22.百五十年前

「サーリェさま!」


 この地の領主であるエステル伯の孫娘が、私の研究所に入り込んできたのはこれで何度目だろうか?


「こらペチュア、勝手に入ってきちゃダメって言ったでしょ?」

「だって、錬金術教えてくれるって言ったじゃない」

「大きくなったらね」

「大きくなったよ! もう十歳だよ!」

「あら、まだ十歳? 人族って大きくなるの早いわね」


 そうやって私がペチュアの相手をするのを、私の『信頼する』部下である職員たちが微笑ましく眺めている。厳重な立ち入り制限がされているこの研究所に、厳密には部外者であるはずのペチュアがあっさり入り込むのは、彼らの『裏切り』によるものだろう。

 私も自身の研究に入れ込み過ぎる質は自覚していた。ペチュアの乱入は良い気分転換になっている。彼らの『裏切り』の狙いもそこだろう。

 ペチュアとひとしきりじゃれ合った後、再び机に向かって理論式の検討に戻る。ペチュアは歳に似合わず賢明で自制も効くので放っておいても問題ない。これまで色々と遠慮してきた生い立ちのせいもあるだろう。この研究所でも触ってはいけないものには手を出さない。だからこそ、ここに入り込むことを黙認されているのだ。

 しばらく集中していると、ペチュアが持ち込んだ自分の櫛で私の髪を櫛削り始める。彼女はここに来るといつもこれを始めるのだ。肩までの長さの私の髪を梳かすのが、そんなに面白いのだろうか?


「サーリェさま、寝癖くらい直してよ。それになんですぐ髪切っちゃうの? こんなに綺麗なのに」

「自分の髪は魔力伝導素材として有用なの。手軽に手に入るし」

「エルフの人って髪を切らないって聞いたよ」

「私はそんなの気にしないし」


 もっと伸ばしてよと我儘を言うところを見ると、やはり長い方が櫛で梳かす甲斐があるということなのだろう。私には良く分からないが。


「その瓶底眼鏡もなんとかならないの? 眼をポーションで治したり」

「私の視力は生まれつきだから、ポーションじゃ治らないわよ」

「それじゃ錬金術!」

「その錬金術がこの眼鏡なのよねぇ」

「むー、目を直接いじれないの?」

「なにそれ、怖いこと言わないでよ」

「それか眼鏡をものすごく小さくして眼の中に入れたり」

「痛いでしょそれ」


 想像するだに怖いことを平気で口にする子だなぁ。



―――――



「ペチュアを寄こせだと!? 巫山戯おって!」


 エステル伯が執務机に両手を叩きつける。彼の怒りの対象は私ではない。レオン王国の国王ラウルだ。

 つい今しがた、エステル伯領の隣領であるレオン王国のラウル王から、彼の実の娘であるペルペトゥア――ペチュアを『返還せよ』と言う要求があったのだ。それがエステル伯の激怒の理由だ。

 昔はこんな簡単に感情を顕わにする人ではなかった。昨今の心労で白髪が入り始めた頭を見ると、この人も歳をとって少し自制が効かなくなってきたのかもしれない。人族というものは困ったものだ。

 静かな環境を提供してもらっている以上、相談に乗ることは吝かではないが、最近は頼られ過ぎている気もする。私も硝子瓶の聖女などと呼ばれているが、所詮は何の実権もない名誉伯爵にすぎない。多少の名声だけでは出来ることなど大してないというのに。


「ラウル王としても、王位継承権を持った者がこちらに居るのは都合が悪いのでしょう」

「勝手に手を出して、勝手に追い出しておきながら、なんたるっ!」


 まぁその怒りも理解できないではない。

 レオン王国のラウル王は、一言で言えば幼稚な人間だ。

 目の前に居るエステル伯とは又従兄弟の関係にあるのだが、帝国貴族としては王と伯という格の違いこそあれ、直臣として同じ立場だ。その縁戚にして同輩たるエステル伯を家臣扱いするような考え足らずな男なのだ。

 ラウルは以前、エステル伯に『命じ』て、その娘をレオンの王宮に侍女として出仕させていた。

 そこまではエステル伯も我慢した。本来なら主君でもないラウルに『命じ』られる謂れなどないところを、不満を飲み込んで『要請を受諾』したのだ。

 まぁ本来ならば喜ぶべきことだ。何しろ同じ直臣とは言っても王と伯では格が数段違う。その格上諸侯の王宮に娘を出仕させることは、友好関係を保つうえでも有効であるし、名誉なことでもあるからだ。

 だがラウルが全てを台無しにする。その出仕したエステル伯の娘リゼットに手を出したのだ。

 平民や下位貴族ならともかく、血縁関係のある友好諸侯、それも伯爵のような高位貴族の娘に手を出すなら、正式に側室にすべきと言うのが常識だ。それもなしに無理やり手を出したのがまずありえない。

 あまつさえ正妃への発覚を恐れて、リゼットをエステル伯へ一方的に送り返してきたことは、王侯貴族としてはもちろん、帝国の一般的慣習としてもあり得ない所業だった。激怒したエステル伯がレオン王国との断交を宣言したのも当然だ。

 帝国から仲裁使が送られてきたが、双方の言い分が食い違い過ぎて妥結点が見いだせず、最終的には匙を投げられた。

 断交と言っても、あくまで特別な関係として相互に送りあっていた常任の外交官を引き上げただけであり、通常の諸侯の関係に戻ったもので、帝国政府としてはあまり問題視できることでもなかった。むしろエステル伯がレオン王国の影響下から外れるのは歓迎しても良い事だった、というのもあるだろう。


 その送り返されてきたエステル伯の娘――リゼットは当時憔悴しきっていた。彼女も貴族の娘として意に添わぬ相手との婚姻も覚悟はしていたのだ。だが、本人の意に反して戯れで手を出されるような雑な扱いをされるなど想像の埒外だったのだろう。それは決して伯爵のような高位貴族の娘にする扱いではない。

 それでも相手は王である。側室なり妾なりに迎えられるのならばまだ良かった。貴族として生まれて教育を受けてきたのだ。そういうこともある、実家の利益になるのならば、と無理にでも受け入れることが出来ただろう。感情面はともかくとして。

 それが何の配慮もなく実家に送り返されるなど、感情面でも理屈の面でも到底納得のいくことではなかった。

 高位貴族家のプライド、弄ばれた苦痛、他の諸侯の嘲笑、打ち砕かれた自らの将来。

 実家の人々の慰めすらリゼットの精神を苛む材料となった。

 エステル伯領に戻って以降、リゼットの精神は不安定となり、それは彼女の妊娠が発覚したことでさらに悪化する。

 呆れたことにラウル王もその周辺も、リゼットが妊娠している可能性を欠片も考慮することなく送り返してきたのだ。

 だが、奇妙なことにリゼットが出産した後も、レオン王国は何の反応も示さなかった。その女児がペルペトゥアと名付けられ、エステル伯爵家の女子としてペチュアの愛称で育てられ十年が過ぎるまで。


 レオン王国の要求以降、内外で本人を含めて様々な話し合いが幾度も持たれた。

 結論から言えば、ペチュアはレオン王国に引き取られることを承知した。

 ほとんど顔を合わせたこともないという母親からの扱いも影響したのかもしれない。

 祖父であるエステル伯は彼女を愛し育てたし、伯爵家の家人も彼女を差別するようなことは決してなかったが、どうしても一歩引いた扱いになるのは避けられなかった。ペチュアもそれを察してか、どこか遠慮した生活を送っていたようだ。それも理由の一つになったのだろう。

 ……私の研究所では結構自由に振舞っていたのだけれど。


「本当に良いの?」


 一度だけ、そう問いかけた。

 彼女は静かに首を振るだけだった。

 私ならば止められたのかもしれない。

 ペチュアが彼女の母親を雑に扱って追い出したレオンに行って、ろくな目に合うとは思えなかった。私に懐いてくれていた彼女が不幸になるのは見たくなかった。

 だけれども……、当時の私はこの件に深くかかわる事を躊躇った。

 元々人と交わるのが苦手だったというのもある。

 それよりも政治的なことに口を出すことで、当時のしがらみから離れた心地よい環境を壊しかねないことを躊躇したのだ。


 ほんの数年後、その全てが奪われるとも知らずに。



―――――



 レオンにおけるペルペトゥアの扱いは、意外に真っ当なものだった。末姫として兄姉たちに可愛がられ、王妃にも分け隔てなく扱われていたという。

 子育てに関してラウル王の発言権は無いようだった。ことペルペトゥアに関する話を伝え聞くに、その中ではラウルの名がほとんど出てこないことがその証明となった。

 それを知って私はほっとした。

 心の中の罪悪感を、手放して、蓋をして……安心していた。



―――――



「あああああああああああああああーー!!」


 私は研究所を覆う炎の前で絶叫していた。

 既に屋根は崩れ落ち、火の勢いは手の施しようがなかった。私の数少ない友人たち、仲間たちがその中で命を散らしているというのに、私には何もできなかった。


 ラウル王とその護衛兵が帝都への移動の途上、エステル伯領の領都を突如襲ったのは、ペルペトゥアがレオンに去って五年後の事だった。

 当時エステル伯とレオン王国間で盛んに交渉……とも呼べぬ口喧嘩が行われていたのは知っていた。だが私はそこから距離を置いて耳をふさいでいた。

 エステル伯は私に相談したかったようだが、ここしばらく困った顔をするばかりの私に遠慮したようで、積極的に話を持ってくることはなかった。

 その結果がレオン王国による実力行使となった。

 正々堂々宣戦布告を行ったならともかく、領内を平和的に通行中に奇襲をかけるなど、帝国の貴族の慣習を破るものであり、国内秩序に真っ向から歯向かう所業だった。

 しかも形式的にはエステル伯とは無関係な名誉貴族にして、建国の功臣たる『硝子瓶の聖女』、かつ外国の王妹でもある私――エリザベート・プランタジネットを監禁し、その私財である錬金術研究所を接収するなど、完全に国際問題であり、もはや帝国そのものに喧嘩を売っているに等しかった。

 領都の占領から一月後、帝国軍と姉王エーリカが送り出したエルフ氏族の先遣隊とが、エステル伯領の手前に布陣してレオン王国への最後通牒を発する。


 帝国政府の迅速かつ強硬な態度に驚いたラウルが、全てを捨てて自領に逃げ帰ることで、事態は収束するかに見えた。


 研究所に監禁されていた職員とは離され、別の場所に一人で監禁されていた私は、当初事態を楽観していた。

 帝国貴族同士の私戦では、貴族やその家族に手を掛けることはない。無論戦闘の結果として戦死したり、そもそも暗殺そのものが目的であったりした場合は当てはまらないが、武力行使の結果捕虜となった貴族の安全は保障されるものなのだ。不確かな紳士協定ではあるがそれが当時の慣習だった。

 ましてや無関係な貴族である私の安全や財産は保全されるのが当然だ。ゆえに、私もラウルの常識外れの要求――錬金術の研究成果や魔道具の譲渡――を突っぱねて平然としていた。そもそも交渉してくること自体が、強引な真似をする気はないという態度表明に他ならないからだ。

 ――常識的に考えれば。


 だがラウルと言う男には常識がなかった。

 撤退の途上で、領主館に閉じ込めたままのエステル伯の一族や、私の研究所の事を思い出した彼は――それらに火をかけるよう命じたのだ。

 幾人かの家臣は止めたようだが、ラウルの長年の統治の結果、常識を持って諫言する者はことごとく彼のもとを去り、当時彼の周りは王にただ盲従する者ばかりになっていた。

 私自身はおそらく過去の名声のおかげで命拾いをしたのだろう。監禁場所に火がかけられる直前に、ラウルの意に反した者たちによって密かに解放された。


 そしてただ一人の生き残りとして、炎の前で慢心のつけを払うことになった。


 正直に言うとその後のことはよく覚えていない。

 次に覚えているのは、レオンの王宮の廃墟の前に立ち、王太子に剣を突きつけたところだった。そして私たちの間に割って入った彼の家臣たちに止められて……

 あのような腐った国にも人はいるということに、奇妙にも感心したものだ。

 私は帝国政府の仲裁もあり、レオン王国と条件付きで和睦した。レオン王家のただ一人の生き残りとなった王太子の王位を認め、彼を交渉相手として。

 ぎりぎりの所で和睦を認めたことに特に理由はない。もう何もかもどうでも良くなっていたのだ。


 その後、私はこの国の表舞台から去ることにした。

 ペルペトゥア――ペチュアがこの騒乱でどうなったのかを、私は気にかけることすらできていなかった。

 そのことに気づいたのは何年も経った後だった。

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