8.帝都の女官長

「ダンジョン【竜王の風穴】が消滅しただと!?」


 帝都第三騎士団詰め所、その騎士団長執務室。

 帝都冒険者ギルド本部から届いた緊急の手紙を開いた第三騎士団長ワルターは、その内容に思わず驚愕の叫びをあげる。

 ダンジョンの消滅。

 それは国内治安やダンジョン管理を主管する第三騎士団、その歴代団長に代々伝えられてきた申し送り事項、その最重要項目の一つだ。

 即座にそのことに思い至ったワルターは、頭を抱えつつも必要とされる手続きを開始する。


「……バーツ、直ちに陛下への上奏の申請を」

「じょ、上奏ですか!? いや、それは……」


 騎士団長と言えば、庶民からすれば滅多に姿も見ることもできない雲の上の存在である、だが帝国という国家の組織図を上から辿れば、その頂点である皇帝との間にはいくつもの役職とその地位に納まる人間が挟まっている。

 それら数多の上役達の頭越しに、最上位者たる皇帝へ直接上奏をしようなど、正気とは思えない。間違いなく横紙破りと非難される行動だ。副官のバーツが困惑するのも当然のことだった。


「お前の疑問も最もだが、この件については……」

「その必要はありません」


 その声と共に、開けっ放しの入り口に一人の女官が姿を現し、立ち上がろうとしていたバーツは動きを止める。

 すらりとした長身に高位女官の制服を身に纏い、黎明の空のような藍色の髪を編み込んだその姿は、怜悧な刀剣を連想させる。

 瞼はうっすらと閉じられており瞳の色はよく見えない。感情のうかがえない無表情なその顔貌にはわずかに興味深げな色があり、それがなぜか自分に向けられているようにワルターには思われた。

 その女官は止める間もなく、音もなく執務室を進んでワルターの執務机の前に立つ。

 一度見れば忘れることなどなさそうな印象の女性であるが、ワルターは彼女が何者であるかしばらく思い出せないでいた。が、寸でのところで記憶から掘り起こすことに成功する。


「女官長殿?」


 帝室女官長。それが宮廷において彼女を識別する名称だ。その素性はおろか、名前すら誰にも知られていない。皇族のみがその名を知ると噂されているが、真偽は不明。

 この宮廷には皇族以外にも数多くの高位貴族が日夜生活している。にもかかわらず、なぜそのような素性不明の存在が許されているのか。全てが謎の存在。

 ワルターも彼女については、宮廷でまことしやかに流れる噂以上のことを把握してはいなかった。その顔も今初めて見て……、いやそれはおかしい。

 ワルターはつい先ほど彼女が何者か思い出したのだ。


(知っていた。……のに忘れていた?)

「この件、皇帝陛下にはすでに上奏済みです」

「は!?」


 その言葉に考え込んでいたワルターの疑問が吹き飛ぶ。

 ワルターがダンジョンの消滅の情報を冒険者ギルドから受け取ったのはつい先ほど、役柄上この帝都において最速でその情報に触れたはずだった。

 実際、昨日昼にダンジョンが消滅してから、まだ丸一日も経過していない。


「すでに勅令は下されました」


 そういうと女官長は手に携えた羊皮紙の書類をワルターが読めるようにその場で開いて見せる。

 そこに勅令の文字を確認して、ワルターは慌てて起立して直立不動の姿勢をとる。

 頭の中は混乱し、疑問や疑念で一杯であったが、長年勤めあげてきた騎士としての本能が、勅令に対して敬意を示すことを最優先としたのだ。


「長々と書かれていますが要約しますと、ワルター殿はこれより私の指揮下にてオーディルでダンジョン消失についての各種調査を行って頂きます。

 なお、本件については必要と考えられるあらゆる手段、行動について、帝国はこれに制限を設けません。ワルター殿もその心づもりでいてください」

「制限なし……、ぜ、全権でありますか!?」


 最初に女官長の指揮下という点に引っかかったワルターであったが、そんなものが霞むほどの言葉を聞いて、思わず声を上げる。それは、他国との外交交渉における特命全権大使、ないしは他国への侵攻する遠征軍総司令官に与えられるような権限である。


「帝国はこの一件、戦争に準じた脅威と考えているということです。

 ……もっとも、判断は全て私が行いますのでワルター殿は従うだけ、さほど気にしなくても良いでしょう」


 そう言って微笑を浮かべる女官長。

 客観的に見て周囲を落ち着かせるような淡い微笑。だがそれを向けられたワルターはかえって落ち着かない気持ちになる。それは色恋などと言った浮ついたものではなく、むしろ捕食者に睨まれた獲物の気分だった。


「質問させて頂いてよろしいでしょうか?」

「……なんなりと」


 ワルターの言葉に女官長は鷹揚に答える。

 彼にとって今最大の疑問は彼女の名前と、常に閉じられたその瞳のことであるが、これまで誰も知ることのできなかった宮廷七不思議に今答えが得られるとも思えない。そのため勅令の疑問点を口にする。


「なぜ女官長殿なのでしょうか。……そして、なぜ私なのでしょうか」


 長年冒険者や帝都の市井と交わってきたワルターに男女差別の意識はない。むしろ時と場合によっては女性の方が手ごわい事も多いと思っているくらいだ。ゆえにこの質問の意図は純粋に能力適正についてのことだ。普通に考えれば女官がダンジョンがらみの仕事に関わる等ありえないのだから。

 もっとも、女官長があり得ない早さでこの件について動き始めている事実を見れば、その調査とやらに適任なのは女官長なのであろう。ワルターは理屈によらず直感でそれを理解していた。ゆえにこの質問には確認以上の意味はない。

 問題は質問の後半だった。

 没落寸前の伯爵家当主で、出世街道からも外れて第三騎士団長の座に、異例な十年もの長きにわたって居座って、捨扶持を与えられている男。

 本人としては誠実に努めているつもりであるが、ワルターに対する世評はかなり厳しいものだった。そんな男を選ぶ理由が分からない。たとえダンジョンが第三騎士団の管轄だとしても。


「質問の前半については……、おそらくお答えするまでもないでしょう。

 後半について、あえて言うならば、趣味ですか」

「趣味……」


 想定外の返答に面食らうワルターだった。



―――――



「……」

「……」


 求婚騒動の翌日、ノイアとクロエは執務室で黙々と書類仕事を行っていた。

 ノイアは仕事に没頭しているが、よく見ると薄っすら目に隈が浮かんでいた。不安と興奮でろくに眠れなかったのだ。

 片やクロエはそわそわと落ち着かなげにノイアをちら見して、まったく集中できていない。

 今室内には二人だけで、ローズもフラムもいない。


「フラムのことはマリーが世話を焼いているようだね。妹ができたような気分なのかも。フラムの方が大きいけど」

「そうですか」


 フラムの異常性を認識できないノイアだが、存在自体は認識しているらしい。その確認の意味を含めた話題であるが、ノイアの冷たい返答にクロエは心が折れそうになる。


「ローズは……どっかのダンジョンに行ったらしい」

「逃げましたね」

「……そうだね」


 今朝日が昇るより前に出かけて行ってしまったローズ。今の二人のローズに対する思いは二人とも似たようなものだ。


(腰抜け)

(……臆病者)


 クロエは自分も人のことを言えないなと思いつつも、今はローズに対して憤慨することを抑えられない。

 だがそこでふと我に返る。

 果たして、自分にローズを怒る資格があるのだろうか?


「……本当に人のこと言えないな」


 ぽつりとクロエが呟く。

 そして不意に涙が溢れ出るのを抑えられなくなる。


「!?」


 ノイアはそのつぶやきに顔を上げ、涙を流すクロエの様子を目の当たりにしてぎょっとする。


「ちょ、どうしたんですか!?」

「……ノイアはすごいよ」


 はらはらと涙を流すクロエの姿は、同性のノイアが見ても心動かされる美しさがあった。


「ローズにあんなに堂々と、き、求婚して……私にはとても真似できない。

 私なんか、もし告白して断られたらと……、きっぱりと拒絶されて、ローズと赤の他人になることが確定してしまったらと……、それがあまりにも恐ろしすぎて……、とても口に出来ない。出来なかった……十年も」


 そう言いながらも背筋は伸ばしたまま、決して下を見ようとしないクロエ。彼女は自身で言うほど臆病なのだろうか? ノイアは疑問に思う。

 臆病なのは自分の方だ。臆病だからこそ、ローズとクロエのお互いに対する気持ちに気づきながら、二人ともがそれに気づかないように祈り続け、そして勢いに任せて告白したのだから。


「あの、涙を流すクロエさんは絵画のように美しいんですけど、言ってることは完全にヘタレですよね」

「ヘタレっていうなよぉ」


 心の中の思いとは裏腹に憎まれ口を叩いてしまう。クロエは反論する元気もないようだ。

 ふぅとため息をつくノイア。


「本当に……すごくなんて、ないですよ。本当にローズさんのことを考えるなら、お二人の背中を押して祝福すべきなんでしょうから」

「え?」


 「本当に……」の後は呟くような声量であり、クロエにはよく聞こえず聞き返す。


――少しだけ、アドバイスをしよう。


 罪悪感と自分の思い、両方の折り合いをつけるため、ノイアは言葉を継ぐ。


「もし拒絶されたとしても、あきらめる必要なんてないんじゃないですか?」

「え?」

「何度でも告白すればいいじゃないですか」


 なぜ敵に塩を送る様な真似をと思いつつも、ノイアはクロエの思い違いを正す。無論、ローズがクロエに好意を抱いていることまで、真っ正直に教えてやるつもりはない。


「……告白って何度もやってもいいの?」

「駄目という法はありません。

 もっとも、しつこく迫りすぎて嫌われる可能性はありますけどね」

「え……、そ、そうだったの? し、知らなかった……」


 本気でびっくりしたようで、ショックで涙も止まっていた。


「二百歳児……」

「ぐ……仕方ないじゃないか、恋愛とか……全く縁なかったし……。でもそうか、よし」


 悔し気にしながらも、その顔には生気が甦る。急いで取り出したハンカチで顔を拭き、チンっと鼻をかむ。あるいは今度こそ告白することを決意したのかもしれない。本当に実行できるかは定かではないが。

 クロエがローズに告白すれば、ノイアとしてはいよいよ窮地に陥ることになる。だが、焦りは感じなかった。もうなるようになるしかないのだ。ノイアは既に昨日行動に移したのだから。


(というかローズさんの場合、クロエさんに告白されて相思相愛なことが発覚しても。動転してかえって拒否する可能性もなくはないかも)


 可能性はある。

 もしそうなったら……さすがにそれは……

 ノイアはペンの軸側を下あごにあてて少し考える。

 ノイアとクロエ、両方が幸せになれる案がひとつ、無いわけでもない。

 自分でもどうかしてると思うが、世の中にはそれを実行している人たちもいる。

 提案してみようか。


「クロエさん」

「ん?」

「これは提案なのですが……」

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