14.絶剣の残影

 夜、人々が寝静まった深夜帯。

 【水晶宮殿】クランハウスの三階を音もなく密やかに進む影があった。

 その歩みに迷いはなく目的を果たすべく月明かりの射す廊下を進む。

 プライベートスペースとの境界となっている曲がり角を曲がると、その先にしなやかなシルエットの人影が立ち塞がっていた。


「止まれ」


 その人影――ローズは警告を発して小剣を構える。


「それ以上進めば……、ん?」


 薄雲のかかった月が晴れて光量が増すにつれ、対峙する人影の輪郭がはっきりとする。

 逆光ではあるが、その輪郭にローズは違和感を覚える。


「人間じゃない?」


 その人影は一見鎧を着た人間に見えるが、関節部分など人の鎧と異なるのがシルエットからも明らかだった。兜のように見える頭部など横方向のスリットが複数あるだけで、脱げる形状ではない。

 そして何より、ローズの目にはその手足が人とは異なるバランス、タイミングで動いているように見えた。

 その人ならぬ鎧は、ローズの姿を確認して止まると交渉の余地なく腰の長剣を引き抜く。


「ゴーレム」


 元より交渉などできぬ相手。

 場違いなそれの出現にローズは困惑する。

 ゴーレム。

 一口にそう呼ばれるものには三つの種類がある。

 一つ目は地上の魔物。瘴気や魔力が地表の物質や土中の鉱物に作用して魔物化したものだ。不定形のスライムのようなものから、自然石の寄り集まったもの、溶けた金属が集まったような形状まで多彩なものがある。その体を構成する素材によりクレイ、ウッド、ストーン、アイアンなどと分類されるが、もとより千差万別の不定形鉱物系魔物を大括りにしたものでしかなく、系統だった分類は存在しない。

 二つ目がダンジョンモンスター。ダンジョン毎に多少の差異はあるものの、同種のものは常に同一の形状、同一の素材、同一の大きさで現れる。ゆえに分類しやすく、前述のストーンやアイアンと言った素材による分類の仕方は、こちらを起源とする。

 三つ目は錬金術師の作り出した魔導人形。これも主要素材により分類されるが、作成した錬金術師により素材の構成や形状は様々である。

 今ローズの目の前にいるのはその三つ目、魔導人形であることは明らかだ。


「てっきりアンデットでも出てくるのかと思ったら、魔導人形とはな。死霊術師じゃなくて錬金術師じゃないか。いや、ただ使役するだけなら錬金術師とも限らないのか」


 ローズの独白にゴーレムから言葉による返答は当然なく、剣のみがその回答であった。

 その動きを見てローズは目を見張る。


「へぇ」


 長剣を用いながら、突きを主体とする構え。明らかに現在の周辺状況――狭い廊下に合わせた選択である。

 一般的に戦闘用魔導人形の最大の欠点は柔軟性の無さとされる。戦場や相手に合わせて戦い方を柔軟に変更することができず、指揮者の命令あるいは製作者によって与えられた戦法を愚直に実行してしまうのだ。単純作業を行う作業用魔導人形ならば長所となるものが、戦闘用では欠点となる。

 しかし、現在ローズの目の前にいる魔導人形は、少なくとも狭所戦闘に対応する柔軟性を見せてきた。それは、当然ながら狭所戦闘以外の様々なシチュエーションにも対応できることを示している。


「普通の魔導人形と見ては痛い目を見るか」


 ローズは気を引き締める。

 器用に摺り足で間合いを詰める魔導人形は、自らの間合いにローズが入ったと判断した瞬間、一歩前に出ると同時に鋭い突きを繰り出す。

 一呼吸(?)での三連突き。

 胸、頭、喉の順に突き込まれたそれを、流れるように躱すローズ。

 三連目が躱された瞬間、魔導人形は手首を返し手刃を水平にして、人ならざる手首関節の動きで長剣を水平に薙ぐ。

 下に沈んでそれを躱すローズ。

 さらに手首の動きだけで逆方向下側に袈裟懸け。

 瞬時の判断で後ろに下がるローズ。

 普通の人間が手首だけで剣を振ったところで、腰の入らない小手先の剣にしかなりえず、脅威にはならない。簡単に受けることができるだろう。

 だが魔導人形相手にその常識は通用しない。手首関節だけで、人間には不可能な力と速さを生み出す。故にローズは受けを選択せずに躱す選択をとる。

 敵が自分の長剣の危害圏内から外れたと認識した魔導人形は、連続攻撃を中断して構え直す。


「やり難いな」


 人形でありながら人間相手の戦闘の常識が通用しない。並の戦士ならば最初の攻防であっさり敗北しているだろう。

 だが、ローズはむしろ人ではない存在、ダンジョンモンスターや地上の魔物の専門家である。


「……試すか」


 呟きと共にローズの姿が消える。

 感情を持たないはずの魔導人形が動揺したようにわずかに震える。それは設計内の動作、そのいくつかの選択の高速な切り替えによるものであったのだが、そのような現象が起きること自体が設計者の想定を超えたことを示していた。

 魔導人形の剣を持たぬ左腕がぶれるように消える。

 いや、消えたように見えるほどの速度で動いた。


 キンッ!


 その背中に回った左手が、背後に回り込んでいたローズの致命の一撃を防ぐ。


「ちっ」


 左の掌が魔導人形の背中をかばって、ローズの小剣の突きを受けたのだ。小剣は掌を貫通したものの途中で止まり、魔導人形の背中には届いていなかった。

 魔導人形を仕留めきれなかったローズは、すぐさまバックステップで間合いを取る。


「防いだということは、やはり弱点は背中側か。それとも防ぐ動作自体が偽装? いや、考えすぎか?」


 この一瞬、ローズは狭所ゆえの利点、壁や天井を蹴ることで床と足の摩擦力を超えた力で、加速や方向転換を行て魔導人形の背後に回り込んだ。口で言うのは簡単だが、実行するのは著しく困難だ。その不可能事をローズはやってみせ、それにより魔導人形の反応速度を超えて背面攻撃を行ったのだが……


「しかし技巧に凝りすぎた。今のが通じるなら、それで手足の一本も斬り飛ばすべきだったな」


 そう言いながら構えなおすローズに応じるように、魔導人形は背中を向けたまま器用に構えをとる。と言うより腹と背中の区別が無いのだ。手足の形状や関節も前後どちらでも問題ない構造であり、振り返ることもなく先ほどと同様にローズに対峙する。剣を持っていた右手が今では左手扱いとなる以外大きな違いはなかった。

 ただし、先ほどまで空けていた左手――現在の右手が剣の柄に添えられる。


(両手持ち)


 その動きを見て剣を持ち換えるのかと思ったローズだったが、魔導人形が両手持ちに切り替えたことに気づく。

 魔導人形が両手で持ち直した長剣を正眼に構える。


「!?」


 その瞬間、ローズの全身が総毛立つ。

 先ほどまでの機械じみた、正確でそれでいて容易に先の読める動作が、まるで人間のごとく、あえて言うならば魂が籠ったかのように明確に切り替わっていた。

 その切り替わり直後から、目に捕らえるのも難しいわずかな手足や体重移動を不断に繰り返し始めたことに気づく。それは攻撃の予備動作そのものであり、ローズの戦士としての本能や修練に直接反応を促すかのような巧妙なものだった。

 ローズは無意識に近いレベルでそれらに反応してしまう。自らの身体能力を丸裸にされるような気持ち悪さを味わいながらも、それに抗うことが出来ない。

 焦燥が募るローズに対し、ひとしきりその反応を試した魔導人形が一度完全に停止する。それは、相手の力は十分に測り終えたと言わんばかりの沈黙だった。

 ローズの緊張が高まる。

 ゆらり。

 機械らしから滑らかな前進。滑るような一歩から突き出される一突き。

 速さだけを言えば最初に対峙した時の突きの方が早かったかもしれない。

 しかし、ローズは直感に従ってその突きを死に物狂いで躱す。……いや、躱したつもりだった。

 その瞬間、ローズは突き出されつつある長剣が曲がったように見えた。硬い金属であるはずの長剣が鞭のように撓り、軌道を変えてローズの顔面を追ってきたのだ。

 目の前に迫る冷たい死の気配を振り切るように、全力のバックステップで距離を取る。


「……!! ふう……、はぁはぁ……!」


 安全な距離を確保した後、ローズは忘れていた呼吸を慌てて再開する。思いのほか荒い呼吸となったことに驚きながら。


(今、死にかけた……)


 生と死を分けたのは最初の直感に従って死に物狂いで躱しに行ったことだ。最初の対峙のときのように、ただ避けただけだったならば、今ローズは生きていないだろう。

 魔導人形が前に突きだしていた長剣を引く。言うまでもなく長剣は曲がってなどいない。鞭のように撓ったのはローズの錯覚だ。

 感情のないはずの魔導人形が、不思議そうに小首をかしげる。まるで『仕留めたはずだったのに』と言いたげに。


「悪いがこっちは仕留められるつもりはさらさらないぞ」


 言いながら、不意に頬に生暖かさを感じる。剣先が頬をかすめていた。傷口から血の雫が流れ落ちるのを感じる。


「そういえば、この体になって血を流したのはこれが初めてか」


 慢心していたつもりはなかった。だが、能力が大幅に上がったせいか、危機感が大いに薄れていたのは事実だ。この魔導人形に対し、ローズ一人で対処しようとしたのがそもそもの間違いだったのだ。少なくともクロエを呼べば問題なく対処できたはずなのだから。

 しかし現実として今、ローズは明らかに自分より強い存在と一対一で対峙している。やはり慢心と言わざるを得ないだろう。

 恐怖と興奮、後悔と歓喜の入り混じった複雑な感覚。それはローズがここしばらく忘れていたものだ。

 そのようなローズの情動など知らぬげに、魔導人形は再びゆらりと前進する。

 斜め上段の構え。天井との距離を完全に把握したうえで、この場所、この状況で『彼』が放てる最高の一撃を繰り出すための予備動作。

 いっそ無造作にすら見えるその動きを見て、奇妙な確信がローズを支配する。

 自分はこの一撃を防ぐことが出来ない。


「!!」


 何の変哲もない鋼鉄の銀色。ローズがその刃に死を見出した、その瞬間。


 ギィィィィン!!


 魔導人形は側面に突然現れた四枚の光る盾に同時に横殴りにされ、壁まで吹き飛ぶ。

 その手から長剣が零れ落ち、甲高い音を立てる。


「ずいぶんと勝手なことをやってくれたようだね。まさかこの建物に侵入するとは……。ってあれ? それ、もしかして人間じゃない?」


 プライベートエリアへの曲がり角から姿を現したクロエが、壁際に吹き飛ばされた魔導人形を見て困惑する。

 と、立ち上がった魔導人形が落とした剣を素早く逆手に拾い、躊躇なくクロエと逆方向、ローズの方へと走り出す。


「あ、待てっ!」

「くっ」


 攻撃を躊躇するローズの脇をすり抜けた魔導人形は、脱兎のごとくと言う表現そのままに両手両足を駆使した加速で獣のように走り去る。

 慌てて追いかけて、階段を駆け下りたクロエとローズが見たのは、開け放たれたクラン正面玄関だけだった。魔導人形は既に人間では不可能な速度で走り去っていた。

 奇襲を受けたこともあり、深追いすれば待ち伏せを受けかねない。そもそも街中であの速度で逃げられれば、すぐに見失うであろうことは容易に予想できる。二人とも敵の逃走を見送るしかなかった。

 建物内を確認したところ他に侵入の痕跡はなく、どうやら侵入は正面玄関から堂々と行われたようだった。


「真正面から入られるとは、エリザベート何してんだよぉ」


 騒ぎに気づいたクランメンバーやベルたちが、一階へ降りてくる。


「一応確認しておくけど、玄関の施錠はしたよね?」


 【水晶宮殿】クランハウスには門限がある。その門限の確認と玄関の施錠は、現在ベルの担当になっている。


「昨夜はコリアンナさんが門限ぎりぎりで入った後、すぐに施錠しました」

「あ、確かに施錠したの見ましたよ」


 ベルの言葉をコリアンナ本人が補足する。

 クロエが試しに玄関の扉を閉めて施錠すると、防御結界が正常に発動する。

 つまり防衛機構が破壊されたわけではなく、何らかの方法で開錠して突破されたようだ。


「ベスの作ったセキュリティを正面から? そんなことがあり得るのか?」

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