失うものがあるのです。それは――」


 エリザベートがその後を継ぐように言葉を発する。


「――感情」

「……ご存じでしたか」


 半ば予想していたのだろう。ペルペトゥアに驚きはなかった。


「あの血を飲んた直後から、自分の感情が希薄になっていくのは感じていました。五十年ほど経過したころには、もはや何事にもほとんど心動かされることがなくなりました。ですので……」

「復讐する気などないと?」

「少なくとも私個人としての復讐心はありません。そもそも私にはサーリェさまに対する憎悪など、……全く無かったとまでは言いませんが、兄上様ほどには無かったことは確かです。それよりも、私が今ここに居る理由は言わば義務なのです」

「義務?」


 意外な単語にエリザベートの眉が上がる。


「兄上様はあの血を私に与えながらこう言いました。『必ずや復讐を果たせ。父母、弟妹の仇を討て。ただ、ただ、それだけが余の希望、望みである』と」

「自分で飲まずにあなたに飲ませるのがセリオらしいわね。その結果王国を亡ぼすところも……」


 呆れたようにため息をつく。

 自ら骨を折らずに、他人に命じる。それも自らの存在を、そしてそれを支える全ての人々をも、天秤にかけて失わせる望みを口にしながら。

 それはエリザベートには到底理解できない事だった。


「ペチュア、あなたのそれは義務とは言わないのよ」

「?」

「人はそれを“呪い”と呼ぶのよ」

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