12.予兆

 オーディルは周囲に七つのダンジョン――今では六つだが――を有し、多くの冒険者が滞在する。彼らが街とその周辺のダンジョンを行き交い、地上の魔物はついでとばかりに増える暇なく討伐されるため、魔物の生息密度は他の地域に比べ著しく低い。

 結果として冒険者ギルドの魔物引き取り・解体スペースは、他地域の冒険者ギルドより明確に暇な部署と化している。

 その暇なはずの部署がにわかに騒がしい。


「どうした?」


 ここ数日ダンジョン消失事件で忙しく走り回っていたギルドマスターのシルトは、ようやくそれがひと段落したことで、しばらく見て回れていなかったギルドの各部署の様子を見て回っていた。そのマメなところが職員からの支持が厚い理由だろう。

 シルトの声に慌てた様子の部署の職員が気づく。


「あ、ギルマス! これを」


 彼が指さしたテーブルの上には、三本の角のような牙のような長く尖ったものが置かれていた。根本が血に濡れており、ダンジョンの産品では有り得ない。明らかに地上の魔物から切り取られた素材だ。

 それを見てシルトが眉を顰める。


「トライデントボアか?」


 それぞれ左と右に捻じれた二本の牙と、真っ直ぐな額の角、その三本を突き出して突進する大型の猪型魔獣だ。

 危険度はC級であり、それだけ見ればそこまで危険性は大きくない。しかしその実際の危険度はランクでは測り切れないところがある。

 その速度と防御力に対応できる実力者ならば、単調な攻撃を躱して危なげなく倒せるのだが、逆に対応できない者は逃げることすら敵わず一方的に殺されかねないのだ。C+と独自のランク付けを行っている地域もあるほどである。


「この街にいて初めて見たぞ。誰が……いや、どこで討伐されたんだ?」


 そのタイミングで解体スペースに入ってきた人影が、シルトに気づいて声をかけてきた。


「あ、シルト」

「ロ、じゃなくてローズか」


 一瞬ロイズと言いかけて言い直すシルト。職員が不思議な顔をするのを気付かないふりで無視する。


「ひょっとしてお前が?」

「ああ、東街道を少し進んだ所で今朝がた討伐した。さすがに本体は重過ぎるから置いてきたが」

「それで回収準備で珍しく忙しそうにしてるのか」


 角の先を掴んで持ち上げてみる。かなり重い。本体も大物だろう。


「この街でこんな大物は珍しいな」

「一応周囲を確認したが、他にはいなかった」


 ローズがいなかったというならば、当面の危険はないだろう。シルトはそう判断して、警戒態勢は見送る。

 ただし一応掲示板に情報は掲示しておくべきだろう。大物の魔物は別の魔物を呼び寄せる場合があるというのが、冒険者間の通説だからだ。

 ちなみに魔物が意識して呼んだり呼ばれたりするというよりは、魔力なり瘴気なりによって引き寄せられるという方が正確らしい。


「まぁ、C級ならそれほど厄介なことにはならんか」

「んー」

「……どうした?」


 どうにも歯切れの悪いローズの様子をシルトがいぶかしむ。


「あのトライデントボアだが、むしろ呼び寄せられた方の気がするんだ」

「は? B級とかの報告はないぞ?」


 一般的に『呼ばれた』側の魔物は『呼んだ』側の魔物よりランクが落ちる。

 C級が呼ばれたならば、A級かB級か、最低でもC級の上級と言うことになる。


「確信はない。ただ、そのボアは最初から走っていたんだ。暴走状態に見えた」

「誰かと戦っていたわけではなく?」

「周囲に戦闘の痕跡はなかった」


 確かにそれは妙だった。

 ボア系の魔物が暴走状態になるのは、通常何等かの興奮する要因があったときだ。

 その要因の一つとして『呼ばれた』時がある。


「まぁ、元々の生息地で戦闘があって、そこから暴走したままオーディルに向かっていたという可能性もあるけど」

「距離長すぎだろ」


 ボア系の突進はそこまでの長距離を持続できないとされる。もっともあくまで経験則であり、ボア系の魔物で突進の持続距離を検証した研究などないので断言もできないのだが。


「なら、オーディルに何か潜んでいる?」

「おいおい、やめてくれよ」


 人の街に気づかれずに潜む魔物など、絶対にろくなものではない。

 ダンジョン消失だけでも大事件なのに、さらに面倒が降りかかってくるなど考えたくもない。矢面に立たされ、かつ後処理に奔走することになるのは冒険者ギルドマスターのシルトであることは間違いないのだから。


「……」


 そこで、ふとローズの頭によぎる記憶があった。

 数日前に街に入ったどこぞの王国の領軍と強烈な殺気。


「いや、流石になぁ」


 帝国諸侯が魔物に類するものを帝国直轄領の街に持ち込むなど、謀反を疑われかねない暴挙だ。常識的に考えればあり得ないだろう。だが妙に引っかかる。


「ふむ……。ところでお前、まさか二人同時に手を出すとはな」

「ぶっ! な、なに言ってるんだ」


 言葉にするまでもなく、三人の婚約の事だろう。そのうちの一人であるノイアはシルトの娘だ。ここ数日忙しかったといっても、娘からの重要な報告を聞けないほどではなかった。


「俺から煽っておいてなんだが、……何とも複雑な気分だな」


 これでローズが以前の男の姿であったのならば、素直に男親として腹を一発殴るくらいで納めるところであるが、今のローズ相手ではそういうわけにもいかない。

 やっとかという思いと、女同士になっていることに対する複雑な気分で、シルトとしてはどう評すべきか困るところであった。

 あまつさえ、同時にクロエとも婚約と来た。ここまでくると本来なら腹一発では済まない所だ。シルトとしては、意味が分からな過ぎてかえって冷静になれたという面があった。


「煽ったって、お前のせいか!」

「馬鹿野郎、こういうのを他人のせいにすんじゃねぇ。周りから何言われようが全部自分たちの決断、自分たちの責任だろうが」

「ぐ……」

「ってかよ、お前が男のままだったらボコボコにしてるとこだぞおい」

「うう……」


 全く反論の余地がなかった。


「まったく、ダンジョン行ってる場合じゃねぇだろ」

「いや……、そうなんだが……」


 相変わらず現実逃避的にダンジョンへ通っているローズだが、半分は以前からの習慣もある。

 しかし、そろそろそんな言い訳も通用しなくなってきている。相手の二人の我慢も限界があるのだ。


「最近の流行は指輪か? 昔はネックレスとか腕輪だったが」

「……一応明日、一緒に見に行くことになっている」


 婚約の証としてアクセサリーを交換するのは古くからの習慣である。どのようなアクセサリーを贈るのかは、時代により移り変わっている。


「いよいよ年貢の納め時ってわけだ」

「既に書類にサインは入れてるけどな」

「……婚約を書面でって貴族かよ」

「ノイアに言ってくれ」

「流石は俺の娘か」


 シルトが肩をすくめて執務へと戻る。

 ローズも後を職員に任せ、帰ろうと出口へ向かう。

 廊下から冒険者のたむろするフロアに出たところで、横から声を掛けられる。


「おい、黒鉄」

「……なんだ?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、かつてやりあった盗賊ギルドメンバー、ガロアが腕を組んで壁にもたれかかっていた。

 クロガネとはおそらく自分の事だろう。その綽名の表現が妙にしっくりくることに少し面白みを感じるローズ。

 そんなローズの内心など知らぬガロアは、一方的に自分の要件を告げる。


「お前ら今度は何に手を出した」

「何の話だ?」


 ローズがいぶかし気な目を向けると、ガロアがフンと鼻を鳴らす。


「最近お前らの周辺を嗅ぎまわっている奴らがいる」

「……へぇ?」


 ガロアは一時ローズ達と敵対していた。それがわざわざ忠告してくることに、ローズは疑いの目を向ける。


「一応お前らには借りがあるからな」

「ふぅん? だがウチの情報を嗅ぎまわる奴なんて、いくらでもいるだろう」


 クラン【水晶宮殿】は多くのクランが乱立するオーディルでも目立つクランだ。肯定的にしろ否定的にしろ、その情報を欲しがる者は多い。


「死臭だ」

「は?」

「嗅ぎまわってるネズミからな、死臭がしたんだよ」

「……それはどっちの意味だ?」


 この世界で『死臭』と表現されるものは主に二つある。

 ひとつは、死に近い者――例えば暗殺者や殺人鬼――が纏う死の雰囲気。

 もう一つは文字通りの死臭。


「もし死霊術士あたりに心当たりがあるのなら気を付けることだ」


 つまりガロアの言う死臭とは後者の事だということだろう。

 ガロアは用は済んだとばかりに歩み去る。

 残されたローズは遠い目で独り言ちる。


「ふう、なんか繋がってきたな。こちらには無関係だと信じたかったんだが……」

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