10.注目の人は

「えーと、ちょっと考え直さないか?」


 翌朝、朝食の席。

 前日のふわふわした気持ちが落ち着いて冷静になったローズが、ノイアとクロエに問いかける。


「考え直すとは?」

「あの、私が、二人と結婚する、という……」


 既にサイン済みの婚約を再考するというのはなかなか言い出しづらいものがあるようで、ローズも歯切れが悪い。


「この期に及んで……、そんなに私と結婚するのが嫌なんですか……!?」


 ノイアがショックを受けたように目を見張る。目じりには涙を浮かんでいた。


「いや! 決してノイアが嫌だとは思っていない!」

「でも私なんて、クロエさんと比べたら容姿も劣りますし……」

「いやいや、むしろ私にはもったいないくらいの美人だよ! 冒険者ギルドの受付になったときは、それこそあちこちで噂されてたくらいだし。あり得ないほど美人の新人受付嬢って」

「でも、ローズさんにとっては……」

「私にとってもだよ。パリッとした制服姿に凛々しさと初々しさが同居して思わず目を見張ったものだった。友人の子供じゃなく年齢も近ければ、彼らと同じようにお近づきになりたいと思っただろうな、って当時は思ったくらいだし」

「そ、そうなんですか?」


 わざとらしい演技でローズを焦らせておきながら、思わぬ反撃を受けて顔を赤らめるノイア。

 その様子を真顔で眺めていたクロエが口をはさむ。


「ま、今は同志だからいいけど……。えーと、何が不満なんだいローズ。私から見てもノイアは滅多にいない優良物件にみえるよ? 容姿、能力、人格。親も名士だし。あと家事とかも。この朝食とか」

「それは……」


 ローズが懸念している事。

 この国の法律で一夫多妻が認められるといっても、それは王侯貴族の側室制度や一部地域の特殊な慣習を尊重するための法律であり、一般庶民の慣習はまた別であるということだ。

 一般的に庶民は一夫一婦での婚姻が好ましいとされている。庶民で複数の妻を娶るのは、色狂いの成金お大尽、もしくは逆にプラス方向に突き抜けた善人やカリスマ的人物と言うのが相場だった。


「ローズの場合は結構特殊事例だし、例外にしてもいいんじゃない?」

「そうだろうか? もしそうだとしても世間に言い訳して回るわけにもいかないだろう」


 男から女になった。でも実は女が正しい性別だった。でも男として育ったので女が好きです。あとその辺りがごちゃごちゃした結果貯金が凍結されたので、相続でごにょごにょして取り戻すために結婚します。

 こんなことを説明されても意味が分からないうえに、法的にグレーな行為まで混じっている。とても公言するようなものではない。


「それをいうなら同性婚自体が人族ではあまり好ましいとされてないんだろう? もう毒食わば皿までってやつじゃないかな」

「う……」


 ローズの反論の勢いがなくなる。

 最大の理由はやはりクロエとの婚姻を内心歓迎しているためだろう。

 それが、同性婚や一夫多妻への抵抗感とせめぎ合っているのだが、その抵抗感を遺産の件や『毒食わば……』などと言う屁理屈と合わせて薄めさせている。今のローズに必要なのは言い訳なのだ。

 クロエと単婚しては? という疑問については、さすがのローズもこれまでの流れで、クロエだけ受け入れてノイアを拒絶というのは口にするのは難しい。

 ノイアとクロエが同盟を組んで、すでに合意しているらしいというのもある。


(陥落間近だね)

(今朝になって思い直してくるかもと、理論武装しておいてよかったですね)


 昨晩のうちに打ち合わせ済みだったクロエとノイアは、アイコンタクトを交わして頷く。


「もうあきらめて。三人でラブラブ。らぶらーぶ」


 ご機嫌なフラムが半分浮き上がりながらトーストを咥えている。それを見てマリーが「ふふふ」と微笑みながら給仕を続ける。


「……」


 不満気でありながら嬉しそうでもあるという複雑な表情のローズが、諦めてすべてを受け入れるのはその数分後だった。




「あ、そうだ」


 食後のティータイム。三人+一人がふわふわした気分(若干一名は物理的にふわふわ)でいたところに、ローズが思い出したように呟く。昨日街に戻ったときの殺気の件を思い出したのだ。

 ローズとしては気になる懸案事項が次々と積みあがっているのに、個人的な事情で色々と頭から吹き飛んでいる気がして、若干落ち着かない。というか、具体的に何が懸案事項だったのかすら頭から飛び気味なのだが。

 とりあえず思い出せたものを簡単に報告する。


「レオン王国?」

「レオンかどうかは分からない。確かなのは旗竿に青飾りってだけだな」


 ローズとしては直接的に何かあったわけでもなく、フラムの件同様、現状ではどうしようもないため、一応耳に入れておこう程度のつもりだったのだが……


「何か心当たりでもあるのか?」


 予想外に難し気な顔になるクロエの反応に少し驚く。


「レオン王国ねぇ、実はベスとちょっと因縁あるんだよ、あそこ」

「エリザベートと?」

「ちょっと昔に喧嘩したらしくてね」

「喧嘩?」

「……王宮を吹っ飛ばして、王様の首をちょんぱしちゃったらしい」

「……は?」


 ちょっとどころではなかった。


「それはもはや戦争と言わんか?」

「まぁ……大変なことになったらしいね」


 予想外の情報に、ローズは頭を抱える。


「それって確実にこっちに飛び火するじゃないか」

「そうでもないよ」

「ん?」


 意外と気楽そうに言いながらお茶を楽しむクロエ。ローズはそれをじとりと見詰めるが、クロエはその視線を受けつつも悠々とした姿勢を崩さない。


「何しろ百五十年も前の話だ。人族としてはもはや歴史だよ。今更どうこうという話になるとは思えないね」

「なら、私が感じたあの殺気は?」

「んー、それはわかんないけど」


 マリーにおかわりを頼みつつ、クロエは腕を組む。


「ま、今のところは材料がなさすぎる。考えたって仕方ないね。何もなく通り過ぎるだけになるんじゃないかな?

 そもそもなんだけどさ、うちのエリザベートがレオンの昔の王様を殺したエリザベートだってのは、ばれてないはずだよ。この街で百年活動してるけど、今まで向こうからの接触もなかったし」

「そうなのか?」


 【水晶宮殿】のエリザベートと言えば、かなり有名な冒険者である。ばれてないというのがいささか信じられない。

 ただ、『エリザベート』という名前がエルフ女性としてメジャーなもので、めずらしくもないということもあり、本名で活動しているにもかかわらず百年も接触がないというなら、実際にばれていないのだろう。

 だが、今回彼らがこの街を訪れたのが偶然とも思えない。


「まぁ、これ以上は考えても無駄か。あー、あとフラムの件で思ったんだが」

「ん?」

「みゅ?」


 紅茶にお茶請けのラスクを浸していたフラムが、自分の名前に反応する。


「会話が通じるようになったなら本人から聞けばいいのでは?」

「おおう、それは盲点」


 そりゃそうだと言いながら、クロエは改めてフラムを見る。

 身長はベルと同じくらい。容貌も合わせて、そろそろ大人の仲間入りするくらいの年齢、人族なら十四~五歳くらいに見える。耳は丸く明らかにエルフではない。

 容姿は単純に美少女と言っていい。そこら辺の主婦なら将来うちの息子の嫁にと言いそうな、安心感を与える容姿だ。

 ふわふわの髪は乳白色。腰まで長さのそれが自然に広がり、光をはらんでいる。それだけでも常人離れしているのだが、頻繁に宙に浮きあがっているため、あからさまに人外である。ただし、その異常性を認識できている者は極わずか、今のところローズとクロエだけである。

 認識できる理由としては、エルフだからという仮説も成り立つが、初日に街中でエルフとすれ違っても反応がなかったため、その可能性は低い。今のところは不明である。

 ダンジョンの消滅と同時に表れたことから、伝説の天龍という可能性もあるが、そもそもダンジョン=天龍の蛹説が何ら確証のないものであり、仮説の域を出ない。

 もっとも、もし天龍でないならば、もはや何の手掛かりもないのだが。


「フラム」

「むん?」

「君は一体何者なんだい?」


 クロエの直球の問い掛けに、コテンと首を傾げるフラム。


「フラム、はフラム……です?」


 問い掛けの意味が分かっていない雰囲気がある。


「なら、君は天龍なのか?」

「てんりゅー?」

「ここに来る前はどこにいた? ダンジョンにいたのか?」

「だんじょん?」


 問いの意味が理解できていない雰囲気がある。演技とも思えない。


「……フラムが天龍だとしたら、『天龍』『ダンジョン』みたいな人の作った単語は通じないんじゃないか?」

「でも言葉は通じてるよ?」

「それはそうなんだが……」


 むむむと唸って、クロエは質問の方向性を変えることにする。


「……なぜ宙に浮いてるの?」

「……?」


 そこで初めて反応が変わる。

 きょろきょろと周囲を見回すフラム。

 初めて気づいたというように目を見張って、宙に浮くのをやめて椅子に腰を下ろす。


「みんな、ふわふわ、しない?」

「しないね」

「しないな」


 その返事にしゅんとして居住まいをただすフラム。


「失敗。私、傍観者になる。だから、人の中で目立たない。これ大事」

「傍観者?」


 フラムは殊勝そうに、こくこくと頷く。


「人の物語を眺める。今注目なのはローズ。がんばれ」

「私?」


 自分の名前が出たことで戸惑うローズだったが、そこで一つ思い出したことがあった。

 天龍の蛹が求めるもの。それは人が紡ぐ物語。

 かつてクロエから聞き、自身もユキやマリアにそう教えたのだ。

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