20.佳人との邂逅

 時はクロエが代官邸に到着した時に遡る。

 代官邸に到着したクロエたちはそのまま邸内を案内される。


「妙に薄暗いな」

「……」


 クロエの独り言に案内人は答えない。

 随員の三人も迂闊なことは言えず、顔を見合わせつつも無言を貫く。クロエの言葉に同意すれば受け入れ側の不手際を批判することになりかねないためだ。最上位者のクロエが口にしている時点で手遅れ感があるが。

 その微妙な雰囲気など気にした様子もなくクロエは続ける。


「あー、臭い。なんだこれ? どういうことだ?」

「クロエさん?」


 そのあまりの暴言にノイアが困惑する。


「ノイアは私から絶対に離れないように」

「え?」

「トーリとモネはいつでも動けるように心構えを」

「はぁ」


 補佐役のトーリ、モネの両名もクロエの言動に困惑する。だが歴戦の二人はすぐに気が付く。

 案内人がクロエの言葉に一切反応を見せないことに。

 普通の使用人ならば、客人に不手際――正当なものか言いがかりかは別として――を指摘されれば、動揺するなり弁解するなりするはずだ。

 つまり現況はすでに普通ではない。二人は警戒レベルを上げる。


「こちらです」


 案内人はクロエ一行の言葉や警戒など無いかのごとく振舞い、ノックもなしに扉を開いて一行に入室を促す。


「……」


 クロエは無言のまま、その薄暗い応接室へと歩み入る。

 昼日中にカーテンを閉め切って、いくつかの燭台に灯されたろうそくの火によって照らされる室内。

 そこには黒髪黒瞳のひとりの佳人が座り、一行を待ち受けていた。


「お待ちしておりました。エクロリージェ様」


 佳人は立ち上がる様子もなく、クロエに声をかける。落ち着いた言葉遣いとは裏腹に、その声質は少女のように高質で軽やかだった。


「ペルペトゥアと申します。以後お見知りおきを」

「妙な魔力が漂っていると思ったら……。これは驚いた、お前は真祖だな?」

「おや、お分かりで?」

「その只人では有り得ない魔力の特徴、昔一度だけ見たことがある」

「なるほど……

 ご安心ください。その過去に見たという真祖はいざ知らず、私は人と敵対する気はございません」

「ふん、どうだか」


 相手に合わせて挨拶も作法も省略し、ペルペトゥアと対面する位置のソファーに荒々しく腰掛ける。


「それで、わざわざレオン王国の代表団のふりをしてまで私に、いやエリザベートにか? 接触してきた理由はなんだ?」


 その後ろにノイアが立ち、ノイアの左右を守るようにトーリとモネが立ったまま警戒する。三名ともクロエと佳人の言葉に動揺していたが、クロエが座ってしまったためやむを得ずその背後をカバーできる位置につく。座席は用意されているが、この状況ではとても座る気にはなれない。


「使いの者が伝えた通りですわ」

「生憎内容は聞いていない。詳細は当日伝えると言っていたぞ」

「ですが、想像はついているのでしょう?」

「想像はついていた。いや、そのつもりだった。おそらく通行権や関税の話だと。

 だが、お前のようなものが出てきたのでは、それは名目、偽装なのだろう? 一昨日の襲撃といい、言いたいことがあるのならば口で言ってもらいたいものだ」

「一昨日?」


 そこで初めてペルペトゥアの表情が動く。


「深夜に襲撃を掛けてきただろう」

「……存じませんが」


 ペルペトゥアの表情が再び微笑を象り動かなくなる。

 その反応に訝し気に首を傾げるクロエだったが、ペルペトゥアが何も言わないため、本題を促すことにする。


「まぁいい。ならばこの会談の主題は何か?」

「当方とエステル伯の間に結ばれている協定の再交渉となります」

「なぜ真祖のお前がレオンの代表面をする」

「私は王の顧問職を拝命しておりますので。今回の交渉では全権を委任して頂いております」

「ふーん。人の天敵が人の王国の全権ねぇ」


 人の天敵――人類に敵対する超常の存在の総称だ。

 悪龍ヴェスパ。

 嵐精カーチェルニー。

 六頭現存すると言われる大古竜。

 そして、吸血鬼の真祖たち。

 そのうち人の手により討伐されたのはわずかだ。

 創世記の時代に堕ちた、中央大陸の“名も無き大古竜”。

 そして史上三度現れ、二体が滅ぼされたとされる吸血鬼の真祖。


「帝国法においては、私も唯のいち邦国民に過ぎませんよ」

「突然暴れださなければな。

 それで、レオンがお前を飼っているのか、それともその逆か。どっちなのだ?」

「さて……」


 クロエの問いかけに笑みを深めるペルペトゥア。


―――――


 意外にと言うべきか、クロエとペルペトゥアの会談はまっとうに進められた。

 いや余計な儀礼的やり取りを省略している分、通常より早く進行したとすら言える。

 内容としてはペルペトゥアの言った通り、レオン王国とエステル伯領間の協定の見直しだ。

 見直しの理由も真っ当、と言うか当然のもので、締結後百五十年を経て領境付近の人口が増えた結果、密輸の激増や不合理な既得権益の発生、様々な問題の裁定やら判例やらが複雑に絡み合って、もはや収拾がつかなくなってきたため、協定の見直しを含めて整理したいというものだ。領主であるエリザベートの放置が主な原因と言える。

 それらの諸事情、その具体的な例を挙げられ、クロエは当事者である地元民の歯ぎしりや、対応にあたる役人の死んだ目を容易に想像することが出来た。クロエのギリギリ関係者という微妙に立場からでも、さすがにこれの放置は薄情に過ぎると感じる。

 今日のところはそれらの問題の共有と、レオン側の提案の提示が主なものだった。

 協定の見直しの具体的なところはまた後日ということになる。


「本日は非常に有意義なお話が出来ました。この後お食事を用意しておりますが?」

「昼は過ぎていたか……いや遠慮する。正直疲れた。帰りたい」


 クロエが慣れぬ交渉事で精神的に疲労していたのは事実だ。

 だがそれ以上に、常時気を張っていた後ろの三人の疲労が激しい。座って良いというクロエの言葉を断って、最後まで立ったままだったのでなおさらだった。ノイアなど立ったままメモを取り続けていた。


「それは残念ですね。それでは次回、双方にとって有意義な結論が得られると良いのですが」

「私個人としては同意するが、あまり期待しないでくれ。私はともかくエリザベートが頑固者だからな」


 だが、とクロエは内心緩みかけていた警戒心を引き締め治す。そもそもとして今回の交渉は吸血鬼の真祖が出張るような事とも思えない。

 ペルペトゥアのレオンにおける立場が良く分からないが、真祖がわざわざリスクをとって表に出てくる案件と思えないのだ。やはりなんらか別の意図を隠していると見るのが妥当だろう。それはそれとして協定を見直したいというのも本音のようだが。


「まぁいい。とりあえず今日のところはお暇しよう」

「分かりました。それではごきげんよう」


 ペルペトゥアが退席を促す。どこまでも礼儀を無視した振舞い。いっそ人外らしい態度ともいえた。



―――――



 会談を終えたクロエ一行がクランハウスへ戻ると、その手前で馬車の行く手に何やら人垣ができているのが見えた。


「なんだ?」

「うちに人だかりができて……、いえ、ちょっと遠巻きにされているような?」


 人垣をかき分けるようにクランハウスの前まで辿り着くと、その惨状が一行の目に入る。


「え、扉が吹き飛んでる……」

「バリケードで塞いでる、ってことはなんか戦闘してる?」


 トーリとモネが馬車の御者台からクランハウスの様子に困惑していると、バリケードの向こう側で警戒していたラシェルが驚いた顔をして身を乗り出す。


「トーリ! モネ! 無事だったの!? クラマスは!?」

「何のことだ? ってか何があったんだ?」


 さっさと馬車から降りたクロエがラシェルに尋ねる。そのあとにはノイアが続く。


「クロエさん! ノイアさんも! あ、ちょっと待っててください!」


 慌ててバリケードをどかすラシェル達に首を傾げるクロエたちだった。

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