7.混沌の始まり

「え? 喋った!?」


 フラムが初めて発した意味のある言葉に驚き、クロエが立ちあがる。

 ローズも隣に座っているフラムをまじまじと見つめる。

 フラムはそんな二人の反応に驚いたような様子を見せた後、ゆっくりと両手で自分の口をふさぐ。


「ごめんなさい。黙ります」

「へ?」

「なんで?」


 フラムが平坦な声で謝るが、クロエとローズには彼女が何に対して謝っているのか分からない。

 だがこの場には、この三人の他にもう一人いるのを忘れてはならない。しかも、その人物は理由は不明ながら、フラムのことを正常に認識できないでいるのだ。

 その人物、すなわちノイアがここで話に割って入る。フラムを思慮の外に置いたまま。


「わかりました、ローズさん。そういうことなら私と結婚しましょう」

「いや、今それどころじゃ……、え? なんだって?」


 唐突なノイアの言葉に固まるローズ。

 その隙にローズの手を脱したフラムが、座ったままふわりと背面飛びで一回転してソファーの背後に着地、すっくと立ち上がる。口は両手で抑えたまま目も瞑る。先ほどまでの寝ぼけまなこではなく、意思のある閉眼だ。


「ちょ、ノイア何言っちゃってるの!? てかフラムが逃げ……てないか、え、なにしてるのこの子」


 同時並行で突発事項が発生して、どちらに対処すべきか迷い混乱するクロエ。

 一方のローズは困惑のあまりフリーズしていた。


「私は真面目な話をしています。いいですか? 一年後に私がロイズさんの遺産を相続したとして、相続税で目減りしたものになります。これは仕方ありません。

 ですが、そこからさらに私からローズさんに遺産を返そうとすると、贈与税でさらに目減りしてしまいます。

 そこで結婚です。

 夫婦となって遺産を夫婦の共有財産に組み込めば、実質無税でローズさんに贈与した事と同じことになります。納税額を抑えるにはベストの選択と言えるんです」


 鼻息荒く自分の冴えたアイデアを開陳するノイア。

 そのアイデアの当事者であるローズは、フラムの行動が気になっているのと、ノイアの言葉が自分の中の常識から外れていることの相乗効果で、話の内容をいまいち理解できないでいた。


「あー、えっと? ……クロエ、とりあえずフラムのことは任せた」


 自身の混乱を自覚し、役割分担によって状況整理を試みるローズ。

 ノイアの言っていることはローズ自身の関わることであり、クロエ任せにできない。妥当な役割分担だと言えた。

 ただし、そう思っているのはローズだけだった。


「いやいやいや、ちょっと待って、私抜きで話進めないで! 困るから!」


 フラムを押し付けられて、ノイアの(クロエ的に)とんでもない発言から除け者にされてはたまらない。クロエは一旦フラムのことを保留――放置ともいう――して、ローズに食い下がる。


「困る、とは?」

「当たり前でしょ! け、け、結婚とか! 認められないよ!」


 クロエが執務机をバンバン叩きながら強硬に反対する。

 その剣幕にかえって冷静になったローズは、改めてノイアの提案を自分の中で咀嚼する。


「いや、そうだな。ノイア、気持ちは嬉しいけど税金対策で結婚なんて駄目だ。ノイアの経歴に傷がついてしまう。ノイアならいくらでも相手を選べるのに離婚歴なんてついたら」

「待ってください」


 ノイアが鋭い声でローズの言葉を遮る。


「私は税金対策だけのために結婚するつもりはありませんよ? 遺産をお渡しした後も離婚するつもりはありません。一生添い遂げさせていただきます」

「はい?」


 ノイアの言葉に再度混乱に陥るローズ。

 遺産を渡した後も離婚しない? なぜ?

 混乱しつつもかろうじて、ノイアを子供のころから見守ってきたという義務感から、反論をひねり出そうとする。


「いや、しかし、引く手数多なのに、よりによって私みたいな冒険者なんかと結婚しなくても」

「一般的に冒険者が結婚相手として推奨されないのは、ろくな貯蓄もなくいつ死ぬかもわからないからです。ローズさんは両方あてはまりませんよね」

「そう……かも? いやいや、でも年齢が」

「現状、実質ほぼ同年代ですよね」

「え、いや、若干否定し難い苦い記憶が最近ちらほらあるけど……、あ、そもそも今じゃ同性だろう!」

「問題ありません」

「あ、はい」


 その勢いにローズが言葉を失ったところで、ノイアは目を閉じて一度深呼吸する。そして、まっすぐにローズの方を見つめる。

 その不穏な気配を察し、ノイアを止めようとクロエが声を上げる


「あっ! ま、待って……!」


 しかし間に合わない。


「ローズさん。私はあなたが『ロイズさん』だった時から、あなたをお慕いしておりました。姿形が変わった今でも、その気持ちは変わっていません」

「え」

「わぁーーーーーーっ!!!!!???!??!」


 その言葉にローズは今度こそ完全にフリーズし、クロエは悲鳴を上げて頭を抱える。


「駄目、駄目だよ、そんなの……、私が先に……、なのに……」


 クロエはノイアの言葉を否定しようとするが、先を越されたという衝撃のあまり言葉がうまく紡げない。


「嫌、駄目、ああああ……」


 クロエは両手で頭を抱えて涙目でぶつぶつと否定の言葉を呟きつづけ、そのままふらふらと執務室から出て行ってしまう。

 その様子にちょっと驚きながらも、ノイアはローズに向けて言葉を続ける。


「と、とにかく、私の提案は、利益や理屈だけじゃなくて……気持ちの面でも本気だってこと、知ってほしいです。

 ……それじゃ、今日はこれで上がります!」


 それだけ言うと、執務室を走り出ていく。開きっぱなしのドアから、遠くノイアの自室のドアを乱暴に閉める音が響いてきた。


「え」


 一人取り残されたローズは、未だ衝撃から立ち直っていなかった。


 いや、もう一人。


「むふふ。ごち」


 完全な傍観者となっていたフラムが満足げに呟く。

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