11.道中閑話

 オーディルの遥か北、花の帝都の第三騎士団詰め所前。

 第三騎士団長ワルターは早朝から旅の準備を確認しつつ、不在時の対応を部下に指示していた。それがひと段落したところで、いつの間にか傍らに立っていた女官長に気づく。内心驚いていたのだが、表に出すだけ損とばかりに平然を装って話しかける。


「昨日の今日ですが、本当によろしいのですか?」

「問題ありません」

「長旅になりますが」

「……」


 ワルターは女官長の服装を眺める。

 女官長の服装は昨日と同じ、つまり高位女官の制服のままだ。

 いくつかバリエーションがある中で、比較的身軽な服装、現場に出る機会がある者の制服だ。後宮で皇族に仕える侍女らの服装と比べればマシではあるが、一般的に言って旅をする服装ではない。

 ワルターの視線など気にせず、女官長は逆に問いかける。


「そちらこそご都合はよろしいので?」

「我々も一応は軍人ですから」


 一朝事あらば即座に動かねばならないのが騎士だ。雑事担当の第三騎士団ならばなおさらのこと。


「それは重畳」

「本当に騎士団から出すのは四人で良いのですか?」

「目端の利く者が揃っていれば問題ありません。実行力は期待していません」

「はぁ」


 ワルターと女官長が黒塗りの帝室紋付馬車に乗り、同行の四名は騎乗でそれに付き従う。途中、適宜馬を交換しての七日ほどの旅路となる。

 馬車の中で男女二人きりということに、ワルターとしても思うところがないではないが、あからさまに人外の匂いのする相手に何かあるとも思えず、気にするだけ無駄だろう。


(人外か)


 人類四族、人族、エルフ、ドワーフ、そして獣人族。

 それらに当てはまらない人型の存在を帝国では『人外』と言い慣わす。

 竜人コルブロ。

 悪龍ヴェスパ。

 嵐精カーチェルニー。

 吸血鬼の真祖達。

 そして、帝国の守護龍。

 そのいずれも、国の存亡を左右するような存在だ。

 歴史上幾例か報告されつつも、中には実在を疑問視されるものもある。


(まさか本当に帝国の守護龍だとでもいうのか?)


 帝国の守護龍。それは初代皇帝にまつわる伝説上の存在だ。

 建国の功臣、あるいは八賢人とも呼ばれる歴史上の偉人たち。その中でも謎多き一人と比定される存在。

 その名前は確か……


「女官長殿」

「なにか?」

「私はあなたのことを何とお呼びすれば良いのでしょうか?」


 女官長と呼び掛けておきながらの質問。その意図は明らかだろう。

 微かにほほ笑む女官長の瞼が、薄く開かれた気がした。


「ウルスラとお呼びください」



―――――



 帝都からオーディルまでは馬車で七日ほど。季節によっては河船で幾日かの短縮が可能であるが、今は季節柄風待ちでかえって時間がかかりかねない。逆方向なら季節によらず川の流れが期待できるのだが。


「……」

「……」


 街道上を軽やかに進む馬車内はすこぶる快適であった。最高級のサスペンションが揺れを吸収し、一級品の内装、座席のクッションが乗客へ伝わる不快な振動を可能な限り相殺する。

 それらは馬車を引く馬への負荷をも軽減し、望み得る最高の速度を実現する。とはいっても徒歩よりいくらか早い程度であるが。

 随伴する護衛兼随行員である四騎の騎士団員が乗る馬も年若い駿馬であり、問題なく馬車に追従している。


「……」

「……」

「あの」

「なにか?」


 馬車内の沈黙に耐えられず、ワルターが口を開く。

 ワルター自身は沈黙を苦としないが、相手が明らかに会話を求める雰囲気を出しているのだ。瞑ったままの目で見詰められるというのは稀有な体験だった。


(話があるならそっちから会話を振ってくれよ……)


 そう思いつつも口には出せない。


「女官長殿は……」

「先ほど名を尋ねておきながら、ウルスラとは呼んで下さらないのですね」

「それは……」

「構いませんよ。呼びたいようにお呼びください」


 明らかに面白がっているウルスラに内心辟易しながら、ワルターは自身の疑問点をぶつける。


「此度のダンジョン消失の件、女官長殿が対応するほどの事態であるというのは、どういうことなのでしょうか」


 帝国の建国伝説において、ウルスラの名は初代皇帝ロラン一世に進むべき道の示唆を与え、教え導いたとされる賢者の名だ。偶然の一致ではないだろう。

 その本性は善なる天龍の一柱であり、悪龍ヴェスパと対峙したというおとぎ話のような話もある。歴史学者は一笑に付しているが。

 だが、ウルスラと直に対峙したワルターには、それが少なくとも事実の一端を示すものであることを確信していた。であるならば、今ウルスラ自らが動いているダンジョンの消失事件がそれだけ重大な事態であるということだろう。代々の第三騎士団長に申し送りされてきた、最重要事項であるということもそれを補強する。


「そんなものはどうでもよいのです」

「は……」


 ワルターとしては非常に重大な質問をしたつもりだったのだが、ウルスラに一刀両断されて絶句してしまう。


「道中は七日もあります。その間私の無聊を慰めるのがあなたの役割です」

「……と言いますと?」


 帝国の騎士団長を捕まえて暇つぶしの相手をせよとはどういうことなのか。


「聞くところによるとワルター殿のお家は没落寸前であるとか」

「……」


 事実であった。

 ワルターの家――ヴィンタール伯爵家は、先々代から身の丈に合わぬ奢侈や商売の失敗により、借金を積み重ねもはや領地の正常運営すらままならぬ状態に陥っていた。

 何しろ徴税権の半分を借金のカタに差し押さえられているのだ。残りの半分もその大半が利子の支払いにあてられ、残りで領地の街道や橋の修繕――領主としての最低限の義務――を辛うじて行っている状態だった。

 もう一つの義務である軍務に至っては、わずかな治安維持要員を残して、事実上放棄状態。先代死去時の事情から特別に免除を言い渡されてはいるが、平和な今の時代でなければ即取り潰しとなっていてもおかしくない。

 ワルター自身、子供のころから伯爵家の嫡男とは思えない生活環境で、将来の自活のために騎士を目指し、当主となった今もそこらの男爵家の方が裕福な生活を送っているくらいだ。ちなみに、そのような家に嫁入りする物好きはおらず、騎士団長と言う要職に在りながら未婚である。


「まずは先々代の頃から、没落に至る経緯をお話し頂こうかしら」

「は」


 臆面もなくワルターの家の恥部を抉るような要求をするウルスラに、怒りを通り越して呆気にとられるワルター。


「……」


 長い溜息をつき、観念したようにヴィンタール伯爵家の没落に至る物語を語り始める。


―――――


 ヴィンタール伯爵家の没落の契機はよくあるものだった。先々代の当主であるワルターの祖父の浪費癖である。

 その浪費が美術品など形に残る物に向かえばまだ救いようがあったかもしれないが、祖父の浪費は狩猟会や夜会、希少な食材、名酒、他家への贈答品など、消えモノへ向かう傾向が強く、物としてはほとんど残ることがなかった。

 代わりに他家とのコネクション等と言った目に見えぬ遺産は残ったのだが、むしろそれが後にさらなる災いを招くことになる。


 その浪費癖のある当主の元、金策に駆けずり回り苦労したのが次代、ワルターの父親コンラートであった。先々代が浪費に見合った不摂生により早世した後、コンラートは自家の財政立て直しのため、様々な事業に手を広げる。

 だがコンラートには致命的なほど商才がなかった。ついでに運の無さも極め付きだった。

 ほんの数年。統治者としては一区切り程度の期間で、ヴィンタール伯爵領の特産だったワインの評判は地の底へ沈み、領民の多くが路頭に迷い、伯爵家の借財は先代の十倍を超え、敵に回った貴族家は両手の指に余った。

 ワルターが物心つく頃にはヴィンタール家の生活水準は、高位貴族とは思えないほど低下しており、少年ワルターは伯爵という位が貴族の末端であると誤解していたほどであった。

 その窮状にコンラートは起死回生として、帝国の古くからの懸案事項の解決による恩賞を狙った。

 すなわち――


 嵐精カーチェルニーの討伐。黄昏の海域の解放である。


 中央大陸南西部に浮かぶ島々。黄昏の海域と呼ばれるその地は、永遠に途絶えぬ暴風雨に閉ざされ、かつて半島であったというその地を人の住めぬ不毛の地と化していた。

 三百八十年前に突如出現し、その暴風雨を生み出す原因となった存在こそが、人の天敵の第二位、詩人が詠うところの【明けぬ夜】――嵐精カーチェルニーである。

 カーチェルニーは西海を航海する船をも襲うため、西大陸との連絡も途絶して久しい。その西大陸植民地との連絡再開は、その植民の主役であったエルフ諸族にとっても長年の宿願である。


 つまり、カーチェルニーの討伐に成功すれば、かつて三つの小王国が栄えていたという有望な土地が解放され、全エルフの歓心を買うことが出来、西大陸との交易も再開できるということになる。

 それぞれ一つだけでも莫大な報酬と称賛が得られるであろう世界的な懸案事項を、同時に三つも解決することが出来るのだ。もしそれを成し遂げたのならば、ヴィンタール家の窮状など笑い話になるほどの富と名誉が、自ずと舞い込んでくるであろうことは疑いなかった。


 ただし、これまでにも幾多の英雄、豪傑がカーチェルニーに挑み、敗れてきた。コンラートがそれを成せる可能性など、普通に考えれば無きに等しい。

 だが、コンラートは弁舌の才があったようだ。巧みに高ランク冒険者を口説き落とし、当時まだコネクションを維持していたいくつかの高位貴族の支援を獲得し、討伐隊を結成するに至る。

 さらに自ら討伐隊に同行することでその覚悟を示し、意気揚々として出陣して――ただの一人も戻らなかった。


 二百名にも上る参加者に約束されていた死亡・行方不明時の補償金が、そのままヴィンタール家の借金に加算され、それを建て替えた商人にはそれまで積み重ねていた借金と合わせ、その返済担保として領地の徴税権、そのおよそ半分が奪われ、ただでさえ破綻気味だった領財政は完全に破綻する。完全無欠の没落貴族の完成である。

 幸いというべきか、幼少期から危機感を抱いていたワルターは騎士試験、従士任官、騎士任官と実力で順調に立身を遂げ、若くして第三騎士団長の地位を得ることになる。

 財政破綻したヴィンタール伯爵家が取り潰しになっていないのは、帝国政府から最低限の援助と軍役等の各種義務を免除されたためである。これはカーチェルニー討伐という大きな挑戦を行った貴族を無慈悲に取り潰してしまっては、その後に続く者が誰もいなくなってしまうことが懸念されたためだ。

 かくして帝国で最も伯爵らしくない伯爵にして、最も実務経験豊富――職にしがみ付いているとも言う――な騎士団長ワルターが誕生することになった。


―――――


「このようなつまらない話で良かったのですか?」


 ヴィンタール家の三代に渡る没落の軌跡を語り終えるのに、旅程の半分が費やされた。

 どちらかと言うと口下手なワルターが、滑らかな語り口でそれを語ったことにはワルター自身が驚いていた。

 あるいはウルスラが何かしているのではと勘繰ったりもしたのだが、ウルスラ本人に否定された。曰く「そのつもりがなくとも鬱屈したものがあったのでしょう」とのことだった。


「非常に満足しました。宮廷内のどろどろとした政治闘争には食傷気味だったのですよ。この種のさっぱりとした悲喜劇が丁度良いくらいです」

「さっぱり」

「出来れば目の覚めるような立身出世物語があれば良いのですが、今の時代はなかなか」

「はぁ」


 ウルスラが舌でぺろりとなまめかしく唇を舐める。


「二十年前のカーチェルニー討伐隊全滅の背景、概要は把握していましたが当事者から話を聞くと違った印象がありますね。視点の違いの重要性を改めて感じました」

「……」

「そういえば、カーチェルニー討伐はエーリカやサーリェも悲願としていましたね」


 エーリカとは現エルフ女王の名であり、サーリェはその妹の本名より有名な愛称である。どちらも世間で非常に人気のある歴史上の有人物であり、エルフゆえ存命とされる。ただし、サーリェは行方不明のため実際のところは不明だ。


「サーリェ……、硝子瓶の聖女殿ですか」

「聖女……本人的には不本意なのでしょうが、完全に定着してしまっていますね。有名税というものでしょうか。

 そうそう、あの子は今オーディルに居ると言う噂もありましたか」

「え!?」


 初代皇帝の友人にして建国の功臣、庶民にも人気の聖女サーリェがオーディルに。

 驚きのあまり動揺するワルターの様子など気にならぬように、ウルスラは何か思い出したのかうっすらと微笑む。そして閉じたままの瞳で窓の外を流れる緑の草原の海を眺める。


「あの子も今頃何をしているのやら……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る