9.挟撃
「はぁ」
自己嫌悪のため息。
時刻はそろそろ夕刻。ローズは西へ傾いていく太陽を追いかけるように、重たい足を引きずって家路を急ぐ。
前後には同じような冒険者たちがぽつぽつと見受けられる。
前方で嬉しそうに戦利品の話をしているのは、まだ経験の浅いパーティーだろう。ベテランは注目を集めて余計なトラブルを招かないよう、成果に関わらず冷静にふるまうものだ。
ゆえに逆にどんよりしている者も大抵初心者ということになるのだが、背負い袋をパンパンにしながらどんよりしているローズは、何と称すべきであろうか。
「こういう日に限って、やけに調子が良いのはなんなんだろうな」
昨日のノイアの求婚にどう答えればいいのか分からず、朝からダンジョンに逃げた。
最低の行動だという自覚はある。
だがどうしても真正面から立ち向かう勇気が出なかったのだ。
「一月前まではこんなんじゃなかった気がする」
どうも精神が体の変化に引きずられている。
「というより、枷が外されたというか、箍が外れたというか……」
自分の精神が若いエルフ女性であることを自覚せざるを得ない出来事が重なった結果、三十八年の人族男性としての人生で培った、あるいは己を規制していた枷が、あっけなく砕け散ってしまったという自覚が実はある。
それまでは、男だから大人だからで我慢できていたもの耐えていたものが、我慢する理由を失ったことにより、耐性が著しく低下しているのだ。
例えば甘味への誘惑。
例えば趣味の小物集め。
逆に言えば、これまでそれだけ無理をしていたとも言える。
そう自己分析しつつも、ローズはかつての『人族の男として成熟した自分』も諦めきれないでいた。それにこだわる意味はもはや完全に失われていたのだが、こればかりは理屈ではなかった。
ゆえに自身の現状――今朝逃げてしまったこと――に限りなく落ち込んでいた。
「それなりに大人になったつもりだったのになぁ……」
戻ってノイアに何というべきか。受け入れる? 拒絶する? どうすべきなのか。
思考がぐるぐると迷路を彷徨っている。
結論の出ないまま、とぼとぼと歩き続けていると、いつの間にかオーディルの市門が見えてきていた。
心の中でこの日何度目になるかわからないため息をつきつつ、通門手続きの列に並ぶ。
やけに混雑している。いつもなら列などほとんど出来ないはずだった。
「?」
列の先の方には何やら目立つ集団が通門手続きを取っていた。冒険者ならほぼフリーパスなのに、逆に高貴な身分のほうが手続きに時間がかかるのが冒険者の街オーディルだ。帝国直轄領であるため、武装した貴族の一団などは警戒対象になってしまうのだ。
「どこぞの騎士団か?」
「貴族らしいぞ」
「めんどくせぇなぁ」
先に並んでいる冒険者の会話を聞きながら、列の脇にひょいと首を出す。辛うじて、豪華な馬車や騎乗の武装兵、そして彼らの掲げている隊旗が見えた。
(旗竿の先に青。ってなんだっけ?)
帝国の正規騎士団は旗竿の先に赤い飾りをつけている。同様に貴族の騎士団(正式には領軍であり騎士団ではないのだが)の隊旗には、爵位に応じた赤以外の色飾りをつけることが許されている。
冒険者としてはベテランであるローズも、流石に貴族の隊旗の意匠や色の対応までは把握していない。
(青は公爵……、いや王国だったか?)
帝国諸侯にはその最高位として四つの王国が存在する。
そのうちオーディルに最も近い王国は、
「レオン王国?」
その瞬間、ローズの全身が総毛立つ。
反射的に飛び退り構えをとる。
叩きつけられたのは強大な夜のイメージ、そしてかつて地上の魔物である年経た火竜と対峙した時のような殺気と悪寒。
本能的に抜剣しそうになったのを辛うじて耐える。こんな場所で剣を抜いたら騒ぎになる。
「どうした嬢ちゃん」
「毛虫でもいたか? がはは!」
周囲の冒険者に笑われるが、ローズはそれどころではない。気持ち悪い冷や汗が背中を伝う。
その殺気はほんの数秒で収まる。
ローズは一息ついて、構えを解く。
周囲の冒険者たちはその殺気を感じ取れなかったようで、ローズの行動を不思議に思いつつも、それ以上は追及してこなかった。時々いる妙な冒険者とでも思ったのだろう。
列が再び動き出す。
「……最近似たようなことがあったな」
周囲は異常を感じ取れず、ローズを含めた限られた者のみが異常を認識する現象。
もはや嫌な予感しかしないオーディルの街、帰らないという選択肢のないローズは顔を顰めるのだった。
クランの正面入り口の扉をそっと開いて、中を覗き込むローズ。裏口もあるにはあるのだがセキュリティ上、鍵がないと出ることはできても、入ることができないようになっている。
「なにしてんのさローズ」
それを見とがめたベルの声にびくっとする。
執事服のベルが入口傍の受付で頬杖をついている。見るからに疲労困憊という体で、片耳がへにょりと伏せられている。
「……気を抜いてるとカリカさんに叱られるぞ」
「文句はお姉さま方に言ってよ……」
そう言うと顔を伏せて、カウンターに突っ伏する。
どうやら先ほどまで、クランメンバーにおもちゃにされていたらしい。
ここでいうおもちゃ扱いとはベルを相手にした鍛錬の相手から、着せ替え人形扱いまで多種多様なものが存在する。メンバーの数だけあるらしいが、ローズは参加しないので詳しくはない。
「その様子は着せ替えか。……それも似合ってるな」
「……」
ローズの皮肉にも反応がない。戦闘訓練の類ならベルもここまでぐったりはしない。これは精神的にきているときだ。
「あ、『帰ってきたらさっさと執務室に来い、逃げるな』って言ってたよ」
「……」
ベルが思い出したように顔を上げ、ローズにとっての死刑宣告を行う。
それには答えず、ローズは無言で三階への直通階段へ向かう。体幹がふらふらしているのが目に見えてわかる。
「どしたのローズちゃん」
「さあ? どうせ痴話喧嘩でしょ」
通りがかりのマリアがそれを見とがめてベルに聞くが、興味のないベルは投げやりに返す。
「やあ、やっと帰ってきたなローズ」
執務室に入ると、予想外に機嫌の良さそうなクロエとノイアがそれを出迎える。
「フラム様、あーんです」
「むむ……」
その手前の応接セットのソファーでは、なぜかマリーが手ずからフラムの口にケーキを運んでいる。
「おかえりなさいませローズ様!」
「うぐ……」
閉じている口に無理やりケーキを押し付けられ、フラムの顔がクリームでぐちゃぐちゃになっていた。
「フラムとリトルマリーは何してるんだ?」
「フラム様が執務室でおやつを食べたいというのです。もうすぐ夕食だから我慢しましょうって言ったんですが、どうしてもと言うのでやむを得ず」
「その割には……」
やむを得ずという割にはマリーは嬉しそうにフォークでケーキをフラムの口(の周辺)に押し付けている。
一方、フラムは自分で希望した割には嫌そうに拒絶している。
「助けて……もご」
喋った隙に開いた口にケーキを突っ込まれる。
ローズに助けを求めるフラムだが、押しのけたり逃げたりする気はないらしい。
何が何だか分からない。
ちなみにリトルマリーとは、マリアの名前と紛らわしいことからクランメンバーが作ったマリーの愛称だ。
「まぁ、その二人は放っておいて」
「いや、どちらかと言うとフラムの方が重要な気がするんだが……」
この期に及んで逃げ道を探るローズに呆れ顔になるクロエ。
「言ってることは分からなくもないけど、現状どうしようもないでしょ、あの子のことは。放り出すわけにもいかないし」
肩をすくめるクロエ。
確かにそうだな、とは思う。だが今ローズがここに呼びつけられた理由は、十中八九ノイアの求婚の件だろう。逃げたくもなるし、実際今朝は逃げた。
それを楽しげに取り仕切ろうとするクロエの様子に不満を感じる。そもそもクロエは第三者であるし、ローズの密かな思い人でもあるのだから。
昨日様子がおかしかったのは良く分からないが、今のクロエは第三者が状況を楽しんでいるようにしか見えない。
(最近妙に距離が近くて、ちょっとは意識されてるのかなと思ってたのに……。この様子じゃ私の勘違い、希望的観測だったってことか……、思わせぶりな振りしないでくれよ)
少しばかり期待値が上がっていただけに、ローズの落ち込みは激しい。
「さて、実は先ほどノイアから非常に有意義な提案があってね」
「提案?」
求婚の話ではなかったのかと、肩透かしされた気になるローズ。
だが提案とは一体何だろうか?
「一年後、君の遺産はノイアと私に分割で相続されるわけだが」
「うん」
「それを君に返還することに問題はないと考えている」
「ありがたい。礼はするよ」
「礼はいいんだけどね。でだ、返還時には贈与税がかかるわけだが」
「そうだな」
まさしくそれを口実にノイアに求婚を受けたのだ。
「私の分にも税金掛かるだろう?」
「そうだな」
「税金はかからない方が良いよね?」
「そうだな?」
一体何を言おうとしているのか。
それよりも「私の分にも」という言い回しが気になる。それはまるでノイアとの結婚は既に認めているかのようではないか。
それに気づき、胸に鉛でも飲み込んだ思いがするローズ。
ノイアが嫌な訳ではない。むしろ、普通に考えて容姿も知性もとても素晴らしい、結婚相手として望むべくもない女性とすら思っていた。ただ、生まれた時から知っている友人の娘であるという点と、女性同士である点が引っ掛かってはいる。
だが彼女の思いにこたえるということは、自分の秘めた思いを諦めることが前提となるのだ。
諦めること自体は良い。いや、良くはないが仕方がない。
だが、それを思い人自身から勧められるというのは、泣きたくなるほど辛い。ローズはそのことを今初めて知った。
とはいえ、今ここにはノイアもいる。暗い顔をみせて傷つけるわけにもいかない。自身の感情を押し殺して、表面上はいつも通りに振舞う。
「……」
「うん。だから、えーと、つまり……」
先ほどまで自信満々だったクロエの視線が途端に彷徨い始める。
「私の……私も……あれだ、あれだよ」
「???」
クロエの目が泳ぐ。
ローズが首を傾げる。
ノイアが天を仰いで嘆息する。
「やっぱり駄目ですかぁ」
ついに絶句して涙目になるクロエの肩をポンと叩き、ノイアが後を引き継ぐ。
「ここからは私が。……ローズさんはこの国の結婚制度をご存じですか?」
「まぁ、一般的なところは」
結婚が許される年齢は、男女とも満十六歳以上。
婚姻届けを役所なり、領主なり、代官なりに届け出れば、それで法的に成立する。
建前上では親であろうと本人の意思に反して勝手に結婚させることは認められない。(現実的に守られているとは言い難いが)
夫婦それぞれの個人財産の他、共有財産を別管理で持つことができる。これは家族の財産とも言い換えられる。
同性婚が認められている。この場合、便宜上婚姻する両名の一方を夫、他方を妻として届ける。以降は異性婚と同じ扱いとなる。
「そして、一夫多妻が認められています。妻は三人までですね」
「うん」
「なのでローズさんを夫として、私とクロエさんを妻とすれば、昨日言ったように贈与税を回避できます」
「うん?」
「つまりWin-Winです」
「うん?????」
どうも言われていることが頭に入らない。
「それは、私がノイアとクロエの両方と結婚する、って聞こえるんだが」
「その通りです」
「そっかぁ」
聞き間違えではなかったらしい。
「え? どういうこと?」
「ということで、結婚は相続の後、今から一年後として、とりあえず三人で婚約しましょう」
「え……、え?」
どんどん話を進めるノイアと、後ろでこくこくと激しく首を縦に振るクロエ。
ローズの後ろでは、フラムとマリーが黙ったまま興奮している。
「それとも私たちじゃ嫌ですか?」
「嫌、ではないけど」
「なら、了承と言うことで」
「いや、しかし……」
困惑するローズに真顔のノイアが近づき耳打ちする。
「クロエさんと一緒になりたくないんですか?」
「!?」
ノイアの言葉にビクリと反応してしまうローズ。
「なぜ……」
「分からないと思ったんですか? 女の勘を舐めないでくだ……あ、でもクロエさんも鈍かったですね」
むむ、っと首を傾げるノイア。
「どうせローズさんのことです。今更男性と結婚する気はないし、女性と結婚するのも難しいし、そもそもクロエさんは高嶺の花だし……、なんてこと思いつつも結婚願望自体は捨てきれていないんでしょう?」
「う……」
完全に図星だった。なぜそこまでばれているのかと思うほど図星だった。
「今なら結婚するための言い訳からお膳立てされています。これを逃がしたらお二人ともなんだかんだと逃げ続けて、諦め続けて、きっと最後まですれ違ったままになりますよ」
「……」
やけに説得力のある言葉だった。ローズとクロエのこれまでの十年を考えれば、それが百年、千年になっても何ら不思議はない。
だが、ローズにはその前に確認すべきことが一つあった。
「その言い方は、つまりクロエも私のことが?」
「……そうです。私としては少し複雑ですが、ローズさんもそうなんでしょう?」
クロエが自分のことを……。
顔がカーッと熱くなる。嬉しい。
なんだか気分がふわふわして、それをもたらしたノイアの言葉が甘美な響きに感じられる。
「相思相愛なのにお互い一歩踏み出すことができない。十年も。
これを機に関係を進めてはどうですか? 難しく考える必要はありません。私とクロエさんの間では話はついています。あとはローズさんがうんと頷くだけです。それで全てが丸く収まるんです」
そうなのだろうか、なんだか言いくるめられている気がする。
ローズがそう思いながらクロエの方を見ると、不安と期待の同居する目が自分を見つめていた。
今日のクロエはちょっとポンコツじみた感じがにじみ出ているが、元が良いだけにそれでも絵になる。
十年来の思い人。
その彼女と結婚できる?
「こういうのは勢いです。冷静になっちゃダメなんですよ。お父さんもそうだったでしょう?」
ノイアの両親が結婚に至る物語はこの街でも有名な話であるが、その中身はまさに勢いと幸運とタイミングの物語だった。ローズ自身がそれに関わっていただけに、ノイアの言うことも理解できなくもない。
「勢いで結婚しても幸せになれるんですよ。私自身がその結果、実例です」
「……そういうものか」
「そういうものです」
ローズの中の大人なロイズが陥落して、少女なローズの希望が顔を出す。
諦めかけていた夢への欲を出してしまう。
ノイアは敢えて自身の事は強調せず、ローズの決断を促す。
名を捨てても実を取る。既成事実を作ってしまえばすべて後からついてくる。それがノイア自身の必勝の策だった。
「わほーい」
「わぁ、決定的瞬間に居合わせてしまいました!」
フラムとマリーがハイタッチしながら歓声を上げている。
「いや、なんか違うような」
我に返ったローズが首を傾げるのは、婚約証明書にサインを記入した後の事だった。
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